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第22回

 カイトのトイレトレーニングは足踏み中。相変わらずいくら誘ってもトイレには行かず、布パンツをぬらしては情けない顔で「ママ~」と言うばかり。1日何回もごんごんと洗濯機を回す日々です。それでも自分がした感覚はわかってきたらしく、まれに紙パンツにおしっこしたあとでも「ママ、ウンチ出た」と報告してくれるようになりました。エライ!でもそれ、ウンチじゃなくておしっこだから!(笑)逆にウンチしても言わないときもあるので、足踏みというよりは3歩進んで2歩下がる、というカンジですか。まあそれでも着実に前には進んでいる、と思いたい。

 話は変わりますが、先日、知人と話していたときのこと。お姉ちゃんがもう11歳にもなるというのに、いまだに甘ったれでグズグズ言うので大変困る、と私が愚痴っていたら「小さいときの甘えが足りてないんじゃない? 2歳半から保育園だったし、母親の愛情が足りなかったんじゃないの?」と言われたのです。もちろん相手に悪気はなく、そのときは「そうかなあ~」なんてへらへら笑っていたのですが、あとからずこーんと落ち込みました。

 いまだに3歳児神話が跋扈するこの世の中では、働くお母さんにとって「保育園に入れていた」というのは心のアキレス腱です。一番の弱点。そりゃ私だって、いちばんかわいい盛りの娘を預けたくなんかなかったですよ。でも働くためには他にどうしようもないわけで。それでいいのか、子供がかわいそうじゃないのか、働くのは己のワガママではないのかと、心の隅っこにいつもちくちくと後ろめたさを抱えつつ、それでも仕事をやめられなくて。そこに「保育園だったから親の愛情が足りなかった」というほどキツイ言葉はない。それは親自身にもどこか負い目があるから。

 今はまるで男の子みたいな娘ですが、当時のひーこは本当にお人形のようにかわいらしくて(すいません単なる親バカです)、一緒にいられる朝晩にはもうベタベタにかわいがったものでした。でも子供の相手をしながらも、確かに考えてみれば、脳みその半分はいつでも仕事やらネットやらが占めていた気がします。まだ若かったし、仕事も楽しくて、子育て以外にもやりたいことがいっぱいあった。毎日忙しくて、気持ちの余裕も時間の余裕もなかった。何をしていても「次はあれやって、これやって、その次はそれやって」と頭の中は常にスケジュールを組み立てていた。ひーこは、母親の気持ちが100%自分のほうを向いてないことになんとなく気がついていて、ひょっとしたらそれが密かに不満だったのかもしれない。

 まだ物心つかないうちはよかったのです。誰でも心から愛情を持って彼女に接してくれる人がずっと一緒にいれば、別に親じゃなくておばあちゃんでもかまわなかったのではないかと。でも3~4歳になってもういろんなことが理解できるようになると、そうはいかない。たとえば保育園の夏祭りに、私が休めなくて義父母に連れて行ってもらったのですが、そのとき娘は義父母に「じじとばばなの~?ママといっしょにいきたかったな~」と言ったそうなのです。やっぱり子供としては、誰よりも自分の親と一緒に行きたい。替えはきかないのです。しかし、私はサービス業という仕事柄、土日にいつも休むというわけにはいかない。運動会なんかは休みをとったけど、さすがに保育園のすべての行事に参加するのは不可能だったのです。

 娘は小学校低学年の頃、私が庭仕事をするのもすごく嫌がって、いつも家の中から「ママ!もうおうちはいって!」とえんえんと叫んでいました。あれも今思えば、親が自分以外のことに夢中になっているのが不満だったのかもしれない。でもカイトは、私が1時間くらい庭仕事をしていてもいっこうに平気なんですよ。勝手に部屋でひとりでブロックなんかやって遊んでる。おなかがすくと「ママ~、なんかお菓子ちょうだ~い」と訴えてきますが(笑)。彼は朝から晩までママと一緒にいるし、私も今は専業主婦で外で働いてたときほど激しく時間に追われることがないので気持ちの余裕がある。ゆえにカイトは毎日たっぷり愛情をもらっており、精神的に満たされているから、ぐずらないのか?

 じゃあひーこが今だにグズグズの甘えっ子なのは、幼いときに私がたっぷり甘えさせてやらなかったせいなのか?愛情不足だったのか?保育園に入れたのが間違っていたのか?と思うと、正直かなり凹みました。でもどうだろう?本当にそうなのかな?

 もともとひーこは甘えん坊な性格だったような気もするのです。彼女の生まれつきの個性。加えて8年半もママを独り占めしてきたのに、突然弟に取られたのが気に入らなくて、自分の目の前でいちゃいちゃするママと弟に対するやきもちでグズグズ言うようになったのではないか。お姉ちゃんという立場に、スムーズにギアチェンジできなくて、それがグズグズという形で現れたのではないか。よくよく考えてみると、ひーこがいまだに甘ったれなのは、何も「保育園だったから」という理由ではないような気がしてきたのです。カイトがのんびり屋なのも、あくまで彼の個性で。

 何かというとすぐ「保育園に入れたから愛情不足」というふうに考えるのって、あまりに短絡的というか、世の働く親に対する侮辱に近いのではないでしょうか。何も四六時中一緒にいるだけが愛情とは限らない。保育園で集団生活をするのも子供にとっていい刺激だし、親だって育児ノイローゼになることもない。家庭で育てるのと保育園で育てるのと、どっちが正しくてどっちが間違ってる、なんてことはないはずです。それはそれぞれの家庭の事情・選択なんだし。うちは確かに一緒にいる時間は長くは取れなかったけど、胸に手を当てて思い返しても私はものすごく娘を愛していた、それだけは神様の前でだって堂々と言うことができます。そう思ったら、凹んだ気持ちが復活してきました。

 その後、娘に「あのさあ、小さい頃、保育園に入れられてさみしかった?」と聞いてみたのですが。彼女の答えは「え~、別に~?」という、拍子抜けするほどなんともあっさりしたものでした。な、なあんだ、ママがあれほど悶々と悩んだのはいったいなんだったんだ!(笑)