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第3回

■クロコ、はねる!

 営業時間の問題があった。それはつまり、どのような形態の店にしようかということでもあった。開店しておいて何をいまさらの言い種だが、正直、まだどのような店として営業していくのか自分の中ではっきりとしたものが出来上がってはいなかったのだ。
 もちろん口ではきっぱりとしたイメージを言ってはいた。
 立ち飲み屋。海外初の日本風立ち飲み屋。おりしも日本では、立ち飲みが新しい飲み屋の形態として街を席巻し始めていた。
 もともと立ち飲みの雰囲気が大好きで、そんな店ばかり選んで飲み歩いていたのだが、それを海外でやっちまおうというこのセンスがすごいと自画自賛。カフェ・ビエンチャンでもジンギスカンとともに、この立ち飲み構想は決して忘れられることなく専用の大カウンターをこしらえたまではよかったのだが、いざ店を開けてみると、どうにもしっくりこないのである。当然だ。もし立ち飲み屋をやるのなら、テーブルも椅子も置かずに立ち飲みに徹底しなければいけないところを、店内のレイアウトはテーブルと椅子のほうがしっかりと存在を主張しちまっているのである。これでは立って飲めというほうが無理というものだろう。
 しかしだからといっていまさら椅子とテーブルを取っ払う勇気もない。そこは小心なオヤジである。作ったものはとにかくなんでも使ってしまおうという貧乏根性だ。ほんとうは百行書いても削りに削って二行しか使わない文章書きの基本と同じように、飲食店もあえて使えるものを仕舞い込んでシンプルに徹するというのがデキル店主のやりかたなのだろう。だがおれは飲食店は始めてだもんと開き直り。それに店作りで忙しく、ついでに食べ飲み歩く金もないこともあって、カフェ・ビエンチャンの周囲半径五十メートルくらいしか土地の様子がわからないということもあった。一応、旅行者を含めて地元ラオス人が気楽に来てくれる店を考えていたが、それとて考えていただけで、実際に他の飲食店がどのような客層を取り込んでいるかなどさっぱりわからない。
 まあ、やっているうちに何とかなるだろう。そう考えての開店だったが、初日の客がたった二人では考えようにも何も出てこない。もちろん立ち飲みなど論外だ。なにしろクロコ先生が無理やり呼びつけて、無理やりこれを食えと料理を押し付けただけの客なのである。そんな客からどのような店形態がいいかなど読み取れというほうが間違っている。
 ではもとにもどってカフェ飯を出すおしゃれ系でいくのか。
 しかしそれはやはりおっさんとして自負が許さなかった。だいたいいい歳したオヤジが、喫茶店のランチならまだしも小じゃれただけで中身のないカフェ飯でもあるまい。オヤジならオヤジらしく、しっかりと腹にたまる泥くさい飯を出したい。カフェ飯なんぞ作れと言われりゃいくらでも作ってみせるが、あえて作らないのは文章作法と同じである。その余裕こそが、店の品格を生む。
 などと偉そうなことを言っても、初日に二人しか客が来ないんじゃあ何も言えんしなあ。
 と頭を抱えたところに、またしてもクロコ先生である。
「ランチタイムに生徒を連れてきますね」
 夜だけの営業ではなく、ランチタイムも試験的に営業してみようということで、午前十一時半から午後二時くらいまで、夜の料金よりも若干安めにしたメニューを出そうと考えていたのだ。ちょうどカフェ・ビエンチャンの隣りと向かいが、昼だけ開けるランチタイム専門のラオス料理屋だったこともある。近所に国立銀行や情報文化省などがあって、昼休みのサラリーマンやOLが毎日昼食に押しかけていたのだ。一品が二〇〇〇キープから三〇〇〇キープのおかずを、何人かで数品頼み一緒に食べる。ラオス流の定食屋である。カフェ・ビエンチャンも一品一〇〇〇〇キープ前後のランチメニューを出せば、彼らが食べに来るのではないか。そう踏んだのだ。
 しかしクロコ先生は初日二人という客数が、よほどトラウマとなったのであろう。黙って待っているだけでは客など来ないと、俄然覚醒してしまったのである。もともとオープン前から張り切っていたのだが、初日の惨状が彼女がもともと持っていた水商売やる気モードに火を点けたということもあった。学生時代には、ベトナムの民族衣装アオザイが着たくて入ったエスニック料理屋で、張り切りすぎて受けた注文をすべてありません! と連呼してしまい、アオザイのユニフォームを剥奪されて厨房の下働きに降格させられた経験もあるという。その恨みをビエンチャンで晴らそうとしたのか。
「自分の受け持ちの生徒を連れてきますから、料理のほうは頼みますね」
 日本語を習っている生徒には、実地訓練にもなるとわかったようなわからないような理由付けで帰ったクロコ先生は、翌日しっかりと生徒十数人を引き連れてやってきたのだが、問題はそのことではなかった。そのランチタイムにたまたまやってきた地元新聞『パサソン』の記者である。もともと彼はカフェ・ビエンチャン開店前から顔を出していて、クロコ先生などとも顔見知りではあったのだが、ちょうどやって来たのをいいことにクロコ先生が開店を宣伝しまくったのである。それも新聞に載せろと強要したらしいのだ。
 まあそのくらいのことなら日本でもよくあることだ。知り合いの新聞記者に頼んで、店の開店やイベントを記事にしてもらう。町の小ネタニュースに飢えた記者にとっては、うれしい申し出でもあり、店主にとってはただの宣伝にもなるというおたがい持ちつ持たれつの共同作業である。
 ところがこのパサソンの記者はどこをどう聞き間違えたのか、記事にするのではなくカフェ・ビエンチャンの広告を紙面にデカデカと載せてしまったのである。紙面四分の一の大きさだ! インターネット・カフェに貼ってもらっていた開店チラシをそのまま縮小して使用したのである。

 三日後に掲載紙を持って現われた彼は、当然ながら広告料金表をもう片方の手に持っていた。
「この大きさだと三十ドルになりますね」
 好意で載せてくれたのか。さすがラオスだビエンチャンだと思って掲載紙を眺めていたおれに冷や水を浴びせるようなひと言。
「ちょっと待て。金を取るのか?」
「当然ですよ。広告ですよ」
「だれが載せろって言った」
「クロコさんが…」
「言ったのか?」
 おれはランチタイム・ウェイトレスでお盆を持って走りまわっていたクロコ先生に尋ねた。
 返事はあっさりしたものだった。
「言ってませーん! 紙面で宣伝してねって言っただけでーす!」
 クロコ先生はラオス語できっぱりとパサソン記者に答えた。
「だってよ」
 呆然とする記者。
「でも、広告がこうやって…」
「知ったことか。だいいち三十ドルなんて金はない!」
 おれは立ち上がった。
「はいはい。ランチタイムです。注文がなければ帰ってくださいね。食べます? じゃあ早く早く注文してくださいね」
 広告のことなど知ったことかといった顔で、クロコ先生がパサソン記者から注文を取った。何がなんだかわからぬまま席から立ち上がれない記者。そりゃそうだろう。何をどう勘違いしたのか、勝手にカフェ・ビエンチャンの広告を新聞紙面に掲載してしまい、あげくに掲載料も回収できないままランチだけ食わされるのだ。これぞ日本流資本主義のエゲツなさというものなのか。それとも単なるボッタクリの店か? いやいやこれぞクロコ流営業力というものだろう。
「はいはい。角煮丼はおいしいですよー」
 スターウェイトレス・クロコはやる気満々であった。彼女をこのまま店の選任に引き抜こうか。日本語教師にしておくなんざもったいない。本気で思った。
 しかし彼女は日本語教師の任期も終わり、帰国の日が近づいていた。いやいや。その前にスター・シェフである博士の帰国もあった。
正直彼女ら二人の力でカフェ・ビエンチャンは保たれているようなものだった。
 この先どうなるのか。
 考えたくなかった。
 それにしてもパサソンの記者はそれ以降顔を見せてはいないが、左遷させられたのか。あるいは強制収容所送りか。知ったことか。お前がボケッとしてるから悪いんだぜ。ちなみに“パサソン”とはラオス語で庶民の意味である。庶民から金など取ろうとするから、そういうことになるのだ。とにかく、カフェ・ビエンチャンは前途多難ながら、おおいに滅茶苦茶な船出なのであった。

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