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第47回

■ビエンチャン食材事情
 
 カフェ・ビエンチャンの朝は早い。なんだかんだと五時半か六時には起き出して一階に下り、冷蔵庫から冷えた水を取り出しまずは一杯。すぐさま仕入れにトンカンカム市場へと向かう。寝起きで髪はボサボサ。顔も洗わず歯も磨かずにそのままでご出勤だ。しかしネクタイ締めてスーツを着るわけでもなく、Tシャツに短パンはいてビーサンつっかけ行くだけだから気にもならない。冬場ならまだしも五月ともなれば六時といっても気温は二十五度以上にはなっているわけだし、てくてく歩いての仕入れだから汗をかく。戻れば店や厨房を含めて二階の部屋の掃除もある。わざわざシャワーを浴びるのは意味がない。それに朝はなるべく早く市場に行ったほうが肉も野菜も新鮮で品揃えも豊富だから、美味いものを出そうと思ったら身支度している時間も惜しいというのは言い訳で、ただ単に五十を過ぎたオッサンのズボラである。汗臭加齢臭なにするものぞ。もっと臭って誰彼かまわず抱きついてやるわ! クワックワックワッ!
 ちなみに夜寝るときは素っ裸である。最初こそパジャマ代わりにTシャツ短パンで寝ていたのだが、エアコンを入れっ放しで寝ていたら寒すぎ、かといってエアコンなしだと暑すぎて寝られず、体と協議の結果素っ裸に落ち着いたのだ。折り畳みマットにタオルケットに枕一つ。他に身に纏うものはなし。清貧の素っ裸である。
 トンカンカム市場はカフェ・ビエンチャンから北、直線距離にして八〇〇メートルくらいの場所にある。場内と場外に別れ、場内は終日営業しているが場外は午前中だけの営業である。
 場内は肉、魚、野菜、果物などの生鮮食品の他に加工食品、酒、米、食器や台所用品、文房具、寝具、洋服、日用雑貨を商う小売店が入っている。
 場外は野菜が中心で肉や魚を売る店も少ないながらある。野菜は業者が外部から売りに来ているようだが、肉と魚に関しては場内の店が朝だけ出店しているのが多いようだ。
 もちろん食堂もあって、買出しの人々が米の麺をあっさりとした鶏のスープで食すカオピヤックや定食などを店主と冗談を言い合いながら食べている様子は、早朝の築地市場で目にする風景とそう変わりはない。だからこそ日本人であるおれも、それほど戸惑うことなく市場通いをはじめられたのだと思うのだ。アジアの食文化は繋がっているのだなあと、しみじみと考えさせられることの一つである。
 カフェ・ビエンチャンで仕入れるものは野菜と肉が中心だ。魚は貸し切りの宴会が入らないかぎり、めったに使わない。それにラオスには海がないので市場で売っている魚は川魚ばかり。しかもティラピアやナマズがほとんど。だから海の魚を食って海の魚しか知らないおれには料理の仕方がわからないのだ。たまにベトナムやタイから入ってきた冷凍物の鯵もでたりするが、包丁で捌きたくなるような品でもないと思ってしまうのは、〆鯖だ鱈の昆布締めだ、鰯の酢漬けだ、刺し秋刀魚にイクラの醤油漬けにイカの塩辛にスモークサーモンだのと、新鮮な食材を使って作り食い続けてきたおれの我儘だろう。
 調理のわからない川魚だが、でかい鮒みたいな見かけのティラピアはラオスではよく食べられていて養殖も盛んだ。白身で脂ものり味も良い。ならばと鯛めしのようにして土鍋で炊き上げてみた。これが鯛めしそっくり。もちろん大好評。貸し切り宴会には欠かせぬメニューとなった。
 めずらしくアサリが手に入ったときには、塩をしたティラピアの両面をオリーブオイルをひいたフライパンで軽く焼き、そこにアサリと水をぶち込んで強火で一気に炊き上げるアクアパッツァを作った。ごく簡単に作れて失敗のないイタリア料理の定番だが、それもまた絶品。しかしアサリやハマグリ、ホタテなど、海の貝がないと味が決まらず成立しないので一回きりの幻の一品になってしまった。ラオスでは仕方のないところである。
 肉は豚、牛、鶏、家鴨がメイン。農村部に行くと水牛も食べるが、こちらは農耕用にも使われ祭事でもなければ食べない超高級肉で牛よりも高い。そのほか鹿や猿などの肉もビエンチャン郊外や田舎では出回っていて、希少動物の肉も売られているらしいが、もちろん公には違法である。一度トンカンカム市場でネズミの開きを売っていたが、どうやって食うのかは不明だ。
 牛といえば、ラオス中央部の山奥にある少数民族村を訪れたとき、ちょうど祭事で牛を潰すところを見る機会があった。村の広場で四肢を縛られ倒された牛が、ナイフで切り開かれた首の切り口から手を入れられ、頚動脈を引き出されて血を搾り取られているところだった。失血死させるのだ。朝だった。目は力なく見開かれていた。それでも、搾り取られていく生命を何とかひきとめようとあらん限りの声を出し山の冷たい空気をふるわせ続けた。
 残酷だとは思わなかった。こうやって人間は生き続けてきたのだという壮大な事実だけがそこにあった。
 牛の声が途絶えたとき、清潔な死が横たわっていた。
 村人の笑い声があがった。
 臭いもなかった。
 屠られた牛は村人に分けられた。搾り取られたばかりの血は、ラープというラオスでよく食べられているサラダのドレッシングとなった。肉は煮込み料理。食べたが硬かった。しかし美味かった。
 生きることは殺すこと。だから食べることができることに感謝を。紙の上で読んだ言葉が実感として身体の中に入ってきた。
 トンカンカム市場では豚肉をメインに仕入れる。たまにレバーやマメ(=腎臓)を。レバーは焼肉用に。マメは湯でボイルしたものを薄切りにしてオイスターソースで。これは中国家庭料理の定番。新鮮だと癖もなく歯ごたえもあって抜群に美味い。
 豚肉売り場には小腸も出ることがある。ホルモン焼き用にと挑戦したことがあるが、臭みを取る掃除が手間で一度きりでやめてしまった。日本の焼肉屋さんの苦労を思い知らされた。ご苦労様です。
 ラオスの豚肉は皮付きで売っている。もともと肉自体がとても美味しいのだが、皮が付いていると歯ごたえがあっていっそう美味く感じるのはおれだけか。日本で皮付きの豚肉を売っているのは沖縄だけらしいが、ぜひ日本全国でそうしていただきたい。
 沖縄では肉屋に豚の顔が売っているが、ラオスの豚肉屋でも同じだ。豚の耳も同じようによく食べる。
 そういえば緒方修という沖縄大学の先生が書いた「燦々オキナワ」という本では、一つのグラスになみなみと注いだ泡盛を一気飲みしながら隣の人にグラスを回してゆくというのが沖縄流宴会の飲み方と紹介されていたが、これもラオスとまったく同じ。さらに宴会の開始時間が六時となっていても集まるのは八時。「怠ける。努力しない。テーゲー(大概)にしておく」という沖縄人気質など、ラオスと沖縄の共通点の多さにびっくりさせられた。海を隔てたアジアの文化の繋がり。世界は広く深いぜ。
 肉に関してはトンカンカム市場で買うが、店で出すメインメニューの牛タンは郊外の市場まで出向くことにしている。トンカンカムでは店に出るのが不定期だし、たとえ売っていても小さいものがほとんどだからだ。牛タンは根元が太くでかいのが美味い。郊外の市場で見つけた肉屋は常にその極上品をそろえているのだ。しかもたまに極上の上をゆくサシのきめ細かく入った超極上品が出ることもある。そうなると常連の焼肉大王が言ってくれるだろう言葉を想像して、タンを捌きながら思わずにやりとしてしまうというものだ。
「クロダさん、今日のはアタリですっ!」
 この郊外の市場では牛の胎児などといったすごい一品が売られていたりもするから侮れない。子宮に入っていた子牛である。形はしっかりと牛。てかてかと光っている。どうやって食うのかは知らないが祝いごとで食うと聞いた。開高健の小説『日本三文オペラ』には、在日朝鮮人の男が精をつけるためにと豚の胎児を羊水ごと飲むというのが描かれているが、ひょっとしたらラオスでも同じようなことなのかもしれない。アジアは繋がっているのである。
 卵屋もある。行きつけの卵屋は若い人妻が店番をしている店。はにかんだ笑いの底からほのぼのと立ち上がる妙な色気が気にかかるのは、日本にいようとビエンチャンにいようと同じである。アジアは繋がっているのである。
 野菜はジャガイモ、ニンジン、タマネギ、オクラ、ゴーヤ、トマト、ナス、サラダ菜、リーフレタス、キャベツと日本で手に入るものはほぼ揃っている。キノコも種類が多い。大根もあるが、しかし型は小さく中心に簾が入っているものも多くて使いづらい。カフェ・ビエンチャンではなんとかサラダに使っていた。
 東南アジアだけにハーブ類も豊富だ。店でよく使っていたのはバジル。イタリア料理でよく使うスイートバジルではなくミントバジルだと思うのだが、潰してニンニク、オリーブオイル、白ゴマと混ぜジェノヴァソースにして使う。
 市場に出まわっている野菜は虫食いのものが多い。農薬を使っていない証拠なので素晴らしいことなのだが、日本の調査機関の手伝いでビエンチャン郊外の農村調査を手伝ったことのあるラオス人の知人に聞くと、その農村一帯では農薬をがんがん使っていて野菜を食べるのが嫌になったという。たしかに虫食いのない野菜もたまに目にするが、農薬使用はこれからのラオスの問題になるかもしれないと突然農業評論家になったおれ。
 米は美味いと思う。すくなくともタイ米よりは口に合う。それは在住日本人の一致した意見だ。さすがに寿司は握れないが、和食でもそこそこ問題ないのが日本人にはうれしい。
 ということでトンカンカムに出向いたおれは、髪ボサボサの加齢臭を撒き散らしたまま豚肉屋のオバチャン相手にいつものように叫ぶのである。
「安くしろよお!」

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