WEB本の雑誌

第32回

■雨が降っても踊れば楽しい

 最初に勤めた会社は北海道内にいくつもの映画館を持つ大手の興行会社だった。仕事はできないが、盛り場に繰り出すことだけは熱心な上司がよく飲みに連れて行ってくれたことと、会社の映画館はもちろん札幌市内にある映画館がフリーパスで入場できたこともあって、給料はラオスの公務員並みに安かったけれど天国のようなサラリーマン生活を送ることができたことを覚えている。ちょうど、映画産業が深海に沈み込んだまま浮上できなくなった潜水艦状態の時期でもあった。働いている人間もわたしを含め、アルバイトでそのまま居残ってしまった二十代ばかり。いつ潰れるかわからないような会社だったのでベテラン社員は次々と辞めて慢性的な人員不足。だから入って二年も経つと映画館四館の広告宣伝費をすべて任され、上映する映画の宣伝を取り仕切る立場になっていた。それをいいことにその宣伝費を使って半分以上は映画と関係のない読み物の載ったフリーペーパーを作ったり、お蔵入りとなった映画を借り出してきて映画祭を組んだりとやりたい放題だった。毎日新作映画の業務試写を見ることに明け暮れ、まだパソコンなどない時代、上映映画の新聞広告をスチール写真や写植文字を切り貼りして作っていた。もともと映画は好きだったし、文章を書くこともイラストを描いたりすることも好きだった。その好きだったことが仕事になっていた。深夜興行勤務がはねて事務所で酒を飲みながら同僚たちと話すことといえば、見た映画と読んでいる本と気になった広告と好きな音楽のことばかりだった。天国はそこにあった。青春だった。幸福だった。
 さて世にいうノワール小説やハードボイルド小説においては、このような幸福な前章の後には、一転して必ず長い不幸と転落の歴史が語られはじめるというのがパターンである。実際の人生においては幸福な人生とはファンタジーにすぎない。不幸と悲惨こそがリアルというわけだ。たとえばこうなる。
 父親は会社の金を横領して行方不明。母親はパートに出た土建会社の社長に犯され覚せい剤を教え込まれて闇金の世話に。姉は会社帰りに暴走族にまわされ妊娠発狂。ぐれた高校生の妹は頭のいかれた恋人と手に手を取って大学生のカップルを拉致監禁し、なぶり殺した末に金品を奪って山中に埋め逃走そして逮捕。主人公のおれは勤めていた映画館がつぶれて職を失ったあとは、家族の悲惨も重なって、何をやっても長続きせずに酒浸りの日々。たまたまバイクに跳ね飛ばされ見舞金をせしめたことをいいことに、当たり屋まがいのことをはじめたが誤って大怪我を負い右足が不自由になって、ついでに当たり屋のことが発覚し逮捕され刑務所行き。刑務所内では刑務所内で、体が不自由なことに目をつけられて房の主の男色相手として弄ばれ心身ともにボロボロになった末、捨てられるようにして外の世界に放り出される。
 行き着いたのはお決まりのコース。ホームレスだ。それだって新参者として泊まれるところがあるわけでもなく、古参者から逃れるようにして盛り場のビルの狭間に犬の糞のように横たわる日々。ビルに切り取られた夜の空を見上げても涙の一滴も出やしない。あるのは絶望に塗り込められた漆黒の闇だけだ。だがおれはまだ覚えている。闇をことさらに黒くするには赤い色を加えなければならないということを。赤。この腐った人生を焼き尽くす血の色だ。おれの名前? たぶん、花村星周…。
 こうなってくるともう筒井康隆ワールドに突入だが、とにかく何を言いたいのかというと、不幸と悲惨ばかりが人生じゃないと言いたいのだ。リアルじゃないと言いたいのだ。実際には楽しいことが目白押し。延々と幸福が続く人生というのは存在するのだ。幸福な時間の第二章が、一転してノワールになってしまうことこそファンタジーだ。
 嘘だって? 嘘じゃねぇよ。おれがそうだもん。ああ、いかん。いい歳をして“もん”などという言葉を使ってしまった。実を言うと昨晩飲みすぎてまだ酔っぱらってます。気持ち悪いです。で、話の続き。
 人生楽しいことばかりというのは、あるのだ。さっきも言ったが、二十代前半においてわたしは楽しく幸福なサラリーマン生活を謳歌していたのだが、もっと楽しくなりたくて会社を辞めて自前の映画館を作った。金はなかったが何とか作った。十年間やった。やってる間に小さな雑誌を作って編集者もやった。どれも儲からなかったが存分に楽しんだ。映画館を潰したあとは、やることがないので物書き業になった。でももともと好きだったからこれまた楽しかった。時間ができたので、仕事ついでに世界のあちこちを旅することもできた。楽しかった。世界のあちこちを見てまわったら外国に住んでみたくなった。どうせ住むなら酒場をやってみたくなった。大好きな料理作りができるし、大好きな酒が飲める。ついでに店も自分の手で金槌ふりまわしながら作りたくなった。小学校の工作の時間が大好きだったことを思い出したから。で、ビエンチャンを見つけた。
 考えてみると最初に映画館に勤めて以来、わたしは好きなことばかりをやって暮らしてきたのだ。もちろんアクシデントもあった。意に染まないことをやらなければならないこともあった。病気もした。金はずっとなかった。しかしそのどれもが楽しかった。脳がお天気と言うなら言えばいい。人生わざわざ自分で自分に雨を降らせる必要もないだろう。しかし雨に濡れても踊れば楽しい。わたしはジーン・ケリーにそのことを学んだ。リスクやアクシデントを楽しめないなら、一生サラリーマンをやっていればいいのだ。
 そこでようやく本題だ。
 カフェ・ビエンチャンで映画を上映することにした。おいしい料理を食いながら酒が飲めて好きな音楽を聴きながら読んだ本を語り映画を見ることができる店。格好つけて言えば文化メディアとして機能する店。小さなコンサートをしたり詩の朗読会をしたり、そして映画を上映したり雑誌を発行したりする店。以前行ったことのあるイタリアの書店では、どこも文化の発信基地として本だけにとらわれずにあらゆることをやっていたものだ。ある書店など、店の真ん中にグランドピアノが置かれた小さなステージがあったりして驚いたが、そんな店を密かにカフェ・ビエンチャンの理想形としていたのである。そしてゆくゆくはインターネットを使って現地発信の旅番組を作ってみたい。その第一歩が映画上映だった。
 ちなみに現在は本が売れないということで出版界や書店業界は大変な時代になっているのだという。特に書店だ。本が売れなくて天を向いている店主さんの話をよく聞く。しかし日本全国どこも同じような店づくり。すべては本まかせ。店として楽しくないのだ。驚きがないのだ。それでは売れないのも当然ではないか。
 ではどうすればいいのか。サイン会だけじゃなく、いろいろなイベントを組め。作家のトークショーをやれ。ファッションショーをやれ。料理教室を開け。模型の展示会をやれ。小演劇をやれ。映画を上映しろ。本を中心にさまざまな顔があらわれる“場”として考えるのだ。書店をもっと面白い場として客を集客し、それらのイベントに重ねて一緒に本も売るのだ。と三十年近く前に知り合いの書店の店長さんに進言したのだが、実現されることはなかった。でも今からでも遅くはない。それだけ本が売れないなら、何でもやってみるチャンスだと思うのだがいかがだろう。わたくし、これから書店経営アドバイザーとして生きていきます。御用の節はぜひ。
 ということで書店についてはさて置いてメディア酒場カフェ・ビエンチャンである。
 二〇〇六年十二月二日土曜日。午後五時半開場・六時上映開始。料金三〇〇〇〇キープ。ビアラオ一本とおつまみ付き。上映する映画は北野武が監督した、大好きな『あの夏、いちばん静かな海。』。
 二十人ほどのお客さんが来てくれた。うれしかった。客の入りなどどうでもいい。大切なのは自分自身が楽しんでいることだ。そして映画を見たあとは、店で酔いながら映画について語りつくせぬ思いを話しあおう。映画と音楽と本。そして酒と美味しい料理。興味のない人にとってはどうでもいいことかもしれないが、わたしにとっては大切なものだ。
 以降“土曜キネマ館”ときには“日曜キネマ館”と名付けられた映画館が、毎月一日だけカフェ・ビエンチャンに登場することになった。そしてその上映に大いに力を貸してくれた恐るべき男が登場するのである。
 パフューム“アーちゃん”村山である。

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