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第12回

■寒いビエンチャンでふるえながら携帯をとるとおれは

 北海道で生まれ育った人間が年平均気温三十度以上もあるようなビエンチャンで暮らすというのは、ノースフェイスのダウンコートを三枚重ねで着込み、ソウルのロッテホテル地下にある薬汗房(チムジルバン)に入ってヒンズースクワットを繰り返しているようなものだ。ただ息をしているだけで汗は瀑布となって流れ出し、脂肪は溶鉱炉に投げ入れられたかのように燃え尽き果てる。究極の日常生活ダイエット。だからカフェ作りで十キロ落ちた体重も、毎晩寝る前に近所のミー・ナム屋に飛び込みラオス・ラーメンを腹いっぱい食い続けているにもかかわらず、一グラムたりとも戻りはしない。貧相そのものと成り果てた容姿は、カフェのマスターなどからは程遠く、愚かなインパール作戦に駆り出され食料もなくジャングルを敗走する羽目に陥った旧日本軍兵士だ。そんなだから隣の食堂のおばちゃんにはどこか体が悪いのかと心配されるのだが、しかし体調だけはすこぶる好調なのが不思議でしょうがない。ひょっとしたら、もともとがデブで不健康だったということか。それともビエンチャンで日常生活を送るというのは、新たなダイエット法に繋がっているというのか。
 ドンドック大学・食品学科のシーパイ教授も太鼓判! 寝る前にラーメン食って痩せる脅威のビエンチャン・ダイエット!
 なんて新たなビジネスチャンスを夢見たりもしたが、ビエンチャンに在住している日本人婦女子は例外なく太った太ったと大騒ぎしているから、腹もこわさず運動もせず、ただ生活しているだけで十キロも痩せたなんてのは、おそらくおれだけなのだろう。要するに特異体質なのかもしれない。まあ、どうでもいいや。
 しかしおれの毛穴から汗を噴き出させ続けていたビエンチャンの暑さも、十一月の末になると突如終わりをむかえ、季節は滝壺に落ちるかのように落下して冬へと変わった。あーらよっと! 出前一丁! これ、意味はない言葉だから無視するように。
 ところで、一年中暑いというイメージの東南アジア・ラオスに冬があるのかと、不思議に思う人も多いかもしれない。ところがである。これが来てみてびっくり。セーターでも着込みたくなるような寒い冬がしっかりとあるのである。とくにビエンチャンはインドシナ半島でも北部に近い位置にあるだけに、グッと寒さが際立つのだ。二十五度前後の昼はともかく、夜ともなると気温は一挙に十度台に。夜中を過ぎて朝方は十度を切ることもあるから、日中の気温との温度差もあって、その体感温度は南極大陸ロス棚氷で裸踊りをしているときに感じる気温と同じということになる。もっともロス棚氷で裸踊りなんかしたことはないけど。
 そして寒冷前線がビエンチャン上空に居座った十二月の夜だった。
 午後九時過ぎ。店を開けてはいるが、客は誰も居なかった。数日来の寒さで、客も外出を控えているらしい。街の中も閑散としたものだ。
 おれは店の中に炭火の熾った七輪を持ち込み、座っていたテーブルの足元に置いて手をかざした。
 寒かった。
 ドアがなくオープンになった店は、外気がもろに入り込んでくる。日本から戻ってきたのが夏場で、しかもビエンチャンがこれほどまでに冷え込むとは想像もしていなかっただけに、持って来た長袖の服は薄手のトレーナーが一枚だけだった。しかしそれを着込んでも、寒さは一向に和らがない。飲んでいたビア・ラオも、半分飲んだところでやめにした。熱燗が飲みたかった。八代亜紀が聞きたかった。お酒はぬるめの燗がいい。今日は早めに店を閉めて、さっさと寝ることにしよう。そう思った。
 そのときだ。音痴のオッサンが唄うラオス民謡みたいな、携帯の間抜けな呼び出し音が響いた。
 着信画面を見ると圏外からである。おそらく日本。
 おれは手に取り、ボタンを押して耳にあてた。
「もしもし」
 鋼鉄の妻だった。カフェ・ビエンチャンを視察に来てから二カ月近くになる。
「おう!」
 返事をした。
「年末は帰ってくるの?」
 チャンタブンから借りたシーメンスの古い携帯だからか、雑音がやたら混じる。
「どうしようかと思ってる」
 札幌には老いた猫もいる。元気で口が達者でわがままな老いた母親もいる。正月くらい帰ろうかと思いはするが、店もようやく認知されてきたところだ。
「そう」
 雑音の向こうから聞こえてくる鋼鉄の妻の声が、心なし疲れているように聞こえる。
「どうかしたか」
 すかさず口にしたのは、こういうところで気を使わないオヤジのダメなところを好んで描く桐野夏生やアン・タイラーの小説、それに斎藤茂男のノンフィクション「妻たちの思秋期」を思い出したからだ。
「うん…」
 いつになく言葉が途切れた。このような言葉の途切れ方の次に来るのは、倉本聰あたりだと“別れ”の言葉になるのだが、しかし妻は主人公がやたらと死ぬ韓国の三流純愛ドラマの流れを選んだようだった。
「具合が悪くて病院に通ってるんだよね」
「どういうこと」
 鼻に出来たオデキをヤブ医者に癌だと宣告されて以来医者を信用していない妻が、病院通いとは尋常ではない。
「この間ビエンチャンに行ったときから上を向くとめまいがしてたんだけど、ちょっとひどくなってきたから病院に行ったの。そしたらメニエルじゃないかって」
「うそ!」
 一年前までおれも患っていたメニエル。それがここにきて夫婦揃ってなるとは、韓国三流ドラマの脚本家だって思いつかないというものだろう。まったく人生はブニュエルの映画なんかよりもよっぽどシュールに出来あがっているというもんだ。
「まあ、そんなに心配するようなものじゃないんだけどね。いまはだいぶ落ち着いたし」
「そうか」
 落ち着いたといっても、あのわけのわからないグルグルめまいの病気は、当人でなければそのつらさはわからない。そしてその当人におれはなったことがあるのだ。
「よし。店も落ち着いたことだし、一旦帰ることにする」
 おれは言った。
 軽いメニエルなら心配することもあるまい。経験者としてそう思うが、ここはやはり帰ることにしようと思った。ビエンチャンも寒かった。どうせ寒いなら、札幌で凍えながら雑煮を食うのも悪くあるまい。それにそもそも日本とラオスを行ったり来たりというのが理想だったのだ。
「飛行機が取れ次第、戻る」
「わかった」
 妻の言葉にわずかながら力が戻ったように感じられた。
 しかし後にこのメニエルがとんでもない病気に発展するとは、まだ理解できなかったおれであった。
 カフェ・ビエンチャン開店の歳が暮れ、風雲と激動の二〇〇六年が明けようとしていた。

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