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第61回

G-DIARY (ジーダイアリー) 2009年 05月号 [雑誌]
『G-DIARY (ジーダイアリー) 2009年 05月号 [雑誌]』
日本出版貿易
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悦楽的男の食卓 (中公文庫ビジュアル版)
『悦楽的男の食卓 (中公文庫ビジュアル版)』
西川 治
中央公論社
816円(税込)
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TEBA MADNESS―男の料理 手羽
『TEBA MADNESS―男の料理 手羽』
西川 治
マガジンハウス
1,427円(税込)
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■わたしの青空、わたしの師匠

『Gダイアリー』というバンコクで編集されている日本語の月刊誌がある。風俗関係の記事を主体とする雑誌と謳っているのだが、実際はアジア各国に暮らす人々を生活者の視線からルポした記事が中心のノンフィクション雑誌である。これがとにかく面白い。バンコクでホームレスになってしまった日本人オヤジに密着取材したかと思えば中国珠海の売春宿に潜入し、さらに東南アジアに伝播し騒乱を巻き起こした毛沢東思想の道筋をたどったり韓国竹島に上陸したりもする。大手雑誌メディアがやらないような企画をどんどん出してくる。少々下品ではあるが志すところはまっすぐでしかもすこぶる元気だ。かつておれが編集していた"BANZAIまがじん"という雑誌の匂いがどことなく感じられて大好きな雑誌である。
 その元気な『Gダイアリー』二〇〇九年五月号の特集が面白かった。"購買力平価から見たバンコクvs東京"と題して、バンコクに住む四十歳タイ人のサラリーマンと東京に住む四十歳日本人サラリーマンをモデルに、給与、生活費、社会保険などさまざまなファクターを数値で比較し、どちらの都市が住みやすいかを見たものだ。内容は細かくなるので読んでもらいたいが、結論からいうと、バンコクのサラリーマンの給与所得は東京のサラリーマンの65パーセントでしかないのに、可処分所得(自由に使えるお金)においてはバンコクのサラリーマンのほうが1・7倍も上だというのだ。しかも実際の貯蓄可能額も日本円にして月額五万円も上になるのだという。つまりリッチなわけ。
 このことはビエンチャンにもあてはまる。いや。日本以外の多くの国にあてはまるのではないか。ビエンチャンに住むラオス人のほうが日本に住む日本人よりも金銭的によほど豊かに思えるということは以前書いたが、細かな数字を出して比較検討されたこの特集を読んで大いに納得した。諸外国と比べて決して低くはない所得を得ているはずの日本人が、なぜ幸福を感じられないのか。貧乏だからだ。明日生活していけるかどうかわからないからだ。生きていくのが不安だからだ。何がエコポイントだ。定額給付金だ。高速道路一〇〇〇円だ。笑わせるぜ。
 とここでさらに怒りの効果をあげたい方は、"怒髪天"が唄う『労働CALLING』をおかけください。どうぞ〜!

 さてさて話はさらに展開する。
 閉店することが知れ渡ったせいもあったのだろう。店は大忙しだった。さらに仕事の任期が切れて日本に帰国する常連も多く、送別会のための貸し切り予約もいつもの月より多くなっていた。
「みんないなくなりますね」
 アラ主任が寂しそうに言った。
 おれは応えた。
「"遠ざかる記憶のなかに花びらのようなる街と日日はささやく"」
「何ですか、それ」
「寺山修司」
「"明日という字は明るい日と書くのね"」
「それは?」
「ずいぶん昔に流行った歌謡曲の歌詞」
「......」
「ミック・ジャガーは唄った。アイ・キャント・ゲット・ノウ・サティスファクション」
「もういいです。今晩の仕込みしますよ」
 ビエンチャンにミック・ジャガーが来たのは二〇〇六年の四月だった。
 話を聞いたときは嘘だと思ったが、ビエンチャン・ワッタイ空港の管理をしている知り合いに確かめてもらったというKさんによると、入国者リストには確かにマイケル・フィリップ・ジャガーというイギリス人の名前があったそうだ。自家用機で中国から入ったらしい。ちょうど中国でローリング・ストーンズのコンサートがあった時期と重なるではないか。
 しかしなぜラオスに? 広報センスまるでなしの外務省が日本文化紹介と称して送り出すかもしれない天童よしみだって、ラオスが大好きになるとは限らない。マハリシ・ヨギにはまったビートルズもインドに行ったはいいが、その後は知らんふり。ましてや"ローリング"ミック・ジャガーがラオスにはまる理由など蚊の目玉ほどにもないはずである。それともひょっとしたら、メコン河沿いに建つドンチャンパレス・ホテル向かいにあるラオス家具ギャラリー経営のイギリス人オバチャンを訪ねてきたのだろうか。ギャラリーの壁にはミックと親しそうに頬を寄せ合うオバチャンの写真が貼ってあるのだ。友だちか。そうだ。それ以外に考えられない。
 おれはミック・ジャガーに会うために連日近所をウロウロした。しかし会えなかった。十メートル歩けば知り合いの二,三人に必ずぶちあたる狭いビエンチャンで、これは違う意味で奇跡である。
 奇跡は二度起きた。自分探しの旅に出ていた中田英寿がビエンチャンに来て近所をウロウロしていたにもかかわらず、またまた見つけることができなかったのだ。
「ああ。一緒に穴掘ってた奴が、散歩してたのを見つけてサインもらってたな。すぐそこ」
 カフェ・ビエンチャンのそばで古い寺院跡を発掘調査していた考古学者のKさんがサラリとおっしゃる。
 なんと! ビエンチャンのサッカー好き日本人たちが血眼になって探していたにもかかわらず誰も会うことができなかったナカタが、たまたま穴を掘ってた、さしてサッカー好きとも思えぬ男にサインしただと!

 少年兵追ひつめられてパンツ脱ぐ 山田耕司

 よくわからぬ句だが、追いつめられてもいないのに安易にサインするな! ナカタ! するならおれだろ! と言いたいのだ。
 などと大騒動の中田英寿inビエンチャンだったが、話は大きく転じてカフェ・ビエンチャンの料理について。
 店で出される料理は閉店が近づくにつれてますます磨きがかかっていた。もう、作っているおれは神がかりである。すべてがうまい! 自分で食ってうまい! 自慢自賛絶賛降参! ついでに客もうまいと言ってくれるから、駄豚もおだてられりゃあ木に登る。ますますやる気が増す。しかし残念だが閉店はもうすぐだ。もうカフェ・ビエンチャンの料理は食えなくなるぞ! 惜しい! 実に惜しい! ということで一人いい気になって騒いでいると客も釣られるもので、そんなものかと連日満員。そこのところは閉店間際になってやたら客が入り始めるデパートと変わりはないが、実際のところ客の入りの増大は閉店が影響してというよりも、味を含めた店の存在自体がようやく認められての結果だとおれ自身は思っていた。まあ、閉店を間近に控えていまさらなんだけど。
 ところでおれの料理は台所での日常で鍛えたまったくの独学だが、勝手に師と仰いでいる料理人が一人だけいて、その人の料理本はおれの宝。西川治氏の本だ。
 西川治氏は写真家だが、料理好きが嵩じて香港とイタリアに料理修行に行ったという変り種。以来、趣味だったはずの料理はプロの域に達し、何冊もの料理本を上梓するようになった。
 作る料理の幅も広く、修業した広東やイタリア料理だけでなく東南アジアや中東各地の料理までモノにしている。八〇年代初頭にタイ料理の作り方を早くも紹介しているなど各国料理への造詣も深い。しかもそれらの料理はどこまでも本格派だ。
 しかし素晴らしいのは氏が作る料理だけではない。その料理の作り方を紹介した本が素晴らしいのだ。
 もちろん写真家だけに、載せられている料理の写真はどれも艶めいて見れば必ず食べたくなること必至。レシピ通り作れば、必ずうまいものに仕上がるというのも料理本としては合格である。本に載ったレシピ通り作れば誰でも美味しく料理が仕上がると思いがちだが、実はこれがなかなかに難しくて、さらに書いている料理人の味覚と合わなかったりするともう最悪。おれにとっては魚柄仁之助氏がそうで、料理に対する考えは大いに触発されるのだが、いかんせん味が合わない。だから氏のレシピで料理を作るとどれもこれも不味いということになってしまう。料理本は奥が深いのだ。
 幸いなことに西川治氏の料理は、おれの味覚にぴったりらしい。どれを作っても美味い。しかしそれだけがおれに氏を師匠と仰がせている理由ではない。何といっても凄いと思うのは、氏の料理本がすべて"読める"ということなのだ。料理本には珍しく、レシピとともに必ず小さなエッセイ風文章が載せられているのが特徴の氏の料理本だが、その文章のうまさは料理のうまさに勝るとも劣らないほど。料理を作らず読むだけでも満足できる料理本なのである。しかもそのエッセイ風文章のなかに作り方を混ぜて込んで書いてしまうという離れ業。こんな料理本がほかにあるだろうか。おれが以前出した料理本は、実は氏のマネをしてこの"読める"という部分を前面に押し出してみたのだが、やはり師匠には敵わなかった。負けました。
 西川治氏の料理本は、ビエンチャンにも持参した。『悦楽的男の食卓』『西川治の酒肴大全』『西川治の酒後の飯』『男の料理1すじ肉』『男の料理2内臓』『男の料理3手羽』の六冊。いずれも料理の参考とさせてもらっただけでなく、厨房での空いた時間を埋めるために何度も読み楽しませてもらった。
「この本に出てる料理は写真見てるだけでも食べたくなりますけど、読めばもっと食べたくなりますよね」
 アラ主任がページをめくりながら口にした言葉である。
まったく同感。悔しいが。
 しかしおれもビエンチャンで成長した。店に鍛えられた。負けんぞ。
 いまさらだけど。
「さあ! 仕込だあ!」
 おれは開いていた西川料理本を閉じた。
「はいな!」
 アラ主任も立ち上がった。
 閉店までもうすぐである。

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