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第42回

■世界はまだまだ謎に満ちている

 バルタン伊藤は居合いの達人である。真剣を握らせれば気合い一閃! 藁を巻きつけた青竹もみごとに真っ二つだ。見たことはないけど。
 そのことを知っていたわけでもあるまいが、カフェ・ビエンチャンの斜め向かいにあるMICゲストハウスの支配人が日本刀を買わないかと言ってきたことがある。
 ちなみにビエンチャンには外国人旅行者が集まる中心部から遠く外れた住宅街にも、たくさんの“GUEST HOUSE”と英語表記された宿があって、住み始めた当初は外国人旅行者などそれほどいないはずなのにと不思議でしょうがなかったのだが、分ってみると何のことはない。ゲストハウスというのは、ラオスではラブホテルの意味だったのである。ラオス語ではフゥアンパック。さすがに中心部にあるゲストハウスは外国人旅行者専用だとビエンチャン人なら理解はしている。しかしそれでもなかには意味深なニヤニヤを浮かべる男どももいて、助平な想像力だけは洋の東西を問わないという典型である。
 そしてその助平なゲストハウスではない外国人旅行者相手のゲストハウスの支配人だ。
「知り合いが日本刀を持ってるんだけど、おたくに来る日本人のお客さんで誰か買ってくれる人がいないかな」
 ラオス人が日本刀を持っているとすると、おそらく太平洋戦争中にやって来た日本軍のものだろうが、とにかく伊藤さんに話をしてみることにした。
「どんなものなのか見てみたいですね」
 ということで一緒にゲストハウスの支配人の話を詳しく聞いてみる。するとやはり日本軍が残していった軍刀らしい。
「練習用に使えればいいかな。旧日本軍の軍刀はなまくらで駄目なんですよ。三〇ドルがいいところですね。それなら買ってもいいです」
 旧日本陸軍の仕官クラスは軍刀を下げるのが慣わしだったが、軍の支給ではなく個人が自費で誂えねばならなかったというのを本で読んだことがある。そのためなるべく安くというのは薄給公務員でもあった彼らの偽らざる思いでもあったろう。だから武家出身の先祖を持ち家宝の刀を譲り受けたという名門の軍人以外は、刀剣としては価値のない粗製乱造品を身につけているのがほとんどだったらしい。まして外地に残された軍刀だ。手入れもロクにされていないだろうし、ひょっとしたらサビすら浮いているかもしれない。『何でも鑑定団』を見ていない人間でも三〇ドルは高いほうだと言うのではないだろうか。
 しかし支配人の友人は違ったらしい。
「そんなに安いのか」
 支配人の言葉におれは聞き返した。
「いくらだと思ってた?」
「友人は一〇〇〇ドルくらいにはなるだろうって」
 ファッファッファッ! 伊藤さんがバルタン笑いをあげた。
「いやあ、それはない。それだけ払うんだったらもっと大きなエビ飼育用の水槽と酸素を入れるポンプを買いますよ」
 何でも話をエビ方面に帰着させてしまうバルタン伊藤の一言で日本刀売買の決着はついた。戦争と言ったらベトナム戦争当時の話ばかりがクローズアップされているラオスであるが、太平洋戦争当時にはここラオスを含めて、インドシナ半島には多くの日本軍人がやって来ていたということを教えてくれた一件だった。
 とここまで書いてナニではあるけれど、話したいことは日本刀売買のことではない。ちょっと待てよ。じゃあここまでの話は何だったんだということになるだろうが、おっさんのおれには時間がないのだ知ったことかと話を進める。
 MICゲストハウス横に連なるミニマート入り口で、日がな一日、毎日のように近所のオヤジたちとペプシの王冠で将棋をさしている職業不詳の若い男についてだ。
「ああ。たぶんそいつ、秘密警察ですよ」
 教えてくれたのはカメダさん。
「嘘だぁ」
 共産主義国であった旧ソ連にはKGB、旧東ドイツにはシュタージがあった。中国にはそれらを模した国家安全省がある。だから同じ共産主義国であるラオスに秘密警察があってもなんら不思議ではない。
 しかしノホホンを本分として生きているようなラオス人に、鋭い監視によって国民や外国人の政治動向を探る秘密警察の仕事が務まるとはどうにも思えないのだ。できたとしてもせいぜい“オースティン・パワーズ”のおバカなスパイがせいぜいだろう。
「嘘じゃありませんて。うちのお客さんで秘密警察の男がいて、手帳を見せてもらいましたもん」
 秘密警察なのに正体を明かすというのもどうかと思うが、カメダさんは真剣である。
「トゥクトゥクの運ちゃんに多いらしんですよ。それからフルーツ売り。あいつら一ヵ所に居ついてほとんど仕事してないでしょ。担当区域を監視してるんですよ」
「そういえば…」
 おれは借りた家に住み、カフェ・ビエンチャン作りを始めたときのことを思い出した。住んでいた大家が入れ替わるようにして出て行った一週間後くらいのことだ。早朝に制服警官と私服の男が踏み込んできて、怖い顔でパスポートを出せと迫ってきたのだ。何が何だか分からず、しかもラオス語もチンプンカンプンだったのでオシッコちびりそうになりながら慌ててチャンタブンに電話して取り成してもらったところ、外国人の不法滞在チェックに来たとのことである。
「それですよ。秘密警察にチェックされてたんですよ」
 まあビザもちゃんとしているし監視されてヤバイことは何もないが、やはり秘密警察が常時うろついている社会というのは気持ちのいいものではない。これまでさんざんラオスの能天気さやいい加減さを書いてはきたけれど、まあどこの国にも“裏”というものはあるもので、この秘密警察もその一つなのだろう。
 だがよくよく思い出してみたら、自分のことだけでなく一年前の二〇〇六年にも次のようなことがあったのだ。
 その年、ラオスで数年ぶりの国政選挙が行われた。カフェ・ビエンチャンの優秀なラオス人従業員だったセン君も投票に行くと言う。そこで投票用紙に×印を書いて投票しろと冗談で言ってやったのだ。反応は思いもかけないものだった。セン君の顔が引き攣ったのだ。そして震えるような仕草をして、こう付け加えたのである。
 警察に捕まる。
そのときは何を大げさなと思ったのだが、ひょっとしたらあれは秘密警察を怖がっていたのか。
 革命後のラオスの歴史を調べてみると、共産党政権お決まりの政治的粛正や収容所送りがあったことがわかる。ならば秘密警察が存在するとは不思議ではない。だがやはり周りのラオス人たちのノホホンさかげんに接していると、どうにもこうにもピンとこないのである。住んではいるが、まだおれは外国人ということなのかもしれない。
「今度その秘密警察の男が来たら紹介しますよ」
 カメダさんが言った。
 おれはまた分らなくなった。
 秘密警察員って奴らは紹介されると、ドウモドウモって握手してくれるのか?
「まあ、いいじゃないですか。それよりビール飲みましょうよ」
 納得しないが、とりあえず飲むか。
 世界はまだまだ謎だらけだ。

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