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第53回

■人生に意味はいらないがしつこさは必要である

 店は絶好調。しかし老いた母の身体の調子が悪いという知らせ。ビエンチャンと札幌。どうすればいいのか。
 などと考えていたのは一瞬。すべてはなるようにしかならない。悩むのは人生に意味を見つけたがる若造にまかせておけばいい。
 もっとも生物学においては、生物の基本となっている細胞がなぜ生きているかよりも、なぜ老いて死んでしまうのかのほうが実はよく分っていないのだそうだ。つまり生きていることが自然で老いや死は不自然なのである。自然であることを悩む必要はない。人生に意味などないのだ。ただ生きる。そして遊べ。楽しめ。
 と、ラオス人に学んだおれの当面の課題はプロレス興行だった。
 発端はブルースカイ・カフェのオーナー亀田さんだった。
「なにか楽しいことしましょうよ」
 カメちゃんが酔ったついでに口にする。まあ口癖みたいなものだから、いつもならふむふむと聞き流すのだが、そのときヒラメキの天使が思いつきの花束を手におれの肩先に舞い降りてきたのである。
 プロレスがあるじゃない。
 天使が耳元でささやいた。
 そうだ。それがあった。
 おれはカメちゃんに言った。
「日本からプロレス団体呼んで興行しましょうか」
「プロレスですか?」
 野球がスリー・アウトでチェンジになることも知らないスポーツ音痴のカメちゃんが首を傾げる。
「ラオス人て、どこの家でもよくプロレス中継を見てるじゃないですか。けっこう好きなんだと思うけど」
 ラオス人の家の開け放たれた窓を通りすがりに覗いてみると、アメリカのプロレス団体の試合が流れているテレビをよく目にすることがある。衛星放送で毎週のように放映されているのだ。しかもそれを家族全員で真剣に食い入るように見ているのが常である。そのことが頭に浮かんだのだ。
「分りますけど」
 サッカーとラグビーの区別がつかないカメちゃんは、ちっとも分っていない顔をして言った。
「格闘技系のガチンコ・プロレスじゃなくて、マスクマンが宙を飛んだり女子プロレスラーが跳ねたりのエンターテインメント系プロレス。メジャー大手の団体じゃなくてインディーズ団体なら、経費的にも大きくはならないと思うし...。そんな団体を呼んで興行をすしたら面白いんじゃないかな」
 アントニオ猪木やジャイアント馬場やタイガーマスクらが活躍していたときのプロレス・ブームはとっくに過ぎ去り、新生UWFを代表とする格闘技系プロレスのブームを経て、現在は小さな名も知れぬインディーズ団体が日本の地方都市にたくさん誕生し地道な興行をしている。今は足が遠のいてしまいテレビでも見なくなってしまったが、かつて新生UWF後援会北海道支部長を務めたこともあるおれは、力道山の時代からバリバリのプロレス・ファンだったのだ。そのくらいの情報は蓄えているのである。
「ビエンチャンの空の下で、コーナーポストに上ったマスクマンが両手を大きく広げて宙を飛ぶ。いいなあ。ロマンですよ! プロレス好きのラオス人たちに見せたら、絶対に喜んでくれますよ!」
 日本のプロレスは、たとえインディーズ系の弱小団体でも、観客を楽しませるエンターテインメント性やレスラーの技術、さらに格闘技的な要素も含めて、アメリカのメジャー団体に負けないどころか勝るものを持っていると思っている。しかも試合内容に繊細かつ簡明なドラマ性が織り込まれていて、どこの国の人間でも一度見たら病みつきになることは請け合いだ。こんなに完成されたプロレスは、他の国ではまずお目にかかれない。マンガに負けない日本が誇るポップ・カルチャーの一つなのである。
 現にフランスで定期的に行われている日本文化を紹介するお祭りでは、コスプレを中心としたマンガ・アニメ紹介に加えて女子プロレスの試合がメインをつとめているというではないか。日本の文化紹介といえばすぐにキモノや和太鼓の演奏を引っ張ってくるところが、大使館をはじめとした日本のお役所のセンスのないところだが、海外の人々はそんなものはもう見たくも聞きたくもないのだ。見たいのは今流行っている日本のアイドルであり、マンガやアニメに関わるものであり、渋谷109のファッションやプロレスなどのサブ・カルチャーなのである。 
 おれはそんなことを亀田さんに説明した。しかし説明しているうちに、本気でそう思ってきた。日本の"いま"をビエンチャンの人に体感してもらおう! いや。何よりビエンチャンでプロレス興行というのが、たまらなく面白いじゃないか! 楽しいじゃないか! そして楽しいことこそ人生じゃないか!
 真っ青な空をバックにして、華麗な空中戦を繰り広げるレスラーたちの姿が頭の中にくっきりと浮かんだ。
「カムラン、日本からプロレス団体が来て試合をやったら見に行く?」
 亀田さんがブルースカイの従業員に尋ねた。
 カムランは即座に答えた。
「行きますよ!」
 他の男子従業員に聞いても答えは同じだった。
 亀田さんは力強く言った。
「やりましょう! 黒田さん!」
 それからは怒濤の展開だった。ちょうどカフェ・ビエンチャンに遊びに来ていた元大手広告代理店札幌支店長のS君に相談すると、札幌にプロレス好きの中年男性が自費を投じて小さな団体を立ち上げ話題になっているから、帰ったら話をつなげてあげると言う。よし。頼んだぜ! と肩をたたいて一週間後にはさっそく連絡が入ったのは、だてに支店長をやっていなかったということか。
"団体の名は《北都プロレス》。基本的にビエンチャン遠征はOK。ギャランティーその他は直接連絡してください"
 北都プロレスは、レフェリー兼代表を務めるクレイン中條さんと八人ほどのレスラーで構成された札幌を拠点とする小さな団体だ。主に北海道内を回って試合をしている。市町村や商店街主催のイベントに招かれることが多いという。試合を録画したDVDを送ってもらい見てみると、派手さはないがとても楽しい試合ばかりでマスクマンも登場すれば女子レスラーもいる。しかも嬉しいのは、プロレスに対する愛情と観客に対する思いやりがあふれていることだ。ビジネスを超えて、自分たちがやっていることを心底楽しんでいるのが伝わってくるのである。
 これだ! と思った。こんなプロレスをビエンチャンの人たちに見てもらいたいのだ!
 北都プロレスの代表クレイン中條さんにメールを入れた。ギャランティーに関して大まかな合意を締結!
 企画は膨らんだ。
「どうせなら売り出し中のアイドルも呼んじゃいましょう。それにラオスのミュージシャンも絡めて、ついでにファッション・ショーも!」
 幸いクレイン中條さんも賛成してくれた。プロレスを中心とした日本のサブ&ポップ・カルチャーの大集合だ。しかもそれをフリー、つまり無料興行にする。ウッドストックだぜ!
 問題は費用を賄うためのスポンサーだが、タイの隣町であるノンカイやウドンタニをも入れ込んで宣伝すれば一万単位の観客は必ず集まる。それだけ集まれば大口のスポンサーも付くに違いない。さらに日本文化の紹介ということで、日本の大使館も絡んでくれたら。
 夢はビエンチャンの空を舞った。
 しかし事はなかなか進まなかった。大口のスポンサーがなかなか見つからないのだ。日本だと小規模なイベントの費用でしかないが、貧乏国ラオスの企業だと一社で出せる金額ではない。視野を広げてタイの大企業に持って行ったが時期的に無理だという。日本文化といえば和太鼓しか知らない日本大使館は日本大使館で、プロレスというだけで鼻を引っ掛けてもくれない。
「いっそネットで呼びかけましょうか。"一口一万円でビエンチャンでプロレス興行! 限定三百口。君も人生で無駄をしてみないか!"」
「人生で無駄をして楽しんでるのはクロダさんとボクくらいのもんでしょう」
 亀田さんが苦笑いを浮かべた。
 話は止まった。
 
 ビエンチャンでプロレスをやって何の意味があるのかと問われても答えようがない。はっきり言って意味などない。
 だがカフェ・ビエンチャンだって同じことだ。ビエンチャンにカフェを作ってどんな意味があるのか。いや。そもそも何でもかんでも意味を見つけることが大切なのだろうか。人生は会社の企画会議で上司を説得するために出さなければならない企画書ではない。意味などないことに一生懸命になれることが重要なのだ。
 今現在もビエンチャンでのプロレス興行実現については諦めていない。おれ。けっこうしつこい。面白いと思った人、この指とまれ。知恵と体力を貸してくれ。

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