WEB本の雑誌

第58回

■それでもしたたかなラオスに文句はない

 前略。言い忘れましたが、前回のカフェ・ビエンチャン閉店決定の顛末については、山田太一ドラマに登場する俳優たちの台詞まわしを思い浮かべながら、あるいは真似をして声に出しながら読んでください。そうすればさらに楽しんでもらえるかと。いや。おそらく。きっと。そういうわけで。

 などと倉本聡テイストで始まった今回は、二〇〇六年末あたりから急に忙しくなってきたビエンチャンのインフラ整備についてすこし。
 本格的に住み始めた二〇〇四年のビエンチャンは、カフェ・ビエンチャンのすぐそばをはしるセタティラート通りはもとより、市内をめぐるほとんどの通りは舗装はされてはいるが補修はされずで、大小の穴ぼこがそこかしこに口を開けている状態だった。おそらくバイクや車がスピードを出さないのは、穴ぼこだらけの道路のせいもあったのだろう。そう思えるほどのひどさだった。
 歩道にしたって下水溝の蓋いがあちこちと壊れていて穴ぼこだらけの車道と同じ。カフェ・ビエンチャンのある一帯も、市内で一番の商業地域なのに街灯が整備されていないので夜になると真っ暗闇だから、酔っぱらって歩いていると口を開けたドブ穴に落ちる危険がいっぱいだ。実際おれも落ちた口だが、ロンドン・オリンピックの男子走り高跳び候補と噂されるおれだからこそ下半身を排水泥まみれにしただけで済んだわけで、あれが運動音痴であったなら大腿骨骨折は免れなかったであろう。まわりくどい言い方になったが、要するにビエンチャン市内の道路は穴だらけで危険がいっぱいだったということだ。
 ところが二〇〇六年の末頃から市内のあちこちで道路工事が始まった。まずはビエンチャンを代表する大型ホテル、ラオ・プラザ・ホテルの前を走るサムセンタイ通りの改修だ。
 開発援助というかたちでその工事に関わったのはJICA。独立行政法人・国際協力機構。日本の外務省所管の機関だ。つまり金の出どころはおれやあなたの税金である。まあ、そのことについてはさまざまな国家的戦略や深い深い計算があってのことだろうから(まったくないのかもしれないけれど)問わないし語ることもない。言いたいのは、開発援助を受けている側であるラオスという国のしたたかさについてだ。
 JICAをとおしての日本の援助による道路整備が始まるや、市内ではさまざまな国の援助合戦が始まった。道路関連だと、旧宗主国であるフランスの援助による信号機設置が目に付き始める。
 余談になるが、ベトナム、カンボジア、ラオスの道路をつぶさに観察すると、面白いことが見えてくるはずだ。三つの国すべてが、首都中心部に作ったロータリーを基点にして放射状に道路を延ばし、それらを各地方都市の中心部に作ったロータリーに繋げるという方式をとっているのだ。地方都市からはさらにロータリーを基点にして遠くの市町村へと放射状に道路を延長させていく。蜘蛛の巣繋ぎ合わせ法とでも言ったらいいだろうか。
 じつはこれにはモデルがある。パリ凱旋門を中心としたロータリーからヨーロッパ各地へと放射状に道路を延ばしていった、ナポレオン提唱によるフランスの道路建設方式とまったく同じ方式なのだ。だからフランスの植民地時代に設計されたベトナムのホーチミン市をはじめとした各都市の道路には、たくさんのロータリーが造られているし、内戦で道路事情がずいぶんと変ってしまったとはいえ、カンボジアのプノンペンなどでもその面影を見ることができるはずだ。
 もちろんビエンチャンも例外ではない。官庁街の中心にある凱旋門と市民公園をロータリーとして、郊外に放射状に道路が延びているのだ。
 フランスの道路作りの面影はロータリーだけにとどまらない。主要道路の両脇に樹木を植えて並木道にするというのも軍事目的からナポレオンが考え出したものなのだが、ベトナム、カンボジア、ラオスの主要道路にもその方式はしっかりと生かされている。ホーチミン市内をはしる主要道路を彩る並木はその典型だし、カフェ・ビエンチャンのすぐそばを走るセタティラート通りもきれいな並木道だ。インドシナ半島からは離れるが、中国上海の旧フランス租界地区を縫うようにはしる道路もやはり同様で、プラタナスの美しい並木道となっている。ナポレオンが時を超えてアジアに残した足跡である。
 ついでに語ってしまうと、ベトナムでコーヒーを入れるときにグラスに乗せて使う小さなアルミのサイフォンもフランスが持ち込んだものだ。フランス本国では一〇〇年ほど前に廃れてしまったらしいが、ベトナムでしっかり根付いて生き残ったというわけ。路上に刻印された歴史。植民地による異文化の刷り込みを考えさせられる風景でありますな。
 さて話は戻る。
 JICAが窓口になっての日本からの開発援助は道路整備というかたちをとり、旧宗主国のフランスは信号など道路周りの整備に向かったのだが、それ以外の国で派手な開発援助をし始めた国がある。中国だ。
 中国とラオスは地続きの隣国だ。ビエンチャンからは昆明に直行バスも出ているし、メコン河の源流はチベット平原である。そのため以前から経済的な交流は盛んで、国境の町は中国から入ってくる商品でごった返しているばかりか、中国元が流通し、中国語の看板を掲げた食堂が軒を連ねているという。ついでに中国人もいっぱいだ。
 ところで好況経済を南下させ、さらに金儲けにはしりたい中国としては、陸路タイに入りインド洋へと向かう経済ルートを確保したいとの意図がある。となれば間にある通り道のラオスは重要な国だ。経済援助はお任せください。中国は援助の名のもとにラオスにジャンジャカ金を落とすようになった。カフェ・ビエンチャンの裏にある巨大な文化会館は中国からの贈り物だし、さらに目立ったところでは凱旋門のある公園整備を請け負った。もちろん中国のゼネコンのお仕事。ここのところは日本の開発援助方式を真似たのか回収すべき金はしっかりと回収するソツのなさ。
 ところがこの共産国・中国の援助進出で思わぬ状態が出現したのである。それまで働く気がない国だのバカだのアホだのラオスのことを言っていた先進西側諸国が、突然のようにラオスに金を突っ込み始めたのだ。要はラオスに中国の経済的橋頭堡を築かれるのを恐れてのことだろうというのは、俄か経済評論家のおれの戯言ではあるが、とにかくラオスはウハウハになった。あれがないこれがないとつぶやきさえすれば、中国を牽制するかのように西側各国が金を出してくれるのだ。もちろん出してくれなくたってかまわない。最終的には景気のいい中国にお願いすればいい。中国も通り道を確保したいから、はいはいどうぞ。てなもん。
 結果、ラオスは開発事業で沸騰した。
 先進諸国はおっしゃる。そんなことをしているからラオスはダメなんだよ。
 でもダメなのか?
 個人的な意見だが、ちっともダメじゃないと思う。貧乏な国なりの、これはこれでしたたかな処世方法と言うべきではあるまいか。
 もちろんその援助金のすべてが誰かの懐に入って何の活用もされないというのなら問題だろう。しかし道路なり公園なり、形になっているのは確かにあるのだ。ならば国民も文句はあるまい。多少の悪事は大目に見ようてなもんだ。何しろ自分たち国民は汗を流すことなく道路や公園ができてしまうのだ。ついでにNGOやらなんやらのボランティアもわんさか来て、手の届かない痒いところを掻いてくれる。そこが国民に汗水流させて痒い思いさせっぱなしでいながら、楽ばかりして濡れ手に粟の政治家・役人を持つ極東の島国とは大違い。ラオスは国も国民も汗水流さないんだもん。これを高度な戦略と言わずに何と言おう! 文句あっかだ。
 で、ラオス政府による貧乏とおバカを逆手にとった開き直りに振り回され、金ばかり使わされているのは先進国ばかりということになる。もちろん有償援助なら返してもらえるはずなのだが、ラオス人なら"ないんだもん"で済ませてしまうことは目に見えてますね。もちろんこの振り回されてる国の一つには中国も入るのだけど。
 そんなこんなでカフェ・ビエンチャンそばのセタティラート通りは工事で長い間の通行止め。
 隣のピタパン屋"変態サミア"が首を振りながら訊いてきたね。
「おい。そこの工事いつ終わるんだよ。客が来なくてまいった」
「そうか? うちは来てるぜ。まあ、完成まではあと一年くらいかかるだろうから、ゆっくり待つしかないな」
「一年! どうしてそんなにかかるんだ! 単なる道路の改修工事だろう! 二カ月もあれば十分だろう!」
「あのな。ここはラオスだぞ。十分じゃないんだよ」
「......」

 道路ができるまで、おれはビエンチャンにはいることはない。だが、おれはますますラオスが好きになっていた。

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