韓松の怪作『無限病院』の続きを怯えて待つ!
文=大森望
『三体』の邦訳で中国SF人気がいきなり大爆発してから5年あまり。翻訳は増えたものの、中国SFが系統立って紹介されているとは言いがたい。劉慈欣はしばしば〝中国SF四天王〟の一人と称されるが、あとの三人(王晋康、韓松、何夕)は1冊も訳書がない状態が続いていた。アシモフ、クラーク、ハインラインのうち(あるいは星新一、小松左京、筒井康隆のうち)一人しか本が出ていないようなもんですね。この10月、ようやく韓松の長篇『無限病院』(山田和子訳/早川書房)★★★★が出て、状況が一歩前進した。マイケル・ベリーによる英訳からの重訳だが、この英訳がいかに労作であるかについては英語版訳者の長いあとがきに詳しい。著者も太鼓判を捺すこのバージョンを底本にして翻訳したのはたぶん正解だったんじゃないかと思う。
さて、小説は、仏陀を探しに火星にやってきた宇宙船号が、屋根に巨大な赤十字マークを戴く〝病院〟を見つけるところから始まる。
おお、病院版『2001年宇宙の旅』の開幕か──と思いきや、これはプロローグだけで、続く本文から、舞台は未来の中国に移る。主人公の〝僕〟こと楊偉は公務員(政府職員)だが、余暇にやっている作詞でそこそこ名前が売れている。今回はC市のB社から社歌の作詞依頼が舞い込み、勤務先公認の出張扱いでC市に来たまではよかったが、ホテルの部屋でミネラルウォーターを飲んだとたん、激しい胃痛に見舞われて意識を失い(その間わずか8行)、巨大な総合病院に担ぎ込まれ、たちまちカフカ的な不条理劇の幕が上がる。レムと筒井康隆とディックをミックスしてテリー・ギリアムが映画化したような雰囲気だが、語り手が微妙にぼんやりしているのがいい味になり、微苦笑しつつ愉しく読み進めるうちどんどん様子がおかしくなっていく。SF的解像度は高いのに、全体としては何が起きているのかさっぱりわからない。三部構成の第3部にあたる「追記:手術」ではさらにスケールが広がり、もっととんでもないことに。中国SFの懐の深さを実感させる怪作だが、これが三部作の第1巻というからますます恐ろしい。この続きがどうなるのか、怯えつつ待ちたい。
『恋する星屑 BLSFアンソロジー』(SFマガジン編集部編/ハヤカワ文庫JA)★★★½は、SFマガジンの二度のBL特集に発表された短編8編(+吟鳥子の漫画)に、高河ゆんの漫画(同人誌からの再録)と、書き下ろし2編(おにぎり1000米、吉上亮)を加えた全12編を収める。この本は『おすすめ文庫王国2025』で紹介したばかりなので詳しくはそれを見てほしいが、大森イチ推しは木原音瀬「断」。ある日突然プチプチプチプチプチ......と自分の精子が死んでいく音が聞こえはじめた男の話で、SFかどうかはともかく年間ベスト級の傑作。これを読むために一冊買っても惜しくない。巻頭の榎田尤利「聖域」、巻末の一穂ミチ「BL」もおすすめ。他に小川一水、竹田人造、琴柱遥、尾上与一、樋口美沙緒が参加。『アステリズムに花束を 百合SFアンソロジー』と比べて、なんとなく社会性が強い作品が多いのが面白い。
『トウキョウ下町SFアンソロジー この中に僕たちは生きている』(トウキョウ下町SF作家の会編/社会評論社)★★★は、東京の下町をテーマにした新作短篇7篇を集める。桜庭一樹「お父さんが再起動する」は、差別のデパートみたいな性格だった亡父が遺した小説を復刊したいと、娘のもとに30年後の未来から編集者がやってくる話。復刊にあたり、一部どうしても修正してほしい箇所があると言うのだが......。斧田小夜「糸を手繰ると」は、チベット仏教の転生ラマに認定したいとの申し出を受ける話。下町に住む〝ぼく〟は、小学3年生の甥の夏休み自由研究に協力して江戸っ子ブロックチェーンを考案。ところが、自分のIDにあたる64桁の数字が、転生ラマの残した数字と完全に一致したと言われて......。他に、大竹竜平、関元聡、東京ニトロ、大木芙沙子、笛宮ヱリ子が参加。
林譲治『知能侵蝕4』(ハヤカワ文庫JA)★★★★は、今年1月に開幕した全4巻の長篇の完結篇。2030年代を背景に、意思疎通の困難な(何を考えているのかさっぱりわからない)地球外知性との接触を正面から描く王道のファーストコンタクトものっぽく開幕し、『三体』の向こうを張った宇宙戦争ものに突入する──かと思いきや、そこは林譲治、まったく予想を裏切る方向で決着し、さらに驚天動地のオチがつく。イーガンと劉慈欣のタッグマッチ? しかしどの巻も300ページ前後なのに、本体価格は1000円→1040円→1100円→1280円。まあねえ。
8月の本なのに紹介し損ねていた王城夕紀『ノマディアが残された』(中央公論新社)★★★½は、中東と欧州を主舞台に、外務省直轄の複製課のエージェントたちが世界的な陰謀に立ち向かう近未来国際謀略サスペンス。始まりは未知の感染症が発生したシリアの難民キャンプ。バイオテロの疑いもある中、任務中の複製課員が忽然と姿を消す。視界共有に残された「ノマディアに行けば。」という謎の言葉を手がかりに課員たちはその行方を追う。ガーデンと呼ばれる独立自治単位、遺棄された旧規格通信網によるFN、自己同一性を保持したまま人格をデジタル化することは不可能だとする(その論文を書いたのはAIだったと判明し、世界が震撼した)など、架空の近未来を支えるディテールが魅力的。おお、もう行数がない。人間六度『推しはまだ生きているか』と『AIとSF2』は次号で。
(本の雑誌 2025年1月号)
- ●書評担当者● 大森望
書評家、翻訳家。責任編集の『NOVA』全10巻と、共編の『年刊日本SF傑作選』で、第34回と第40回の日本SF大賞特別賞受賞。著書に『21世紀SF1000』『同 PART2』『新編 SF訳講座』『50代からのアイドル入門』など。訳書に劉慈欣『三体』(共訳)、テッド・チャン『息吹』など。ゲンロン大森望SF創作講座」主任講師。
http://twitter.com/nzm- 大森望 記事一覧 »