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第44回

■人生に“徒労”は必要だが楽しいことはもっと必要だ

 サッカーについてもうすこし。
 じつはビエンチャンに酒場を作ることを決めた理由の一つにサッカー観戦のことがあった。一九九九年。二年ぶりに訪れたビエンチャンでのことだ。最初のうちは市内の酒場で昼間から飲んだくれていたのだが、ちょうどそれにも飽きた頃に国立競技場で県対抗のサッカー選手権が開催されていることを発見。以来、昼夜に行われている試合をビアラオ飲みながら観戦し続けることにした。
 国立競技場は観光客のランドマークともなっているナンプー広場から歩いて五分ほどの場所にある。カフェ・ビエンチャンのある場所からも同じくらいの距離だ。しかしずいぶんと古ぼけたもので、満員になっても五,六〇〇〇人がせいぜいではないかという大きさだ。メインスタンドにしても二〇〇人から三〇〇人が座れればいいところである。それにしたって古ぼけたコンクリートの階段があるだけで、メインスタンドと呼ぶのは強い太陽光を遮る庇が付いているという理由だけだ。
 サッカーのピッチの周囲には陸上競技用トラックが併設されているが、当時はまだ全天候用アンツーカー舗装ではなく土のままのトラックだった。ピッチも暑さのせいなのか芝のほとんどが禿げていて、選手が走る足先から土埃が舞う様子は、まるでパリ=ダカール・ラリーでサハラを疾走する三菱パジェロが巻き上げる砂塵を見ているようである。それでも照明装置はあるので、わずかながら気温が下がった夜の試合は、サッカー好きであればビアラオ片手に観戦するにはもってこいだ。しかも入場料は無料。行かない手はないだろう。
 ラオスはサッカーが盛んだ。市内のあちこちには草サッカー場があり、仕事が終わった男どもがそろいのユニフォームを着てボールを追っているのを目にすることができる。試合が終われば当然持ち込んだビアラオで乾杯だ。日本の草野球と同じで、試合の目的はほとんどがこれである。残念ながらプロはない。県対抗選に出てきているチームも、みな軍や企業のアマチュアチームである。ラオス人に聞くと上手い選手はタイのチームに行ってしまうそうだ。
 そのタイも近年になってプロ・リーグが誕生しバンコクでリーグ戦が行われている。何試合かを観戦したことがあるが、浦和レッズみたいなディフェンス軽視のドカドカ攻撃サッカーが主流で、これはこれでなかなか面白い。
 選手にはブラジル人も数多くいる。上手い下手はさておきブラジルという名のサッカーブランドは、世界中どこに行っても通用するのだなあと感心してしまうというものだ。
 そんなタイ・リーグにラオス人選手がいるかどうかは定かではない。しかし驚くことに日本人選手がプレーしているのを発見。確認しただけで三人もいるではないか。調べてみるとJリーグに行けなかった高校や大学の多くのサッカー部出身者が、夢を捨てきることができずに世界中のリーグでプレーしているらしい。ナイジェリア・リーグのチームと契約を結んだ無名日本人プレイヤーのことが新聞に出ていたことがあるが、タイの彼らもそんなサッカー漂流者たちの仲間だ。残念ながら観戦したタイ・リーグの試合では選手表で名前を確認しただけで、彼らは最後までピッチに立つことはなく、そのプレーを見ることはできなかった。それでも控え選手としてゴール裏で黙々とアップしている姿は、日本の北の果てからやって来てビエンチャンで酒場を作っている酔狂な日本人のオヤジの胸を熱くさせるものがあった。収入だって微々たるものだろう。JリーグもKリーグも、ましてやセリエAやリーガ・エスパニョーラなど望むべくもないだろう。しかしそれでも彼らは自分自身の“今”を信じているに違いない。
 頑張れ。
 他人は“徒労”と笑うかもしれないが、人生には“徒労”が必要なときもある。そしてその“徒労”は誰がなんと言おうと美しい。流す汗に値段をつけて動く奴なんざ、クソくらえだ!
 そんなことを思ったタイ・リーグの日本人選手だったが、一方でラオスの県対抗選手権出場チームにも驚くなかれ日本人がいたのである。“美しい徒労”に精を出す日本人が。
 おれである。
 決勝戦だった。夜七時からの試合。照明が煌々と照らす砂漠色のピッチ。おれはいつものように屋根も付いていない選手ベンチの裏側を見るメインスタンドで、ビアラオの大瓶をラッパ飲みしながら走りまわる選手をやじりまくっていた。
「こらあ4番! もっとしっかりマークをせんかい!」
 もちろん日本語である。
「いけいけ! よし! 撃て! ああああああ! なにをやっとるんだあ!」
 立ち上がってビアラオを持つ手を振り上げる。周りの観客が笑いながらおれを見る。以前、草野球を観戦していた星一徹顔の泥酔オヤジが、バカでかい声でネット裏から選手を野次っていたのを見たことがあるが、まさにおれはそのオヤジと同じである。
「こらあ! バッター! もうすこし腰を入れて振らんかい! あほが!」
 そんな具合だ。
 しかし違っていたのは野次られていたチーム関係者である。草野球チームの人間は星一徹オヤジのそばに行き困ったようにこうお願いしたのだ。
「すみません。もうすこし静かに観戦していただけないでしょうか」
「なにおお!」
「いえ。だからもうすこし小さな声で」
「そうかいそうかい…。あああ! こらあ! ショート! ファンブルするんじゃねえ!」
 ところが大声の日本語で野次るおれをちらりちらりちらりと気にしていたベンチの監督が、何を思ったか手招きするではないか。
 ひょっとして殴られるのか。
 しかし殺気は感じられなかった。よく見るとベンチに来いと言っているらしい。距離は二メートル。周りの観客も行けと指図している。
 いいのか? 行って。
 おれは酔っていた。
 メインスタンドとピッチの段差は三〇センチ。柵もない。
行った。
 監督はおれの肩に手をかけベンチに座らせた。雰囲気としてはここにいろということらしい。日本語の野次が応援に聞こえたのか。それと泥酔するおれの姿が、勝利の神様にとり憑かれトランス状態に陥ったインチキ新興宗教の教祖様にでも見えたのか。
 そうかい。ならばチームの一員として美しい徒労に励もうじゃないか。おれは相手チームの選手に向かって一層の野次を飛ばすことにした。
「おらおらおらあ! トロトロやってんじゃねぇって!」
 しかし。インチキ新興宗教は所詮インチキである。
 1対2。
我がチームは負けた。
 終了のホイッスルが鳴るや、おれは相手チームの素晴らしいキーパーに駆け寄って抱きしめた。
「よくやった! お前は美しい!」
 メインスタンドからもファンがピッチになだれ込んでくる。わーい! 楽しいや! 楽しければどっちが勝ったっていいってもんだい!
 おれをチームに引き入れた監督の顔が引き攣っているように見えた。
 歓喜は続いた。
 そしておれは思ったのだ。
 ここには美しくも強くもないが楽しいサッカーがある。それを見ながら酔っぱらって暮らせたら楽しいだろうなあ。
 五年後。
 おれはトンカチ片手にビエンチャンに立っていた。

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