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第18回

■最悪の事態にいる自分を人はなかなか認めたがらないものである

 日本で会社を設立する場合、当然ながら資本金というものが必要だ。会社登記の際には、法で定められた一定額以上の金額が入っている銀行口座の残高証明書を提出しなければならない。そこのところはラオスも同様である。しかしラオスと日本が違う点が一つだけある。会社登記自体に残高証明書が必要なのではなく、ラオスでは事業の営業許可申請のために残高証明書が必要となるのである。飲食店事業であるカフェ・ビエンチャンの場合、市観光局、財務局、税務署の三つの部門が発行する許可証が必要だった。厳密には警察から発行される、店の看板を設置するための許可証が必要なのだが、こちらはなければ看板を出さなければいいだけの話で、なくてもそれほど問題はない。つまり三つの部門から発行される営業許可証取得のためには、資本金が入った会社名義の口座残高証明書が必要となるのである。
 さてここからは経営学講座。読みたくなけりゃすっ飛ばしてもいいぜ。ということで日本で株式会社を設立する場合は、現在でこそ一円という資本金で設立可能だが、以前は最低一〇〇〇万円もの金額が必要だった。八〇年代くらいまではまだ額が低かったように記憶しているが、税の抜け穴として事業実体のない幽霊会社が乱立していることが問題となっての高額設定措置だったように思う。
 しかし九〇年代末にIT産業が盛んになってくると、若きベンチャー企業を育てようという機運も高まって、より会社を設立しやすくするべく、株式会社設立のための資本金が一挙に一円にまで引き下げられたというわけ。一〇〇〇万円から一円に引き下げというのは、ちょっとふざけた引き下げ方だが、それを決めてる政治家や官僚なんてのはもともとふざけた連中なんだからさもありなんてところか。
 で、会社設立のための定められた資本金だ。そのお金を銀行口座に入れて残高証明書を取り会社登記をする。残高証明書を取ってしまえば、資本金を全額引き出してしまおうが、そのままにしておこうが自由だ。八〇年代までは新規の会社設立を図る個人は、資金を自前で持っている人はともかく、ほとんどの場合、親兄弟親戚知人から借りて銀行口座に入れ、残高証明書を取った時点ですぐにお金を引き出して借りた人々に返すという方法をとるのがとても多かった。要するに見せ金である。会社さえ設立してしまえばこっちのもの。というよりも、そうでもしなければなかなか会社など作れなかったのだ。だからすぐさま銀行口座からお金を引き出すという行動に出る。たとえそのお金が借り入れたものでなくとも、事業の運営資金としてすぐさま必要ということももちろんあった。開業に当たって資金を寝かせておく余裕など、新規中小企業にはありえない話だ。実際、映画館を作ったときもそうだった。だからカフェ・ビエンチャン名義での銀行口座入金もそうだろうと思っていた。
 その日は朝からどんよりとした曇り空だった。誰彼となく水をかけまくって街じゅうが水浸しになるラオス正月(ピーマイ)が終わり、乾季でカラカラに乾いていた空気が、いつの間にか湿り気を帯びた雨季の空気に変わっていた。
 おれは用意できた資本金の米ドルとタイバーツ合計で日本円一〇〇万円余りを手に、カフェ・ビエンチャンから歩いて五分ほどのところにある銀行BCELに向かった。チャンタブンが、そこに口座を開くといいと薦めてくれた銀行だ。
 新規口座開設窓口のある小さな部屋。日本と違って、口座を開くための別室が設けられているのである。個人口座も会社名義の口座も、すべてここで作ることになっている。
 おれは係の女性に会社名義の新規口座を開きたいと伝えた。係といっても、女性はその部署のトップである。
 カフェ・ビエンチャンの登記証を出す。外国人投資委員会が出した会社登記証である。
 ラオス人女性にしてはキリリと鋭い目を持つ三十四,五と思えるその女は、登記証をじっくりと見たあと、机に乗っていた用紙を手に取って言った。
「必要なことを書いて。そうしたらここで通帳を出すから、その通帳を持って窓口に行って入金するように。タイバーツ、米ドル、ラオスキープ用の三種類の通帳ね」
 女は笑わなかった。普通のラオス人女性ならこんなときは必ず笑みを浮かべるはずなのに、その口元にはわずかな笑みも認められなかった。まるで中国女。微かな不安が胸の奥底に湧きあがった。
 大丈夫なのか?
 しかしキャリアを積んだ女性ほど無愛想だというのは世界の常識だと自分に言い聞かせた。そんな常識はそのとき勝手に自分でデッチ上げたものなのだが、人は不安になると物事を自分に都合の良いように解釈するのが常である。最悪の事故というのは、そのような人間の思考が引き起こすものだということを誰かが書いていたが、まさしくそのときのおれの思考は、最悪の事故を引き寄せるパターンにはまり込んでいた。
 入出金窓口に行き、おれは新たに作った通帳と現金を差し出し入金した。
 完了。
 残高証明書は通帳を作った口座開設窓口のある部屋で出すという。
 さっそく通帳を持って建物の裏手にある部署へ。
 通帳を差し出すと、滞りなく残高証明書が発行される。これでOKだ。
 たまたま目線が合った部署トップのキャリア女に、おれは浮かれてウィンクを返した。バカといった顔で女はそっぽを向いた。まあ許す。残高証明書さえもらえば、お前みたいな無愛想な女に用はない。
 スキップ踏んで入出金窓口に行き、米ドルとタイバーツの通帳に入っている金額のほぼ全額を書いた出金用紙を差し出した。
 窓口のお姉ちゃんがコンピューターを叩いた。モニターを見ていたおねえちゃんの顔が曇る。
 お姉ちゃんが顔を上げた。
「この口座からはお金を引き出せません」
「なんだと!」
 声を荒げた。
 どういうことなんだ!
 おれは通帳をひったくって口座開設窓口のある部屋にすっ飛んだ。
「どういうことなんだ!」
 中国女に詰め寄った。
「営業許可証が出ない限り、この口座からはお金はおろせません」
「だからその営業許可証を取るために口座を作ったんだろう!」
「取ったら来てください。そうしたら引き出せるようにします。それが決まりです」
「決まりだと!」
「決まりです。法律です」
「だがこの金がないと生活もできないんだ」
 手元にあるほぼ全額を突っ込んでいた。
「決まりです」
 このラオス女には絶対に中国人の血が流れている。そう思った。
「だいたいそんなこと口座を作る前に言ったか?」
「言いました」
 ヌケヌケとおっしゃりやがった。だが言わなかったと証明のしようもない。
「何とかしろ」
 口から出てくる英語が興奮でぐちゃぐちゃになってくる。
「何ともなりません」
 中国女が突き放すように言った。
 おれはチャンタブンに電話した。
「口座できたかい?」
 能天気なチャンタブンの声が携帯から聞こえてきた。
 おれは事情をまくし立てた。
「そんなことはないよ。会社名義の口座を作ってすぐにお金を引き出すのは誰でもやっていることなんだから。ちょっとその係に電話を替わって」
 おれは中国女に携帯を差し出した。
 ラオス語でやり取りし始めた中国女。しかしその顔には氷の微笑も浮かばない。
 話して五分ほどだったろうか。中国女がつっけんどんに携帯を返してよこした。
 おれは携帯を耳にあてた。
 チャンタブンの言葉が聞こえてきた。
「ダメだ。法律が変わったらしい。でもどうにか方法を考える」
 その言葉に、おれは少しだけ安堵した。どうにかならないわけがない。そう思った。
 チャンタブンの携帯が繋がらなくなったのは、それから数時間後のことだった。

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