痛快で軽妙な一代記『高雄港の娘』に引きこまれる!

文=橋本輝幸

  • 高雄港の娘 (アジア文芸ライブラリー)
  • 『高雄港の娘 (アジア文芸ライブラリー)』
    陳 柔縉,田中 美帆
    春秋社
    2,750円(税込)
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  • 危険なトランスガールのおしゃべりメモワール (I am I am I am)
  • 『危険なトランスガールのおしゃべりメモワール (I am I am I am)』
    カイ・チェン・トム,野中モモ
    晶文社
    2,530円(税込)
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  • 灰色のミツバチ
  • 『灰色のミツバチ』
    アンドレイ・クルコフ,沼野恭子
    左右社
    4,400円(税込)
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  • すてきなモンスター:本のなかで出会った空想の友人たち
  • 『すてきなモンスター:本のなかで出会った空想の友人たち』
    アルベルト・マンゲル,野中 邦子
    白水社
    2,970円(税込)
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  • 傷ついた世界の歩き方:イラン縦断記 (エクス・リブリス)
  • 『傷ついた世界の歩き方:イラン縦断記 (エクス・リブリス)』
    フランソワ=アンリ・デゼラブル,森 晶羽
    白水社
    2,970円(税込)
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  • 楽園の夕べ ルシア・ベルリン作品集
  • 『楽園の夕べ ルシア・ベルリン作品集』
    ルシア・ベルリン,岸本 佐知子
    講談社
    2,860円(税込)
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 冒険が印象に残る本が多い月だった。

 陳柔縉『高雄港の娘』(田中美帆訳/春秋社)は一九二〇年代末から現在に至る約百年を、台湾出身の女性主人公と周辺人物たちの人生を通して描く。実在の人物を主人公のモデルにしながらも大胆に脚色し、引きこまれるドラマに仕上げている。ミステリーあり、お家騒動あり、淡いロマンスあり。

 主人公の孫愛雪は日本統治時代の台湾南部・高雄で、教師の両親のもとに生まれる。父親は地元の老富豪からの信頼も厚く、相談役として重用されていた。愛雪は、日本人が大半の小学校に入学を許可され、当時の女性が受けられる最高の教育を受けて育つ。しかし父は何者かに陥れられて職を追われ、さらに終戦後に反乱分子の嫌疑をかけられて香港へ逃亡する。適齢期の愛雪は医師と結婚するが、台湾独立運動に関わる彼は日本に拠点を移して資金稼ぎを始めた。そこで愛雪も日本に移住し、自分で事業をおこす。女性の一代記だが、経済や教育の面では恵まれ、賢く物おじしない愛雪の活躍が痛快で意外なほど軽妙で読みやすい。黒柳徹子『窓ぎわのトットちゃん』を連想した。台湾語のセリフが愛媛南予の方言に翻訳されているのも、掛け合いの妙に一役買っている。

 著者は記者やノンフィクション作家の経歴を持つ。時代考証や情報の盛りこみかたはさすがで、小説これ一作のみを残し、事故で亡くなったのが惜しまれる。
 カイ・チェン・トム『危険なトランスガールのおしゃべりメモワール』(野中モモ訳/晶文社)は、破天荒でマジカルな物語だ。カナダの新鋭作家によるデビュー作である。晶文社の新海外文学叢書〈I am I am I am〉の第二弾。

 語り手は中国系移民家庭の長男だった「あたし」。家を出て、都会で女性としての人生を歩み始め、自分のような仲間に出会う。しかし彼女には秘密がいっぱいだ。体内には六歳のころからミツバチが棲みついているし、妹を除けばもっとも親しい存在は触覚だけでしか交流できない「ゴーストフレンド」。おまけに父から受け継いだカンフー技術で人体の破壊もお手のもの。奔放で時にショッキングな青春小説。「嘘つき」と標榜してはばからない語り手と作者は、現実から目をそらさぬまま夢と魔法とわずかな希望のある物語をつむぐ。誰もが共感や同情できる話ではないし、おちおち現実逃避させてもくれない。

『ペンギンの憂鬱』で国際的な評価を得た、ウクライナの作家アンドレイ・クルコフの最新作『灰色のミツバチ』(沼野恭子訳/左右社四)もまた勧善懲悪が信じられない時代にふさわしい。くしくも本書でもミツバチが重要な役割を果たす。舞台は二〇一七年ごろのドンバス地方。ウクライナ軍と親ロシア勢力が争うグレーゾーンの小村で、中年養蜂家セルゲイ・セルゲーイチはひとり静かに暮らす。彼はウクライナのパスポートを持つロシア語話者でどちら側にも属しきれない。電気も絶たれ、腐れ縁の幼なじみパーシャ以外は全員村から出ていった。戦禍にうんざりした彼はハチの巣箱を積んで車で旅に出る。まず南の村へ。さらに南下し、クリミア地方のタタール人の知り合いのもとへ。しかし、さまよえども楽園はなく、タタール人たちが置かれた状況はさらに悲惨だった。地元発のいきてかえりし物語は情けなく、ときにおかしく、不条理で不確かなことだらけだ。

 アルゼンチン出身作家アルベルト・マンゲルの『すてきなモンスター 本のなかで出会った空想の友人たち』(野中邦子訳/白水社)は一風変わったブックガイド。著者は高校時代、視力を失いかけていた作家ホルヘ・ルイス・ボルヘスのために本を朗読する活動をしていた(!)そうだ。本書はボルヘス『幻獣辞典』と同じく数ページの紹介文の集合で、モンスターに限らない小説のキャラクターを通じて本を紹介する。主役ではなく脇役が選ばれた回も多い。政治やお国柄に切りこんだ文章が特におもしろく、『ハックルベリー・フィンの冒険』の「逃亡奴隷ジム」の回ではアメリカ史とアーシュラ・K・ル・グウィンの短編「オメラスから歩み去る人々」が語られ、『アルプスの少女ハイジ』の「ハイジのおじいさん」の回ではがんこな老人に実は軍備が充実した山国スイスを重ねる。G・K・チェスタトンほか古典ミステリ作家への言及もあり、著者の博学がうかがえる。

 フランソワ=アンリ・デゼラブル『傷ついた世界の歩き方 イラン縦断記』(森晶羽訳/白水社)は「小説仕立ての旅行記」だ。著者はフランス人。本国では四冊の長編小説がベストセラーになっているという。二〇二二年、イランでは地方から首都テヘランに観光に来た若い女性マフサ・アミニが服装を理由に逮捕され、拘留中に死亡する事件が起こった。これが全土に波及する抗議運動に火をつける。著者は記者や外国人への警戒が高まったイランに無謀といわれながら入国し、様々な人との対話を試みる。冒頭から恐怖体験が書かれるが、ユーモラスな逸話も多く、イランの実態、その国民や移民、少数民族に親しめる。男子禁制スポットにも立ち入ってイラン市民に話を聞いた、金井真紀『テヘランのすてきな女』(晶文社)とあわせて読みたい。

 ここまで非英米の、原著もごく近年出版された新刊ばかりを紹介した。ルシア・ベルリン『楽園の夕べ ルシア・ベルリン作品集』(岸本佐知子訳/講談社)は、死後評価されたアメリカの作家の日本での第三短編集。半自伝的小説だそうだが、ちょっとしたディテールや結末の力強さに圧倒される。まずは冒頭の一作を味わってほしい。

(本の雑誌 2025年1月号)

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●書評担当者● 橋本輝幸

1984年生まれ。書評家。アンソロジストとして『2000年代海外SF傑作選』『2010年代海外SF傑作選』、共編書『走る赤 中国女性SF作家アンソロジー』、自主制作『Rikka Zine vol.1』を編集。
現在、道玄坂上ミステリ監視塔(Real Sound)や「ミステリマガジン」新刊SF欄に寄稿中。

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