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第19回

■どんなに現実的な人間でも、ときには国民性なるものを信じざるをえないことがある

 国民性というのは信じるに足るものなのか。たとえばドイツ人は勤勉でスコットランド人は金銭に細かく、フランス人は好色で韓国人は激しやすく中国人は我がままで日本人は態度が曖昧。言われてみたらそんなものかなと思いはするが、いっぽうで違うだろうという気もする。怠惰なドイツ人だって数多くいるはずだし、浪費家のスコットランド人だって穏やかな韓国人だって数多いはずだ。そうでなければ中国に礼節を重んじる孔子は生まれなかっただろうし、物事をあいまいにせず同僚にも厳しい中田英寿は日本人としてサッカー日本代表になることもなかっただろう。もっとも中田英寿の場合は、曖昧な代表選手の中で一人浮き上がってはいたのだが。
 おそらく国民性というのは、他国の人々がその国の人々を一口で評するためにまとめあげた多分に勝手でご都合主義的なイメージにしかすぎないのだろう。一人一人と付き合えば百人百様。言われている国民性など、そうそう当てはまるものではあるまい。そう思っていた。
 だがラオス人は違った。お金は好きだが働くのが嫌いで、約束はすぐに忘れ、できないことまで引き受けて困るとすぐに逃げる。ついでに男も女も絵に描いたように好色。良く言えば究極の快楽主義者。悪く言えば自覚なき無責任を当たり前とする人々。外国人が伝えてくれるところのそんなラオス人気質とやらを、彼らは皆みごとなまでに体現してくれちまうのである。すこしくらい裏切ってくれてもよさそうなものなのだが、誰も彼もが呆れるくらいにラオス人してくれるのが、もどかしいといおうか笑えるといおうか。
 そして長くドイツに留学して西欧的思考に慣れ親しんでいると思っていたチャンタブンもまた、ラオス人だった。
 ところで先に書いたラオス人気質は、どれもこれもいいところなしの最低気質ばかりに思えるだろうが、いざラオス空間に生活してみると、これがどうして、人が生きていくには結構正しいのではと思えてしまうから不思議なものだ。お金が好きなのに働かないのは、働くと疲れるという明確な理由があるからだし、約束をしてもすぐに忘れるのは、忘れて困るような約束などほとんどしていないからだ。だから何でも安請けあいする。任せておきな。そしてできなきゃ知らんふり。まあしゃあないやんけ。そう。ラオス人にとって人生の一大事とは、今夜のビアラオに酔うことと、いい男いい女と恋をすること。ベサメ・ムーチョ! これだもん、ラオス人に合わせた生活してりゃストレスが感じられないわけだって。人生に目的はいらない。ただすべてをあるがままに。レット・イット・ビー! 最高だぜ! 鬱を治したけりゃラオスにおいで。二週間もすれば、立派に楽しい高田純次になっている!
 しかしだ。それはあくまでもラオス人に合わせた場合のことで、こちらが近代明治以降の西欧化日本人を貫くとなると話は違ってくる。今晩電話すると言いながら三日経っても電話してこないチャンタブンにおれは切れた。
「あの野郎…」
 のんびりしていてもいい状況ではなかった。入金したその日のうちに引き出せるからと借りたお金が口座に入っているのだ。それが引き出せなくなっている。口座凍結。北朝鮮。金正日の心境がまさにいまのおれだった。
 そしてチャンタブンにようやく電話が繋がったのが、口座を凍結されてから一週間ほど経った五月も末のことだった。
「すまないクロダ。出張でサワナケットに行っていたんだ」
 ほんとうか? という言葉をおれは呑み込んだ。ここでそんなことを詮索しても始まらない。まずは銀行が口座凍結解除のために出した条件である、店の営業許可を早急に取ることをしなければならない。そのためには、営業許可申請をしてくれていたチャンタブンの力がどうしても必要なのだ。
「許可申請のための検査は済んでいる。でも検査から時間が経っているのが問題だ」
 日本で飲食店を始める際に保健所の検査が必要なように、ラオスでも保健所や警察の店舗検査が必要だった。それを仕切るのがビエンチャン市の観光局。なぜ観光局がレストランの許可申請を受け付ける機関なのかわからないが、そうなっているのだからしょうがない。で、カフェ・ビエンチャンは、おれが店作りを始めて早々の二〇〇四年十月末に、観光局が中心となっての保健所、警察を含めた開店のための店舗検査が終わっていた。
 ところがだ。その検査から店がオープンするまで約一年近く。さらにオープンしてから七ヵ月近くを営業許可申請せずにやり過ごしていた。それもこれも申請時に沿えて提出する銀行の口座残高証明書が取れなかったからだが、その時間の経過が思わぬ事態を招いていたのである。せっかく終わった店舗検査の検査証明書が見当たらないというのである。この検査証明書がなければ営業許可申請はできない。一つがクリアされたら一つがダメ。最悪である。
 最悪なのはしかしチャンタブンの言い方だった。
「検査許可証はクロダが持っていたと思うけど」
 ちょっと待て。いくら物忘れがひどいからといっても、あのときのことはきちんと覚えている。何しろやって来た観光局や日本で言えば町の単位にあたる村の役場の人間や保健所の係員などに、検査後近所の食堂で飲食接待した末、観光局のトップには十ドルの賄賂まで渡したのだ。すべてチャンタブンの支持だったのだが、書類を早く確実に通すためのラオスの流儀だと聞いて、驚きながらもそうかと納得したことを強烈に覚えている。賄賂だぜ。袖の下だぜ。へへへっ、お代官様…。まったく役所の人間というのは、日本もラオスもやることは一緒だと苦笑いしたものだ。そしてそのときに各役所の係の者がサインした検査証明書は、チャンタブンがこれで大丈夫だから後は任せろと持って行ったことも、おれはしっかりと覚えていた。
 それをおれが持っているだと?
「おれは持ってない。チャンタブンが持って行ったじゃないか」
「そうかなあ。うちで探したけど見当たらないし、クロダだと思うけどなあ」
 だいたいラオス語を読めず申請する観光局がどこにあるかも知らないおれが、そんなものを持っているわけがない。許可申請に関しては、チャンタブンとブンミーさんにすべてお任せだったのだ。
「持ってない!」
 おれはきっぱりと言った。
「わかった。探してみるよ」
 ところがだ。その言葉もむなしく、いくら待っても返事が来ない。業を煮やして電話をしてみると、チャンタブンも探したが見つからないというお答え。さらにこう付け加えてくれたのだ。
「クロダが失くしたんだろ」
 どうしておれが失くしたことになるのだ。信頼して、許可申請のことは任せきっていただけに、あまりにも無責任な言葉に腹が立つ。
「どうでもいいが、こっちはお金が下ろせなくて困っているんだ。何とかしろ! そもそもお金を入れてもすぐに引き出せると言ったのはチャンタブンだろ!」
 近代日本人感覚に入っていたおれは声を荒げた。
 チャンタブンは困った声で答えた。
「何とかするよ」
 しかし何ともならなかった。それから一週間音沙汰なし。携帯に電話しても繋がらない。
連日朝昼晩と何度も電話したが駄目。ようやく繋がったのは、間違ってコールボタンを押したからなのか。怒りに沈んだおれの声に、あたふたしているチャンタブンの様子が目に浮かんだ。
「あ、ああ。クロダ。元気か」
「元気なわけがないだろ」
 言ってやった。
「電話しようと思っていたところだ。書類の在り処がわかった」
「ほんとうか!」
 声が裏返った。これで何とかなる。そう思った。
「ああ。役所が持って行ってた」
 そうだろうとも。おれが持っているわけがないのだ。
「だが役所では、どこにあるかわからないって言ってる」
「なんだって?」
「正式な申請手続きがあまりにも長い間されていなかったので、そのあいだになくなってしまったらしい」
「なくなった…」
「でも大丈夫だ。どうにかする」
 チャンタブンが、はっきりとした声で請合った。
「ほんとうか?」
「だいじょうぶ。任せておけ」
 それが安請け合いだったと知るまで、そう時間はかからなかった。

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