第175回直木賞選評を読んで徹底対談。杉江「『見えるか保己一』も絶対受賞だと思っていたんですけどね」マライ「米澤穂信氏の読みが『けんぐゎい』受賞を決定づけたのか? 選評群がミステリのよう」
選評を読むまでが芥川・直木賞。『オール讀物』に掲載される選評を読んで〈職業はドイツ人〉マライ・メントラインと〈書評から浪曲まで〉杉江松恋のチームM&Mがあれこれ考える対談がやってまいりました。シルバーウィークを目前に、特に用事もないなあと思っていた9月18日に行われた対談の模様をお伝えいたします。第175回直木賞選評を読み解きますよ。芥川賞編はコチラ。
■第175回直木三十五賞候補作
朝倉かすみ『けんぐゎい』(光文社)3回目←受賞
蝉谷めぐ実『見えるか保己一』(KADOKAWA)初
凪良ゆう『多類婚姻譚』(講談社)2回目
原田ひ香『#台所のあるところ』(文藝春秋)初
若林正恭『青天』(文藝春秋)初
選考委員
浅田次郎・角田光代・京極夏彦・桐野夏生・辻村深月・林真理子・三浦しをん・宮部みゆき・米澤穂信
- 目次
- ▼朝倉かすみ『けんぐゎい』「読み」によって逆転する展開とは?
- ▼『見えるか保己一』同時授賞というわけにはいかなかったのか
- ▼凪良ゆう『多類婚姻譚』連作短編集の弊害
- ▼原田ひ香『#台所のあるところ』京極夏彦評に納得
- ▼若林正恭『青天』教育的指導評多め?
- ▼直木賞選評総括⚫︎選評群をひとつのミステリとして読むのも可能か
朝倉かすみ『けんぐゎい』「読み」によって逆転する展開とは?
マライ・メントライン(以下、マライ) 選評からうかがえることで興味深いのが、選考会でも元々は本作が『見えるか保己一』と互角かやや劣勢っぽかった状況が、米澤穂信氏の、後半が「主人公ふゆが今際の際に見た幸せな夢のよう」だという「読み」によって逆転する展開があったらしいことです。後半でアンリアル感が加速するのをマジックリアリズムとして肯定的に解釈する。これは凄いなぁ。なるほど納得という面と、それでよいのだろうかという面、双方の重い感触があります。選考会での空気変化&勢いって、なんだか凄いですね。
杉江松恋(以下、杉江) 米澤さんは当初、作品をそれほど評価していなかった、と選評からは読めます。でも、すべてをふゆが見た夢として本作をとらえるという読み方が可能だと気付いて、考えを変えたという。「会話が小説世界で根を下ろし、網のように因縁を構築していくさまに、そういえば南米の小説を読むときもこんな酩酊間を味わったと思い出した」「この小説にはリアリズムがないのだ。けれどしばらくして、思い返した。小説が、涙の出るような夢を語ってはいけない道理があろうか」「描かれた情念は煮詰まって膠を思わせる」。この作品、とにかく時代小説的なフォーマットを無視しているので、そこが反発を食らうのでは、と思っていましたが、存外ベテランの方が好意的なので感心しました。朝倉さんが力でねじ伏せたんですねえ。「まこと自由闊達に想像をめぐらしかつ表現し、小説を書くことを楽しんでいると感じた。むろんそのぶん自分勝手でもあるから、読者に対しては不親切である」と浅田次郎さん。「パワーにねじ伏せられる読書がしてみたいと思ったら、本書をよむべきだ」「その『何となく』が、逆にこの作品の、自由に羽ばたく壮大さを表している。作品すらも常識破りの『圏外』なのである」というのが桐野夏生さん。個人的には「時代小説に擬態してはいるが、その枠に留まるものではない」という京極夏彦さんの評言がすべてだという気がします。ジャンルに束縛されない小説を書いて、選考委員を納得させたんですから勝利ですね。
マライ 「時代小説的フォーマット無視にまつわる危惧」といえば、米澤穂信氏『黒牢城』がそれをはねのけて受賞した(166回)、という実績もありましたね。
杉江 あれは、ミステリー的なフォーマットを時代小説にあてはめることが反発を生むかも、という危険性もありましたね。
マライ その経緯を見れば、米澤氏の主張には筋が通っていると言えます。
杉江 「小説の後ろに広がる、ふゆや、彼女たちと同じ時代に生きた人々、あるいは時代や国を越えて多くの『圏外』とされた場所に生きる人たちの尊厳と居場所を守ろうという切実な祈り」という辻村深月さんの意見のように、時代小説の枠を借りて、普遍性のある物語を実現した、という点も高く評価されています。全般的に高評価なんですが、その中で三浦しをんさんが小説としての結構についていくつか批判していたのが印象的でした。「ただ、主人公のふゆ以外の登場人物の一人語りで、いろんなことが『説明』されてしまう感がある点。また、三章以降がやや駆け足で、ふゆがどういう産科術を駆使しているのか(出産や堕胎をどのように行うのか)がほぼ描写されていない点が、やや引っかかった。多田屋の娘を孕ませた可能性があるのが、ふゆの身内たちというのも(続編があるのかもしれないが)この一作のバランスという観点からすると、人間関係がつながりすぎではないかと感じた」。これぞ選評のすべきこと、だと思うんですよね。実作者と読者の両方である三浦さんが、小説の弱点をちゃんと指摘しています。実に建設的な批判ですよ。
マライ しかもすばらしく沁みる分析とエモーションです。
杉江 ちょっと残念なのが、角田光代さんが「第三章の前に、書かれていない空白の十年があり、私はそこをこそ読みたいと思ったのだが、この空白を巡っての選考委員の議論に深く納得させられた」と書かれていることについて、触れた選評がなかった点です。さっき話に出た米澤さんの、すべてはふゆの夢だった、という読みなのかな、と思ったんですけど。
マライ やっぱそうですよね。
杉江 選評として提出されたテキストからは読み取れないので、議論を左右するような内容があったのなら、選考委員は責任もってそれを明かすべきなんじゃないかと思うんです。そこが選評での、唯一の不満です。
マライ なるほどです。そしてそれは選考会の空気感とも関係するのかもしれない。
『見えるか保己一』同時授賞というわけにはいかなかったのか
杉江 『見えるか保己一』、絶対受賞だと思っていたんですけどね。
マライ いったいどこにネガティブ要素があるのか、と思っていたら「学問自体が描かれていない」というツッコミが複数あり、なるほどと思う一方、角田光代氏のようにそれを踏まえて敢えて選評で本作を強く推す選考委員もいるのが印象的です。三浦しをん氏も述べているように、両作同時授賞というわけにはいかなかったのか。『見えるか保己一』の死角はやはり看過できないものだったのか。知的エンタメ小説として「最高の何か」を見事につかんだ小説だと今も思っているんですけど。
杉江 いや、まったく同意で、否定する選考委員の意見にもすべて反論が準備されていますよね。選評がこんなに対立するのを見たの、ひさしぶりかもしれません。「安易な解決法を提示するのではなく、理解しあえない(こともある)現実と、一瞬の理解がもたらす希望をも描いている」「保己一の目が見えなかったからといって、「偉人」として祭りあげすぎるのは、目が見えるひととのあいだに、過剰な線引きをしてしまうことにもつながるのではないか」「学ぶことが『好きだったから』、ただその一心で『群書類従』を編んだという保己一の台詞に、私は激しく胸打たれた」という三浦しをんさん、「保己一の業績が描かれていない、保己一という人に一貫性がない、という声があがったけれど、作者は保己一という人をつかまえずに書いたのだと私は思った。作者自身が保己一を『把握』することで矮小化しておらず、把握できなさに誠実に向き合って書いたように思え、その姿勢に敬意を覚えたのだが、残念なことに受賞には至らなかった」という角田光代さん。「視覚の世界を通じて、人の数だけある『見える世界の主観の真実』とでも言うべきものを登場人物たちそれぞれが、信じ、疑いながら生きている姿に抜群の厚みがある。私が何より好ましかったのが、著者が小説を書く心の底に『知りたい』という思いを強く持っていると感じられたことだった」という辻村深月さん、擁護派の選評がみんな血が出るような叫びになっているのが印象的ですねえ。
マライ ですよ。『けんぐゎい』の受賞は納得にしても、『見えるか保己一』にも授賞でいいじゃん、というのが率直な印象です。
杉江 「健常者/障碍者という二項対立になりがちな展開を退けるのみならず、善悪・好悪も対立項にはしない。章を一幕ずつ芝居仕立てにすることで登場人物群を縦横無尽に動かし、外的評価/内的動機・達成感との差違や誤謬をも拾い上げる。主人公の内と外を立体的に照射していく手腕は圧倒的である」という京極夏彦さんの分析の理知的なこと。これが通らなかったのは本当に不思議です。直木賞は、こういう構造分析的な読みの選考委員と、パ、パッション(岡本太郎風に)で読めなきゃだめ、という方とに分かれているんじゃないかという気がするんです。感情優先の読み方を否定するものではないですが。否定派でもたとえば「しかし唯一得心ゆかなかったのは、保己一の悲哀や苦悩がさほど伝わらなかった点である。すなわちその人間性は、保己一の銅像を割って顕現しなければならなかった。伝記ではなく小説である限り」という浅田次郎さんの評には納得しました。もっと内面を読ませるべきだ、という意見は学問云々の意見よりも傾聴に値します。林真理子さん「しかし面白く読めなかった。それは保己一という人物の、学問への飛翔が見られなかったからである。各章は彼をめぐる興味深いエピソードがちりばめられ、それで完結となる。各楽章で満足するうちに、交響楽へと拡がっていかない。それが保己一という人を小さく、自己否定ばかりしているように見せる」という評は、申し訳ないのだけど小説の構造から少し外れたもののように私には思えました。
マライ 選評からは米澤穂信氏が大逆転劇の立役者のように見えるのですが、実はもっといろいろあるんですかね。
杉江 (笑)。米澤さんの「人間は、その人が全霊をかけて挑んだ何事かの中にこそ現れるものではないか。これがたとえば創作された検校の小説であったなら、本作は傑作だった。しかし塙保己一の名を借りる以上は、学問すること自体のこわさ、おもしろさ、くるしさが、どこかに書かれるべきではなかったか」という意見はよくわかるんですよ。選考委員はみんな創作者だから、作り出したものにその人が出ているべきだ、という声が出るのは当然ですよね。「これは好悪の問題と思うが、最後の着地が、芝居の終わり方のようにあまりにも整っていて、逆に小説としては窮屈に感じられた。また、保己一の内面をもっと知りたいという欲求もある」という桐野夏生さんの意見も、構造美に対する違和感の表明としてわかるんです。だから表明された反対意見はわからないでもないけど、私としては擁護派の加点式評価に共鳴しますね。
凪良ゆう『多類婚姻譚』連作短編集の弊害
マライ 刺激的な表題とはうらはらに、むしろ「同類婚姻譚」のように見えた、という浅田次郎氏の指摘のミもフタもなさが凄いです。本作と波長の合う読者にとっては「ふざけんな!」と感じられるでしょうけど、何気に無視できない側面があって凄い。浅田次郎氏の見解は、私からみてまったく別文脈すぎることが圧倒的に多いのだけど、なんか興味深くて面白いんです。
杉江 これ、同じことを宮部さんも書いてましたね。「強く支持することができなかった理由はシンプルで、この連作は『多類』の結婚事情ではないと思ったからです。大都会東京のいい場所で、(やりくりに苦労しているキャラもいますが)あるレベル以上の暮らしをしている(もしくはしていた)、一つの大手企業を中心にゆるく繋がっている人びとの結婚と恋愛事情を綴るエピソード集ですので、むしろ狭い範囲の婚姻譚」だという。浅田・宮部両氏の意見を集約すると、つまり似たりよったりの人々しか出てこないと。もっと言えばトレンディドラマの登場人物みたいな人の、ねっちょりした恋愛が書かれているだけで、どこが多様性なんだ、という意見だということかと。
マライ ただ、浅田評と宮部評は、90年代~ゼロ年代の精神風景を前提とした人間的分類であるような気がしなくもない。私は凪良ゆう氏がこれで「多類」と称する意味が分かる気がする。とはいえ読者層のメインがそうでない場合は「つもり」を頑固に押し通すこともできないわけで。なかなか難しいなぁと。
杉江 読者層の問題はその通りかと思います。『多類婚姻譚』に書かれた階層、人間関係は凪良さんの読者が求めているものだと思うんです。168回候補となった『汝、星のごとく』もそうでしたが、結構不便な土地柄の出身だけど漫画を描く能力があるとか、そういうどこかに光るところのあるキャラクターをこの作者は書いているし、読者も好んでいると思うんです。だから宮部さんがおっしゃるような本当の多様性を既存のファンが求めているかというと疑問です。凪良さんはタワマン文学の書き手に妬まれる側の作家なんですよ。だから、そういう方向転換をしないといけないなら、無理に直木賞獲りに行かなくてもいいんじゃないかという気がしますね。
マライ なるほど。無理はよくないっすね。
杉江 浅田さんは連作短編集の弊害についても書いていますね。無理にひとつながりにしようとするから制約がかかって話がちっちゃくなるんだと。他にも同意見の選考委員はいました。京極夏彦さん「状況/情景描写も繊細かつ的確で実に巧い。一方、会話の形で表明される心情は説明的でステレオタイプな言説である。多様性を明確化する意図はあるにせよ、落差が大きい。舞台を絞ったことで世界観が矮小化したことも一因だろう」、辻村深月さん「今回はその意気込みとテーマに小説を合わせすぎてしまった印象だ。コンセプトが明確すぎる短編集という形式の中で、どうしても人物の行動や心の有り様が駆け足に説明され、それが小説を小さくしてしまったように思う」、桐野夏生さん「が、この短編群がひとつの会社内でのことだとわかると、単なる『社内の人間模様』に過ぎないものに感じられてしまうのはなぜだろう」といった意見は同傾向のものです。なんでもかんでも連作にさせようとする編集者は、ちょっと考えたほうがいいですね。
マライ シャレオツ&高度文芸にしたつもりで実は足を引っ張っている的な。
杉江 そしてここでも三浦しをんさんは分析が鋭いです。「私がやや気になったのは、一話目、「百合ップル」っぽいアイドルのポスターを『セクシュアリティの搾取』であると主人公が指摘するにもかかわらず、この話自体が、登場人物の性別を途中まで伏せていることだ。男女のカップルであるとも読めるようにしておいて、実はレズビアンのカップルでしたと明かすのは、構造として問題ないのだろうか? また、全編を通じて、すべてが明確すぎるというか、主題を『説明』している感があり、短編としての余白が少ない気がした」。性的搾取を口にする主人公の話が性的搾取じゃん、というのはちょっと考えさせられる指摘でした。
マライ 私もこれは凄いと思いました。最高峰ゴールキーパーのような視野の広さ深さ。選考委員なめるな的な衝撃があります。
杉江 三浦さん、やっぱりすごいですよ。日本文藝家協会は理事長をこの人にしてよかった(笑)。急いでフォローすると、選考委員の幾人かも書いているように個別の短編はいいものが多いです。「Cest La vie」なんて仕事小説としても秀逸ですけど、連作にしたことで粗が見えてしまったというか。これ、連作にしなくて、ジェンダーや多様性の観点から現代を見ることだけに徹したら、もっといい短編集になったと思うんです。で、ここでもキラー米澤穂信ですよ。「議論としては傾聴に値するが、小説としては少し距離が空くことがある」と。言うなあ。
マライ ああ、まさに関節技が極まった瞬間のような。見事な一本です。
原田ひ香『#台所のあるところ』京極夏彦評に納得
マライ 「作中作TVドラマがつまらなそうで、みんなが観る話題作になるとは思えん」という見解が選考委員の間で優勢だったことが窺えます。私が言った「視聴者の解釈レベルが均等っぽいのがちょっと」よりも厳しいなぁ。もしあのドラマが『VIVANT』みたいな内容だったらどうだったのか。視聴層が違いますか(笑)。
杉江 ドラマにあまり関心がない読者なもので、正直あれがどのくらいのレベルかわからなかったのですが、意外と評価が低かったので、ちょっと驚きました。往年の『やっぱり猫が好き』みたいなものかと思って読んでいたのです。
マライ いや……確かにあんまし面白くなさそうなんですよ。ゾンビとか出てこないし(そうじゃない)。
杉江 おみゃあに食わせる飯はにゃあ、とか富士真奈美が言うようなドラマだったらよかったんですかね(『細うで繁盛記』)。
マライ 絶対そう。でもそれだと小説の本筋が歪みそうだな。
杉江 「あるドラマへの共感を導因として、視点人物が日常に伏在する不協和音の認知→その原因の顕在化・明確化→原因の排除/容認による日常への回帰という“物語”を獲得していくスタイルの連作でもある。作中のドラマが凡常なのは作中現実のプロトタイプとして用意されたツールだからだろう」「柔らかく読者を取り込む筆致は極めて秀逸であり、同一パターンのヴァリエーションを現実の相似形とし、入れ子構造で展開する企みは見事に成功している」という京極夏彦さんの評は、すべての話を引き出すためのプロトタイプだから、ドラマ自体はつまらなくていいんだ、ということですね。これは納得しました。これは、今まで書かれた『#台所のあるところ』評のベストだと思います。
マライ 京極さんの見解は素晴らしいのだけど、それで構造的に見事に肯定しちゃうなよぉぉぉ! と邪悪な私は思うのであった。
杉江 ドラマ問題はさておいて、好意的なものだと「そこには深刻な差別もジェンダー問題もふくまれていると思うのだが、まったく力みなく描かれていて、その力みのなさが魅力的だった」という角田光代さん、「主人公たちが直面する日常的な問題が『この悩み』と定められたようなものではなく、確かな生活館に根差した慢性的でうっすらとした憂いや怒り、諦め──しかし本当は諦めたくないと思っている等身大の複雑さを持っていて、いい文章や光る表現にたくさん出会えた」という辻村深月さんの意見に納得ですね。つまり力みとか、こけおどしの演出とは無縁で、日常の中で直面しそうな悩みを扱っているので、すっと気持ちが入っていける、ということだと思うんです。『三千円の使いかた』というヒット作のある原田ひ香さんの作家性をよく表している。逆に言えば、原田作品は一般人の感覚で読めるものが本当に多いので、この作品のような凝った構造は必要なかったのかもしれません。「短編、テレビドラマ、SNS、という複雑な設定にする必要があったのだろうか」と桐野夏生さんがおっしゃるように。
マライ 林真理子氏や浅田次郎氏が指摘しているように今回の候補作は『けんぐゎい』&『見えるか保己一』、『#台所のあるところ』&『多類婚姻譚』という二大相似グループがあって、しかも前者の存在感が圧倒的だったので、後者グループはどうしても影が薄くなってしまって残念ですね。
杉江 あの存在感の前にはどうしても割をくっちゃいますよね。原田さんは短編の巧い方なので、この後もきっと候補に挙がってくれるだろと思っています。
若林正恭『青天』教育的指導評多め?
マライ なんか、ガチで踏み込んだ見解が少ないように見えたのが印象的です。むしろ「ほんのり褒める」的なというかなんというか。構成と熱量のムラが見受けられる一方、スポーツバトル場面の疾走感と説得力はイイ! というのは杉江さんの見解と一致(第175回直木賞受賞予想)していて、ナルホドと思いました。
杉江 私はイイと思ったんですけど、アメフトの場面がよくわからなくてヨクナイ、という意見も多かったですね。「アメフトを全く知らない私は、描写を追っていっても競技の場面がよくわからず、この小説が内包している面白さをすべて吸収しきれなかったようです」という宮部みゆきさん、「かんじんのアメフトのシーンで、動きが見えてこない。作者は、競技の説明などよりも、スピード感をとにかく優先したのだと思うけれど、どんなことが起きているのか見えてこないのはもったいなく感じた」という角田光代さん。
マライ それはそうですよ(マライと同じ)。でも逆に「知らない人にも情景が見える!」という見解があり、むしろ驚いた次第。
杉江 アメフトに対する解像度がみんな違うんですよね。そこがちょっとおもしろかった。
マライ やはり、「用語が耳慣れない」のはマイナス要因かもですね。
杉江 踏み込んだ意見がないというのと同時に、なんか教育的指導の評も多くなかったですか。いいかい、こうやって書くんだよ、みたいな。
マライ ああ、それはあるー! しかも割と無難っぽい範囲で。『けんぐゎい』&『見えるか保己一』グループに熱が集約してしまったためか、そもそも言及が薄い印象があります。
杉江 「一行空きの入れかたやエピソードの配置に、ややこなれていないところがある。たとえば、終盤の『江の島で見た鳥』については、それ以前にエピソードを通じてさりげなく触れておくと、より効果的になるだろう」という小説講座のような指導が入っている三浦しをんさんとか、「競技場面の描き方は巧みである」「技巧は十分にあるのだが、章ごとに情報の濃度や読者との向き合い方=文体に斑が出来てしまっている。場面ごとに細かく章を刻み、時系列に並べるというストレートな構造は、本作に於ては必ずしも正解ではなかったかもしれない」という技術論に踏み込んでいる京極夏彦さん。そして、ここでもキラー米澤ですよ。「作家にとっての基礎筋力たる文章の力において他の候補作とはやや差があり、小説の最高潮に他人の歌詞を置くことにはイエローフラッグを投げ込むが」って。
マライ やばいですよ米澤先生!「展開によってはめんどくさくなりそうな事案の始末人」みたいなポジションを早くも確立してしまったのか!
杉江 新規参入二回目で、早くも直木賞選考の台風の目となりましたね。というわけで、キラ―米澤の凄さを認識したところでまとめに行きますか。
直木賞選評総括⚫︎選評群をひとつのミステリとして読むのも可能か
マライ 『けんぐゎい』をめぐる選考会での議論をどう消化して表現するか、というのが選評の裏テーマになった感がうっすら感じられたのが、超興味深かったです。というかこれってポアロシリーズとかにありがちな「真相に至るための断片的な重要証言が複数並べてある」的な情景に見えなくもなくて、選評群自体をひとつのミステリとして読むことも可能かもしれない。たぶん狙っているわけではないでしょうけど(笑)。
杉江 個人的には『見えるか保己一』の受賞揺るぎなし、と思っていたので、同じように残念がってくれている、ように見える選考委員が多数いて胸が熱くなりました。選評を読んで勝手に怒ったり喜んだりして申し訳ないんですけど、それも一つの楽しみ方ということで。



































