WEB本の雑誌

第60回

東京ゴールド・ラッシュ
『東京ゴールド・ラッシュ』
ベン メズリック
アスペクト
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自分らしさとわがままの境で―日本女性の静かな革命
『自分らしさとわがままの境で―日本女性の静かな革命』
アンヌ ガリグ
草思社
1,890円(税込)
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共産主義黒書 コミンテルン・アジア篇
『共産主義黒書 コミンテルン・アジア篇』
クルトワ ステファヌ,マルゴラン ジャン=ルイ,パネ ジャン=ルイ,リグロ ピエール
恵雅堂出版
3,150円(税込)
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■みなさん楽しんでますか?

 カフェ・ビエンチャンの権利を売る。と言っても営業許可証のことだ。
 店の営業許可証は一年近くかかって、ようやく正式のものを手に入れてあった。そのいきさつについては以前書いたので詳しくは書かないが、外国人が何がしかの商売をしたり営業をする場合に必要なのは、ラオスだろうと日本だろうと変わりがない。問題はその取得が外国人の場合だと、とても難しく時間のかかる作業になってしまうということだ。
 もっともシティコープ・グループの経営コンサルタントをしていたジャクソン・N・ハドルストンが一九九〇年に著した『ガイジン会社』という本を読むと、一九八〇年代までまでの日本も、ラオスと変わりないくらいに外国企業が入り難い産業社会構造になっていたらしい。永遠と思えるほどに時間のかかる許可申請。複雑怪奇な官僚組織。コネと接待が主体の営業。柔らかくにこやかに行われる市場参入拒否。それでいながら世界第二位の経済力。あら不思議というわけだ。
 これが一九九〇年代に入るとバブルが崩壊し、さらにトッポ・ジージョ小泉がパープー・ブッシュと抱き合ってネリー・ブライを踊り狂ったこともあり一転。日本は市場の開放を積極的に行い外資系企業の草刈り場のようになったのはご存知のとおり。だがね。それでも欧米人から見ると奇々怪々な官僚組織や不思議な商慣習はラオスに劣らず健在らしくて、話のネタは尽きないようだ。それらについてはベン・メズリックが書いた『東京ゴールド・ラッシュ』や、フランス人女性の視点から日本の"カイシャ"を見つめたアンヌ・ガリグの『自分らしさとわがままの境で』などを読むと面白く理解できると思うからどうぞ。
 てなわけでラオスにおいて個人で商売をしようとする外国人の多くは、事情に通じたラオス人を通して許可証を取るのが普通なのである。そのほうが早くて面倒くさくないからだ。だがしっかりとしたエージェントでなければ、わけのわからない手数料やら役人に手渡す賄賂やら接待費やらを取られて高い買い物になることは確か。その見極めが難しいので、結局許可証など取れずにウヤムヤに終わってしまうことも珍しくない。
 そこでおれは、面倒くさいけれど自分で取得するほうを選んだ。せっかく外国に住むのだ。経験できるものは、どんなことでも経験したいじゃないか。
 結果はカメちゃんや牛タン大王ヤマダさんが献身的に手伝ってくれたこともあって、時間はかかったが無事取得に成功。聞けばラオス人を通さずにこのような許可証を取った外国人は、おれが初めてということらしい。つまりおれはラオス商工史に名を残したのである。
 素晴らしい!
 誰も褒めてくれないから自画自賛!
 で、その取得が面倒な営業許可証を店の什器とともに、ビエンチャンで商売をしたがっている外国人に売ることはできないかというのがおれの小賢しい考えだった。聞けばラオス人がよくやっていることだという。せっかく取った許可証だ。無駄にしてしまうよりよほどいい。正直に言えば、少しでもお金になるほうがいい。ただでは転ばへんのが大阪商人でまんがな。大阪商人でもなんでもないけど。ついでにカフェ・ビエンチャンの名前を継がなくてもいいから、場所もそのままに営業してくれまへんやろか。仲介料取るけど。ぼくは悪徳大阪商人!
 おれはカメちゃんをはじめ、知り合いの日本人に声をかけた。
 するとさっそく一人、見つかった。
 柔道の猛者ストロングNさんの知り合いで、九州で手広く事業をしているという六十代のおじさんだった。マジックが趣味だそうで、ビエンチャンでマジックを見せるスナックを開きたいという。マリックおやじだ!
 マリックおじさんを紹介してくれたストロングNさんは、キューバに長く指導にいっていたこともある柔道の猛者だ。その関係でビエンチャンに住むことになったらしいのだが、がっちりとした体つきとは反対に気持ちはとても優しい人である。
 さて。ストロングNさんが、ちょうどおれにマリックおじさんを紹介してくれたすこし前のことだった。Nさんはラオス政府の一部門から、とんでもない仕事を任されたというのである。
 なんと二〇〇九年十二月にラオスがホスト国となって開かれるスポーツ大会、東南アジア競技会=SEA GAME の重量挙げコーチである。
 それだけなら名誉な話である。しかし代表選手はゼロ。素質ある人間を見つけて一から鍛え選手にしてほしいというお願い。
 なんだそれは、とNさん。無理難題もいいところ。しかしそれで終わらないのがラオスである。名誉な話がいつでも腸捻転を起こしてトンデモ話になってしまう国である。
「びっくりなんですけど」
 小さな目を丸くしてNさんが言った。
「代表選手にできそうな人間を選んでくれと連れて行かれたのがどこだと思います? なんと刑務所だったんです」
「はあ?」
 おれはそのあとの言葉が出なかった。
 共産国ならではの政治犯を収容する刑務所は、ビエンチャン中心部から二時間ほどのナムグム湖に浮かぶ小さな島にあると聞く。共産主義に背く者をぶち込む収容所だ。革命時は旧政府の役人や政治家、高級軍人、資本家、知識人などが思想改造と称してドカドカ放り込まれたらしい。当然死者も出た。難民も出た。そんなラオスを含む共産主義の暗黒の歴史については、クルトワ・ステファノという人が書いた『共産主義黒書 コミンテルン・アジア篇』を読んでいただきたい。学術書だが、その面白さは圧倒的。アジアの共産主義国の暗部を知りたい人には必読だろう。ちなみに世界を股にかける"博打うち作家"森巣博によると、東京都教育委員会が君が代を唄わない教員を反省させるために送り込んだ"研修所"については、英語圏の新聞では"思想改造キャンプ"と訳されて記事になっていたそうな。まあ都知事が石原"ハイル"慎太郎だから、あながち訳し間違いではないと思うけど。
 でなんだっけ。そうだ刑務所だ。
 えーと。ストロングNさんが重量挙げ選手発掘のため連れて行かれたのは政治犯収容所ではなく、ビエンチャン中心部からすぐの住宅街にある刑務所。主に刑事犯が収容されているムショだ。しかし刑事犯といってもこそ泥や麻薬犯罪者ばかりなのが、めったに殺人など重犯罪が起きないラオスらしいところか。だが犯罪者は犯罪者である。囚人である。そしてその囚人たちが集う刑務所に連れて行かれたNさんは、政府担当者から好きな者を選んで選手に育ててほしいと言われたというのである。
「何を考えてるんですかね。囚人は根性があるとでも思ったんですかね。それとも体格がいいのがいるからとか? とにかく行ってみたら何人かの囚人が並ばされていて、この中から選んでくれって」
 ぶっ飛んだ。『ノースダラス40』という囚人たちをフットボール選手に仕立て上げて活躍させるアメリカ映画があったが、まるで同じような話じゃないか。あるいは囚人部隊の活躍を描いたロバート・アルドリッチの傑作『特攻大作戦』か。呆れた。笑った。さすがラオスだぜ。言葉をなくして頭をたれた。いかにラオス政府の役人たちの発想がデタラメに過ぎたとしても、ここまでくればアッパレと言うほかない。
「それで選手になりそうな囚人はいたんですか?」
 おれは訊いた。
 まさかいるはずがない。
 しかし予想に反してストロングNさんは小さく肯いた。
「驚いたことに、いたんですよ。モノになりそうなのが三人」
「......」
「凄いもんです」
「......じゃあトレーニングするんですか」
「やってみようと思います」
「でもその囚人たちは重量挙げの経験なんかないんですよね」
 おれはあらためて訊いた。
「ラジオ体操の経験すらないです」
「大丈夫なのかな」
「代表になれたら減刑か出所というのが条件らしいです。なら一生懸命トレーニングするだろうって」
 恐るべきはラオス政府。
「二〇〇九年の本大会にラオスの重量挙げ選手が出たら、そいつらは囚人だと思ってくださいね」
 Nさんは笑った。
 結局この囚人たちを重量挙げ選手にする計画は途中で頓挫してしまったらしい。当たり前といえば当たり前だが、そんなふざけた話を現実にしてしまおうと真面目に考えるのがいかにもラオスらしい。おれの人生観にぴったりだ。楽しんでますかあ〜! いっそ国を挙げて娯楽映画を量産すればいいのに...。
 そして営業許可証を売るべく考えたおれの計画は、九州のマリックおじさんと条件が合わずにみごとに頓挫した。そうそう世の中はうまくいかないということである。
 最終的に冷蔵庫を含めた什器や店を作るために買い揃えた工具類は、大家の親戚や近所でゲストハウスとカレー屋をやっているビッグSに、作ったテーブルや椅子は店のお客さんのラオス人に買ってもらうことが決まった。すべてはトランク一つで来たときのように、トランク一つの荷物に戻った。ただ許可証だけが手元に残った。
 終点が見えてきた。
 あとは飲むだけだった。

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