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第14回

 月並みな話ではありますが、子供の想像力ってナマで見るとやっぱりすごいですね。カイトはこの頃、「ごっこ遊び」にハマっていて、その「なりきりっぷり」には感動すら覚えます。

 彼が一番好きな遊びは、例によって「おままごと」と「お人形遊び」なんですが(笑)、おままごとの道具があればそれを使いますが、特になんにもモノがなくてもやるのですよ。トイザらスで見つけた「こえだちゃん」というお人形のシリーズが好きで、そのメンバーに「きのちゃん」というお料理好きな子がいるのですが、彼は「きのちゃん」になりきってしまうのです。「ママ、きのちゃんとおりょうりするよ」と私をリビングの隅に連れて行くと、そこは彼の脳内ではもうキッチン。何もない空中で野菜を切り(もちろん切る真似)、見えないフライパンを動かし、透明の魔法のオーブンに料理を入れてチンし、「はいできあがり!ママ、たべて!」とからっぽの両手を大事そうに差し出してくれるのです。「うわあ、おいしそう、これなあに?」と聞くと、適当に「ホットケーキ」とか「アップルパイ」とか答えてくれます。「うん、カイちゃん、すごくおいしいよ!」と絶賛してあげると、彼は満足そうにまた次のお料理にとりかかります。飽きるまでエンドレスに……(笑)。

 お人形ごっこは、30センチあるような大きなぬいぐるみよりも、ちまちました手のひらサイズのお人形を使うのが好き。5センチくらいがちょうどいいようで、もっと小さいので遊ぶことも。コンビニやスーパーに行くたび買わされた食玩のアンパンマン人形やら、お姉ちゃんのがどうしても欲しくて、でも貸してくれないのでかわいそうに思ってカイト用に買ってあげた「お茶犬」シリーズあたりがお気に入り。お人形を両手で2体持ち、「ねえねえアンパンマン、ほら、こっちだよ~」「まってまって~、ここであそぼうよ~」「うん、いいよ~、じゃあすべりだいしようか~」と、興が乗るとひとりでずうっとしゃべりながら遊んでいます。これはどちらかというとママが参戦するのを好まないようで、ごくたまに相手をすることもありますが、たいてい自分ひとりで想像の世界に没頭しています。

 ブロックも大好き。「ママ、ブロックやろうよ~」と私もよくつきあわされるんですが、実はこれが悩みのタネで。もう親は想像力が枯れちゃってて、ブロックからモノをイメージして作るのが至難の業。何も思い浮かばない。ええっと、いったい何をどう作ればよいのだ……? しかし子供はあのただの四角いピースひとつでさえ、ありとあらゆるものに見えるんですね。いくつか色違いのピースを並べて、黄色はレモンアイス、赤はイチゴアイス、茶色はチョコレート、緑はメロンアイス、と言われたときには「おお!」と思いましたよ。そうか、形とか堅苦しく考えなくてもいいんだ。大人から見たらただの四角でも、彼の頭の中ではたちまちアイスクリームに変換できちゃうのね。

 床にブロックをいくつか並べて、カイトが「ロボット」を作ったときには目からウロコが落ちました。なるほど、3次元の立体に作るんじゃなくて、上から眺めた2次元状態で考えるわけか。ロボットっていうと、私なんかどうしてもこう足が地面から垂直に立ってて、胴体と頭が乗ってて、と考えがちなんですが、何もそう立体にこだわる必要もないのね。カイトからは「ママ、お城つくって」というリクエストをよく受けるのですが、これまた苦手で。えと、お城ってどういう形してるんだっけか……? 窓のピースはどこに入れよう? 奥の手としては「じゃあ、お姉ちゃんが帰ってきたら作ってもらおうか!」といってごまかす(笑)。彼女はこういうの作らせると、私なんかよりはるかに上手なので。

 大人になると、どうしても「常識」が邪魔をするのですね。確かに大人の社会で生きていくには、一般的なルールという意味の常識は非常に大事です。それがないと、他人とぶつかってしまうから。しかしそうやって感性を他人とすり合わせて、人と違うはみ出した部分を削ることにいつの間にか慣れてしまうと、気がつくと頭がカチンコチンに固くなってしまうのですね。常識以外の考え方ができなくなってくる。机は机に、椅子は椅子にしか見えない。

 いっぽう、子供は常識など持ち合わせていないので、それはもう無限大にいろんなものの見方をします。どんなものにでも、自由自在に自分の想像を投影することができます。単一乾電池はビールに、窓ガラスは学校の黒板に、布団は大きなプールに、台ふきんはマフラーに。や、カイちゃん、そのマフラーは首筋が冷たいからやめたほうがいいと思うんだけど(笑)。

「モノは単にモノである」という考え方をしないのも非常に興味深いところ。カイトはいつも寝るときに「パパ、おやすみ~」というのと同時に、「ブロック、おやすみ~」「パソコン、おやすみ~」「コップ、おやすみ~」と目に映ったもの手当たり次第に挨拶していくのです。これがまたかわいくて。彼にとっては、モノも人と同等なんですね。どちらも区別することなく、自分の「おともだち」と思っているのかもしれない。

 カイトの目に映る世界は、きっと明るく楽しいもので満ちあふれているんだろうなあ。子供と一緒にいるだけで、親にもほんのつかの間だけ、かつては自分も見ていたけどすっかり忘れてしまった、そういう世界を垣間見ることができるのです。これは子育てのおまけみたいなものでしょうか。子供の目線になると、世界はたちまち輝きに満ちたワンダーランドに変貌するのです。子供は未熟な存在、と今の社会では認識されています。確かにそれはそうなんですが、未熟=経験不足&常識がない、というのはある意味すごく素敵なことなんじゃないかな?と親バカな母はひそかに思うのです。だってカイトは、毎日本当にうらやましくなるほどニコニコと楽しそうですもの!