WEB本の雑誌

第65回

■長いお別れ1 ビールのグラスを高く!
 
 さて。ビエンチャンでの大騒ぎもそろそろ終わりに近づいてきた。店作りに関してを記した『〜大作戦』からだと五年以上になる長かった連載も、この回を含めあと三回。よくもまあ続いたもんだと自身で感心というより呆れている。はっきり言って店の営業期間より長い。自分で自分を笑ってやりたい。
 しかしどうしてこんなに連載が長引いてしまったのだろう。そうだ。思い出した。油切れしたおれの記憶装置を蹴飛ばして擦り切れたデータを引き出してみると、そもそもこの連載は、店作りを含めて、その時々のことを同時進行で記していこうというのが編集者の狙いだったのだ。ブログみたいなもの。だがブログ好きな若造諸氏諸嬢と違って、日記形態のライブ文章というのが大の苦手である。夜は酔っぱらっていて文章など書けないし、翌日の朝は二日酔いだ。昼間は世界平和について沈思黙考。ついでにこのときは店舗物件探しや店の改装で忙しかった。疲れてその日のことなど覚えちゃいない。だがオヤジだから昔のことは思い出される。そこで話の始まりを二年以上前のことからにした。当然店作りと同時進行ではなく話は後追いとなり、さらに遡った二年分が加わり長くなった。もちろん老いて性格がシツコクなったオヤジならではの、あちらこちらに話が飛びまくってしっ散らかったことも要因にある。すべての要件が長くなれとおれに囁いていたのだ。
 ついでにいうと、連載を始めた当初に編集者が考えていたのは、結局店は完成することが叶わず三カ月ほどで日本に帰ってくる空騒ぎの記となるというものだったらしい。はははは。すまんな。おれはシツコイんだ。もっとも編集者だけでなく、周りの九十七パーセントくらいの人間は失敗して帰ってくると思っていたらしいが。
 というわけで店作りをする連載は終わったのだが、予想に反して店が開店したものだから編集者は慌てふためいた。まさかの営業である。想定外である。そうとなったら今度こそビエンチャン・ライブを書かせようじゃねえか。そう目論んだと思われる。だから題名も"只今営業中"としたのだろう。営業日記である。今度こそブログである。だが日記もブログも苦手なことはかわらない。もっといえば人間の日常の営みというのは、どんな職業についている人であれ、そうそう読んで面白いものではない。日常が面白く読めるのは小説になったとき。そう思っている。そこでまたもや書き出しを一年遡って始めた。長くなった。
 いずれにしても連載はもうすぐ終わる。しかも編集者の予想をまたまた裏切って、今度はつつがなく続くはずだった営業をあっさりと打ち切って閉店のお話。人生は不可解の連続である。まさにこの連載が小説ではないという証であろう。どうだ。イビチャ・オシムは言っている。予想のできる人生なんてつまらない。おれの人生は十分楽しい。
 店の閉店については常連に伝えただけで、特別な告知は何もしなかった。どうせ狭い町だから口コミで情報は伝わるに違いないとの判断からだったが、案の定、気がつくと皆知るところの事実となっていた。だからでもないが閉店セールもクリアランス・セールもなし。この半年間はただでさえ忙しかったから、最終日に向けてメニューの品数がどんどん減っていくというお疲れモードで終わることにした。だが友だちとは嬉しいもので、そんなふざけた終わり方をしようとしているにもかかわらず、ならばと毎晩休むことなく顔を見せてくれる。さらに"カフェ・ビエンチャンがなくなる前に、たっぷりとこの店を味わっておきたいんですよ"などと、涙が出るようなことを言ってくれたりもする。こういう言葉に涙腺の緩んだオヤジは弱い。弱いが泣きはしなかったのは照れくさいからだ。いい大人がベソベソ泣くな! と三〇〇〇本安打の張本勲さんもおっしゃっている。喝!
「この部屋でも飲めなくなるんですね。好きだったんですよ、ここ」
 と牛タンを焼きながら言うのはもちろん牛タン大王ヤマダ。二階にある特別宴会室である。普段はおれの寝室だが、たまに気が向くと、特別誂えのテーブルを出して宴会室へと変るのだ。この家に転がり込んで最初に改装にかかった部屋である。壁を剥がしたときにシロアリの大群が頭の上から降ってきたことが思い出される。デング熱のときにはここで唸り続けていた。窓の外には背の高い三本の椰子の木が風に揺れている。朝目覚めると必ず目にした景色。それがもうすぐ、おれの人生の点景になろうとしている。
「おれも好きだったよ。ここ」
 もう一部屋ある二階の部屋の壁はルアンパバン特産の厚い漉き紙を貼りめぐらせた。偶然見つけた美術学校で、特別に頼み込んで安く売ってもらったものだ。店作りの最初の頃だった。毎日、朝から晩まで紙に糊を塗り壁に貼っていた。いつ終るとも知れない単純作業だったが妙に楽しかった。そしてこのとき身にしみてわかったことがある。単純な肉体作業の現場には絶対的に音楽が必要だということだ。音楽があるとないでは、作業効率がてきめんに違ってくるのである。労働歌には歌われるべき聞かれるべき必然があったのである。
 ♪お母ちゃんのためならエ〜ンヤコ〜ラ
 何もかもがビエンチャンでは発見だった。こんなつまらない発見でも楽しかった。シロアリもゴキブリもネズミもバッタも、みんなみんな生きているんだ友だちなんだ。シロアリとゴキブリとネズミは友だちじゃないけど。
 とにかく世界は驚きに満ちていた。
 うつむき加減だったおれの人生は、ぐるりと回って前を向いた。
「今日は飲みましょう!」
 悪いが、何を言われようとやったモン勝ちだぜ! でも、人生に勝ちも負けも早いも遅いもないのだがね。
 さあ、ビールのグラスを高く!
 店は終った。

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