水島かおりの半自伝的家族小説『帰ってきたお父ちゃん』が濃い!

文=北上次郎

 今月は、河合莞爾『豪球復活』(講談社)があるから楽勝だ、と考えていた。このガイドの見開きページの半分は、『豪球復活』の面白さを書くだけで埋まってしまうだろう。そうすると残りは半分だ。楽勝じゃん。ところが、ミステリー担当の古山氏がこれを取り上げるという。そうか、これはミステリーだったか。

 しかし私、この小説のキモはラストだと考えていた。野球小説であり、ミステリーでもあるこの長編の最大の美点はラストにこそある。どうやら私の担当ではないし、さらに小説のラストを割るのは論外なので、すべて曖昧にして書くしかないが、読後感がいいのはこのラストのおかげである。そしてそれこそが河合莞爾の、なにものにも代えがたいセンスの良さなのである。

 河合莞爾は二〇一二年に『デッドマン』で横溝正史ミステリ大賞を受賞してデビューした作家で、これまで数々の作品がある。それらの作品の中で、この『豪球復活』がどういう位置にあるのか、不勉強の私にはわからない。だから本来なら、私にこの小説をエラソーに語る資格はないのだ。しかし一つだけ確実なのは、これまでの河合莞爾作品を全部遡って読もう、と本書を読んで決意したことだ。『豪球復活』はそういうふうに決意させるだけの力に満ちた長編なのである。

 というわけで今月は、水島かおり『帰ってきたお父ちゃん』(講談社)から。なにげなく読み始めたらやめられなくなった。こんなに濃い物語を読むのは久々である。

 凄まじい喧嘩の日々が延々と続くのだ。語り手の「私」が高校生のころ、父親の頭に大ジョッキのビールをぶっ掛け、刺し身が載ったテーブルをひっくり返すのである。誰が? 高校生の「私」だ。止めるセッちゃん(母親のことをこのヒロインはこう呼んでいる)を庭にぶん投げ、大きなサイドボードをひっくり返し、もうめちゃくちゃである。

 セッちゃんと喧嘩になるとお互い顔が腫れるぐらい殴り合うし、そのくせ父親が寝入ったころを見計らい、すね毛がたくさん生えている父親の足にぐるぐると業務用強力テープを丁寧に巻いていると、いつのまにかセッちゃんがやってきて、一緒にぐるぐる巻くのだ。この母親も相当にヘンだ。翌朝、痛い痛いとわめきながら職人さんたちにガムテープを剥がしてもらっている光景を横目に見ながら、ふんと笑ってこのヒロインは登校するのである。

 というところだけ引用すると、このヒロインだけが問題であるような印象を与えるかもしれないが、父親がどうしようもない男であるのが最大の原因だ。働いても生活が楽にならないのは、父親が見境なくどんどん使ってしまうからで、これが尋常ではない。突拍子もないことを言いだしていつも家族を振り回すし、ヒロインはその父親を映す鏡なのである。

 著者は女優であり、脚本家でもあり、本書は半自伝的小説ということだが、いやはやすごい家族小説だ。

 次は、下村敦史『ロスト・スピーシーズ』(KADOKAWA)。がんの特効薬になる幻の植物「奇跡の百合」を探してアマゾンの奥地に入っていく物語である。この探検隊を組織するのはアメリカの製薬会社で、その会社を代表するクリフォードがリーダーだ。隊員は他に四人。まずボディガード役の金採掘人ロドリゲス。植物ハンターのデニス。環境問題に取り組む女子大学生ジュリア。そして日本人の植物学者三浦。厳しく採点すれば、これまでに何度も読んできたような話だが、そうか、おれはこういう話が好きなんだと気がつく。危険な生物と次々に出会い、さらに正体不明の敵に襲われ、おまけに探検行の目的もなにやら怪しく、定番通りの物語が始まっていくのだが、それを自分が喜んでいることに気づくのである。

 金沢知樹『サバカン SABAKAN』(文藝春秋)は長崎を舞台にした少年小説の連作で、映画監督が描いた原作小説。あとがきによると、ここに出てくる父親は著者の父親がモデルであるようで、そこでは次のように書かれている。

「父親はガサツな男でした。いつも金玉をかいて、酒をしこたま飲んで、タバコぷかぷか。会社を興して、すぐにそれを潰した挙句、借金をこさえ、女を作って逃げたり(まぁ結果的に帰ってきたんですが)、とにかく僕にとっては最悪の人間でした」

 おお、帰ってきたお父ちゃんがここにもいる。今年の坪田譲治文学賞はこれで決まりだという気もするが、それはまた別の話である。

 今月のラストは、「作家デビュー10周年記念作品」と帯についた畑野智美『若葉荘の暮らし』(小学館)。小説すばる新人賞を受賞した『国道沿いのファミレス』が上梓されたのは二〇一一年二月。そうか、もう一〇年がたっているのか。なんだか感慨深い。

 四〇歳以上の独身女性だけが入居できるシェアハウスを舞台にした物語である。

 語り手は、洋食屋アネモネでアルバイトしている望月ミチル。大学を出た直後の最初の職場では正社員だったが、それ以降はずっと派遣社員か契約社員で数年ごとに彼女は職場を変えてきた。

 現在の仕事は意外に自分にあっていて本人は気にいっているのだが、コロナ禍で売上がどんどん減っている店がいつまであるのかわからないし、将来が不透明で、なんだかなあという日々にいる。五年前に別れてからは恋人もいない。若葉荘に暮らす他の住人にもそれぞれの事情があるようで、生き辛い世を生きるそういう女性たちの日々を、静かに描いている。

(本の雑誌 2022年11月号)

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●書評担当者● 北上次郎

1946年東京生まれ。明治大学文学部卒。1976年、椎名誠と「本の雑誌」を創刊。以降2000年まで発行人とつとめる。1994年に『冒険小説論』で日本推理作家協会賞受賞。近著に『書評稼業四十年』(本の雑誌社)、『息子たちよ』(早川書房)がある。

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