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第14回

■若造どもにパスポートを発給するなと世界の片隅で声を大にして言う

 海外に初めて出たのは三十歳を過ぎてからだ。小学校時代までは親の関係で東京と北海道を何度か移り住んでいたが、中学からはずっと札幌で、修学旅行を除けば働き始めてからも北海道を出たことすらなかった。出張のある仕事ではなかったし、旅行するほど収入に余裕もなかった。だからこのまま、津軽海峡を渡ることもなく一生を終わるのかと思っていたくらいだ。
 それがここ十年は、仕事やプライベートを含めて毎年のように海外をほっつき歩いているのだからわからないものだ。若いときにできなかったことの埋め合わせを、今になってしているようなものかもしれない。
 しかし、若いうちに海外に出なかったことについては少しも後悔はない。はっきり言って良かったとさえ思っている。若いということがイコール、馬鹿で恥知らずで愚かだということは今も昔も変わらない。おれもその例に漏れず、いや今の若造以上に馬鹿で恥知らずで愚かでしかも高慢だったから、そんなのが海外に出ていたりしたら日本人のイメージダウンどころか、とんでもないことをやらかして国際問題になっていたに違いない。“二十歳が美しいなどと誰にも言わせない”と書いたのはポール・ニザンだったが、まさしくそのとおりで、男も女も若いというだけで人間失格太宰治なのだ。
 だから三十を過ぎて海外に出たことは、おれにとっては正解だった。若さの尻尾はまだ微かに残ってはいたが、世の中がどういうものなのか少しは理解できる年齢だった。さまざまな本を読んでいたし、仕事柄映画もたくさん見ていた。世界へのしっかりとした興味が出来上がっていた。
 ニッポンザルのようにゾロゾロ群れて歩くことの恥ずかしさを知っていた。旅の金をケチることだけしか頭がない貧しい性根も嫌だった。
 キャバクラ嬢に入れあげて風俗店に通うのと同じ感覚で海外の売春宿に行く若造どもの感性を、ウンザリできる自分があった。
 そう。海外で出会った旅する若造どものほとんどは、話すことといえば金と女とドラッグのことばかりだった。彼らに異文化に衝突した驚きなど何もなかった。あるのは自堕落な日本の日常の延長でしかない。
 なにも奇麗事を言ってるわけじゃないぜ。売春宿に行こうがハッパを吸おうが構わない。だがその背後を見ようとする視線が圧倒的に欠けているのだ。囁かれている言葉に耳を澄まそうとする姿勢がないのだ。あるのは安いか高いか金のことだけ。思想がない。哲学がない。いや。思想も哲学も生まれやしない。若いからだ。若くてしかも馬鹿だからだ。恥知らずで愚かだからだ。こんな若造どもが錦糸町の風俗街を歩くみたいに海外をうろつき、大学卒業して部下に少女を買う手伝いをさせるオヤジどもと働くってんだから、お笑い種だぜニッポンはよ。
 まじめに自分探しをしている若者もいますよ? なにアジアン・ジャパニーズしてるんだって。あの本に出てくる若造どもの気持ち悪さが分からないのが若さの馬鹿さというもんだ。自分なんて探すもんじゃなくて造るもんだろうが。そして一生かかっても完成しないのが自分てもんだろう。完成したと勘違いしてふんぞり返ってるのがオヤジだけど。
 とにかく無いもの探したって見つかるはずもなかろうが、てなもんだ。それもわからず、自分を探しに旅をしますだと? やめろやめろ。そんなもの探しに来られる国の皆さんが迷惑だ。自分の家で鏡でも見てろ。
 と散々だが、旅する若造が嫌いなのだからしょうがない。挨拶したってロクに挨拶を返せないし、話しかけても無反応。口を開けばアーかウーかしか言えない。初対面の人間に自分の名前を告げる際、苗字ではなく名前を答える馬鹿さ加減。
 ケンです。
 タクです。
 おれは応えてやったね。
 ジュリーです。
 ああ、日本人はどうなってるんだ。
 まあ、どうなったっていいのだが。
 しかし目の前に現われると不愉快だ。日本政府には、三十前の若造にはパスポートを発給するなと声を大にして言いたい。とくに男には出すな。こいつらに旅をさせても、得てくるもんは何もない。外に出すな。歌舞伎町あたりで遊ばせておけ。
 てなことも出来ないだろうから、少なくともカフェ・ビエンチャンには来るなと言っておく。「地球の歩き方」なんぞに出てしまったせいで、若造旅行者が顔を出すようになったのが失敗だが、はっきり言ってメニューは日替わりだし、飯類は少ないし、コーヒーだって出ないしソフトドリンクもある日が珍しい店だから、お前らが来ても面白くねえよ。
 と、好き勝手なことを書いたが。しかし好き勝手なことを言ったり書いたりするのは、先が短い者の特権だ。悔しかったら早く五十を過ぎることだ。
 ああ、すっきりした。
 それにしても海外に出てくると、日本人というもののおかしなところばかりが誇張されたように目に入ってくる。おそらく日本にいると皆同じようにオカシイからわからないだけなのだろう。そしてこのおれも同じことなのだろうが。
 さて、そんなこんなで話は元に戻って鋼鉄の妻だ。鋼鉄だとばかり思っていた妻が、倒れたのである。

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