WEB本の雑誌

第37回

■はいなーっ!荒がやって来た


 三月。
乾季だ。
雨季には満々と水を湛えて流れも急なメコン河もさすがにこの時期は干上がり、巨大な中洲がいたるところで露になっている。そのほとんどは乾いた泥が堆積しているばかりで、渡ってみてもレジ袋の山と枯れた葦があるだけだ。見るべきものは何もない。
 それでも探してみると遊べそうな場所というのはあるもので、街の中心部からバイクで三〇分ほど上流に遡ったところには、広くて美しい砂浜を持つ、ちょっとしたビーチ・リゾートのようになっている中洲もある。河が蛇行点となっていることもあり、流れもそれほどではないので泳ぐのに最適だ。これは香港生まれの知り合いのイギリス人トーマス君が探し出してきた中洲で、休みの日に何人かの仲間を誘い合って遊びに行ったことがあるが、街から離れていることもあって人もおらず、のんびりまったりと酔っぱらえて申し分なかった。しかもタイ側の岸辺に中洲が繋がっているため、歩いて密入国できてしまうオマケ付き。しかし渡ったとしてもビエンチャンよりも数段田舎の村があるばかりだから、万が一警察に捕まったりする面倒を考えたらこんなところで密出入国しても意味がない。渡るのは犯罪者か野良犬くらいのものだろう。もっとも中洲を伝って対岸に渡れそうなのはそこばかりではなく、ビエンチャンの中心部に面した観光客が必ず訪れる河岸も同様で、三〇〇メートルほど先のタイ側に行こうと思ったら、狭くなった河を犬掻きして中洲に渡り砂地を駆け抜けてから再び狭くなった河を犬掻きするだけの超ミニ・アイアンレースもどきで充分だ。別段警備艇が哨戒しているわけでもなく監視塔があるわけでもないから、地元民が暗闇にでも紛れて適当に行き来していてもよさそうなものだが、やはり行かないのはラオス人にとっても渡る意味がないからなのだろう。越境する意味のない国境。世界には越えたくてもどうしても越せない国境がたくさんあるのに面白いものだ。
 そして三月のその日だ。
 カフェ・ビエンチャンはいつものように午後六時に開店した。昼の部をやめてからの開店時間は、本来であれば午後五時だったが、仕込みが追いつかなかったり掃除が終わらなかったりでいつの間にか六時になっていた。その六時にしたってときには六時半になったり七時になったりで、いい加減なものである。最初こそ開店時間厳守を頑なに守ろうと考えていたのだけれど、ただ時間に追われている自分にハタと気づくと、なんだこれじゃ日本にいるときと同じじゃねえかとバカバカしくなってしまった。だいたい時間厳守をうるさく守らせねばならない従業員がいるわけでもない。自分ひとりなのだ。客にしたって開店時間を気にするような人間はほとんどいない。いるとすれば自国の時間を引きずっているラオスに来たばかりの外国人くらいである。しかも店長として雇われているわけでもなく自分の店なのだ。何時に開けようが誰も困らない。おれも困らない。文句あるか。えっ、おいっ、てなもんだ。
 ということで六時半に開店のしるしである亀のイラストの入った看板を、外との仕切りにブロックで積み上げた低い壁に立てかける。
 次には店内の照明と店頭の庇に一つだけぶら下げてある裸電球に灯りを入れる。外はまだ明るい。店内の照明も含めて、店側で使っている電球はすべて二五ワットの裸電球だ。蛍光灯は料理がまずく見えるから使わない。日本にいるときもずっとそうしてきた。それにラオス人は蛍光灯の灯りを好むので、夜ともなると隣近所の照明がみな白色光になっているなか、カフェ・ビエンチャンだけが柔らかな黄色い光を闇の中にふわりと浮かばせて、遠くからでもくっきりと店の在り処がわかるという利点もある。店のある場所が仲通りで、夜に開いている店はカフェ・ビエンチャンだけだからなおさら目立つというものだ。だらだらと一年かけて店を作っていたわりには、けっこうおれも考えていたのである。いや。正直に言おう。好きなように作っていたら、結果としてこうなった。なんだ。おれってやっぱり天才じゃないか。と自画自賛しなければやっていけない人生の残り時間が少ないお年頃だ。
 店頭の裸電球にはホーロー皿で作った笠をかぶせてある。店内の照明はメコン河で拾ってきた小さな流木を壁に這わせてそこにぶら下げたり、同じく小さな流木にソケットを取り付けて天井からぶら下げている。光が作り出す適度な影がクリーム色の天井や壁に小さな起伏を与えて、店内に居る者をやさしく包み込む。心が和らぐ。酒飲みの脳幹がとろける。
 天井に付いている飛行機のプロペラのような大型ファンのスイッチを入れる。速さは三段階。三〇℃前後の気温なら最も低い速さで充分だ。
 ファンがゆっくりと回って頭上から風を送ってくる。
 本とCDが並んだ壁際のカウンターの上にはCDラジカセ。
 コンセントを繋ぎスイッチを入れる。ヨドバシで二九八〇円で買ってきたそのラジカセは、持ってきて一週間もしないうちに、間違って変圧器を通さずコンセントを直接二〇〇ボルト電源に差込み壊れてしまったのだが、タラート・サオにある修理屋に直してもらって無事復活。修理代七ドル。ついでに一〇〇ボルトの日本仕様だったのを二〇〇ボルト仕様に変えてもらって使い続けている。ビエンチャンではたとえ電化製品が壊れても大抵のことなら修理屋が直してくれるから便利このうえない。しかも日本の家電メーカーのように部品がないから新しいものを買えなどというふざけたことはまず言わない。ストックしてあるガラクタから使えるものを取り出してきて、あれこれいじくりまわして結局直してしまうから大したものだ。日本でそんなことをすれば危険だからやめろと修理屋にメーカーから手入れが入りそうなものだが、考えてみると修理も簡単にできない危険なものを作ってるお前らが問題なんじゃないのか。それとも修理なんかさせずに、さっさと新品を買わせたいという魂胆か。なにがエコだ。笑わせるぜ。
 日本ならとっくにお払い箱になっているはずだったCDラジカセから音楽が流れはじめる。本日の店開けはダイア・ストレイツのライブ・アルバムを。
 奥のトイレへと通じる入り口には階段が二段あって、その先のスペースは店の床から三〇センチほど低くなっている炭置き場兼七輪での煮込み料理場だ。ここでいつもドミグラスソースを作ったり豚の角煮の下ごしらえの煮込みをしている。そこを抜けていくと床が三〇センチほど上がって厨房となっている。
 店内から奥へと入る階段脇に置いた裸電球の照明に灯りを入れる。その灯りを覆うようにして八〇センチくらいの二本の流木をシェード代わりに立てかける。
 以上、これが店を開けたカフェ・ビエンチャンのいつもの様子だ。
 おれは厨房からキンキンに冷えたビア・ラオを店に持ってきて、まずは一杯やる。これが儀式。というより習慣。この一杯のために掃除をしたり仕入れに行ったり仕込みをしたりしているようなものだ。
 冷たさが脳天を貫く。ビアラオを配達してくる兄ちゃんは、ビールの温度は六度から七度くらいがちょうど美味しいなどとレクチャーしてくれるが、そんなことは知ったことか。ことビアラオに関していえばキンキンに冷やしまくったほうがうまいのだ。おれはそう決めているのだ。
 ふうぇーっ! 
 うまいっ!
 と、口に出す。
 マーク・ノップラーの乾いたギターの音色が鼓膜をふるわせる。
 いつもならここでもう一杯を流し込むところだが、じつはその日は一人ではなかった。あらたなカフェ・ビエンチャンの仲間が目の前にいたのだ。
「うまーいっ!」
 同じように叫んだのは荒さん。ビエンチャンで日本語の先生をしている。カフェ・ビエンチャン開店時の花形ウェートレスだったクロコ先生の後任教師。店の常連でもある二十九歳。薄給で食うものも食えないところはクロコ先生と同じ。そこにつけ込み、夕飯とビールを餌に店を手伝わせることに同意させたのである。ただで労働力を確保するあこぎな男とはおれのことだ。
「この一杯が今夜の活力を生む! 悲しいことだらけの世界に光を灯す!」
 あこぎなおれは言った。
「そうですよねえ。この一杯ですよねえ」
 労働初日。今日の店開けは荒さんがすべて仕切った。
 それにしても初日にしてカフェ・ビエンチャンを切り盛りする楽しさの本質を理解した言葉。嬉しいではないか。
「とにかく楽しくやろう。よろしくたのむ!」
「わかりました!」
「というところで、もう一本ビアラオ」
「はいなーっ!」
 荒さんが正式にカフェ・ビエンチャンのスタッフになった夜だった。そして彼女はこの夜以降、考えていた以上にカフェ・ビエンチャンを盛り上げてくれることとなる。
 また一つの出会い。
 店が呼び彼女を寄せたのか。
 魔法の街だ。
 ビエンチャン! 

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