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第50回

逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー)
『逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー)』
渡辺 京二
平凡社
1,995円(税込)
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■渡辺京二『逝きし世の面影』に見つけたラオス

 以前にも書いたが、ラオスという国は言葉の分からないおれのような日本人オヤジが突然やって来て住みはじめても、ほとんどといっていいくらいストレスを感じない珍しい国だ。もちろん社会の仕組みも違うし不便なことは山とある。しかし、それがなぜか苦にならないのだ。
 治安が良いということもあるだろう。タイやベトナム、カンボジアなど周辺諸国と比べても段違いである。ラオス一の大都会であるはずの首都ビエンチャンにしたって、日々殺人事件が起き夜の住宅街を一人歩きすることが危険となってしまった東京などと比べたら、『となりのトトロ』に出てくる夢のように平和な田舎村としか思えないくらいだ。
 もちろん置き引きやコソ泥などはあるが、それにしたって家の前に設置してある水道メーターを盗んだり、工事現場から電動工具を盗んだりのショボイものがほとんど。しかも盗んだものを次の日堂々と盗みに入った家や事務所に売りに来るというマヌケぶりである。ひょっとしたら売りに来られた側も、それを盗まれたものとは気づかずに買うことが多いからこその行動かもしれないが、どちらにしてもこの緊迫感のなさと脱力感は尋常ではない。信じられないだろうがほんとうの話である。
 そんなことだから捕まえる側の警察もまったくやる気がない。世界遺産の町ルアンパバン近郊の村で農業指導をしている日本人女性に聞いたことがあるのだが、ルアンパバン市内中心部にある彼女の事務所に泥棒が入ったことがあって当然警察を呼んだそうだ。ところが来た警官は近所に聞き込みに行くだけで、指紋すら採取しようとしないのだという。
「あいつら時代劇に出てくる役立たずの岡っ引とまるっきり同じ。隣の家に行って"誰か怪しい奴は見なかったかい"なんて聞いただけで、あとは二時間もお茶飲んで世間話して終わり。岡っ引ですよ、岡っ引! もちろん泥棒なんて見つかりはしませんよ!」
 ホテルや商店などが密集するルアンパバン中心部は三〇分も歩けば一周してしまうくらいの狭さだから、本気で捕まえようとしたら不可能ではないだろうとおれにも思えるのだが、きっとその岡っ引警官は汗水流して探し回るよりもマヌケな泥棒が盗んだ物を売りに事務所に戻ってくるほうが早いと踏んだのかもしれない。あり得ない話ではないと思う。それだけお気楽な社会なのだ。ラオスという国は。
 では凶悪事件がないのかといえば、ごくごくたまにだが起こることはある。おれがビエンチャンに住みはじめた一年前の二〇〇三年には、市内中心部にあるマーケット、タラート・サオ横のバス・ターミナルで爆弾テロがあったらしいし、ビエンチャンからバンビエン〜ルアンパバンを繋ぐ国道13号線上の峠道では通行するバスや車を狙ったモン族の反政府組織による襲撃が何度か報告されている。国道13号線はおれも一度だけルアンパバンからビエンチャンまで通り抜けたことがある。折り重なる山の峰や谷を縫うように走るバスの車窓から見える絶景はまさに緑の洪水で、その圧倒的な美しさに息をのまされたことを覚えている。
 しかしビエンチャンに住むラオス人たちによると、いくら圧倒されようと美しかろうと、バスや車でその道を通り抜けるなど目隠しして地雷原を走るのと同じくらい危ないことで、自殺志願者でもないかぎりは絶対に行くべきではないと声を大にする。だからラオスで活動している日本の海外援助組織の人間たちは、ビエンチャン〜ルアンパバン間の車での移動は禁止されていて飛行機しか使わないのが普通である。
 ところが普通でない日本人というのもたまにいるものだ。エビ研究者のバルタン伊藤である。彼はエビ生息地であるルアンパバン奥地に通うため、車で月に何度も国道13号線を往復しているのである。
「いやあ、けっこう危なそうな人間が車止めようと道路に出てきますよ。そんなときは無視してスピード上げて走り抜けることにしてるんですけどね」
 バルタン伊藤に言わせると、夜の走行より昼間のほうが危険らしい。賊が車を確認できるし、農民を装って車を止めやすいのだそうだ。
「まあ、どんなことがあっても車を止めないことですね。あとは危険を察知する勘です」
 さすが居合いの達人のお言葉である。座頭市を父に持ち、あずみを妹に持つと噂される別名"示現"とはこの男である。おそらく彼の車の中には仕込み杖が何本も置かれているに違いない。
 国道13号線の通行車両を襲っているのはモン族の反政府グループということらしい。そういえば二〇〇七年の五月のことだ。アメリカ在住のモン族反政府グループがラオスの同組織に武器を密輸しテロを画策していたとして逮捕され、それを受けたラオス政府がビエンチャン市内の警備を強化したことがあった。観光客が集まるメコン河沿いは特に警備が厳しく、二人一組になった軍人が自動小銃を肩に巡回する姿が目に付いたが、そこはラオス人で、広場で行われている市民エアロビクスで身体をくねらせていた小娘に目が釘付け。テロは大丈夫かと声をかけたくなるノンキさだった。
 そのほか市内の宝飾店にピストル強盗が入り主人が撃ち殺されたという事件もあったりしたが、それにしたって稀なことで、生死に関わるような凶悪事件が起きることはほとんどない。仮に起きたとしても、すべて犯人は密入国してきたタイ人でありモン族の過激派だというのがラオス人の見解である。
 過去はともかく、現在のラオスは平和である。気が抜けるほどに平和である。そこのところが同じく平和ボケした日本人の共感を呼んでストレスを感じないのか。
 そう思っていたのだが、先日、ある本のことを思い出し久しぶりにページを開いてみて驚いた。ラオスに住んで日本人がストレスを感じない理由。その答えがそこに書かれていたのだ。渡辺京二の「逝きし世の面影」である。
「逝きし世の面影」は、幕末・明治の外国人訪日記を通して、日本の近代化によって滅ぼされた江戸文明の諸相を甦らせようと試みたすこぶるつきで刺激的な歴史試論である。日本人が忘れ去ってしまった江戸時代の人々を形作っていた精神。あるいは彼ら江戸人が作り上げた社会構造とはどのようなものであったのか。それを訪日した外国人の視線から見つめなおしてみようというものだ。
 するとどうだ。そこから浮かびあがってくるのは、おれたちが知らない日本人の姿ばかり。しかも現代の日本人とはまったく繋がらない、オメデタでゴキゲンなご先祖様のオン・パレードなのだ。たとえば明治十年に来日した生物学者のモースは、日本人の労働についてこう記しているのだ。
"ちょっとでも動いたり努力したりするまでに、一分間あるいはそれ以上のあいだ歌を唄う"
 幕末に来日したスイス人リンダウも言う。
"(日本人は)東洋に住んだことのないヨーロッパ人には考えもつかないほど無精者である"
 ははっは。おれたち日本人は勤勉な民族ではなかったのかね。
 明治政府の法律顧問として明治五年に来日したブスケは、もっと詳しく書いている。
"(日本人労働者は)必要なものはもつが、余計なものを得ようとは思わない。大きい利益のために疲れ果てるまで苦労しようとしないし、一つの仕事を早く終えて、もう一つの仕事に取りかかろうとも決してしない。(中略)どこかの仕事場に入って見給え。ひとは煙草をふかし、笑い、しゃべっている。(中略)仕事を休むために常に口実が用意されている。暑さ、寒さ、雨、それから特に祭である"
 いまならばすぐさまクビだ。
まだある。通商を求めるため幕末にプロイセンからやって来たオイレンブルク使節団の公式記録だと次のようになる。
"彼らは給料を受け取るとしばしばまる二,三日は姿を見せず、酒場を徘徊し、有金を全部使い果たすまで戻ってこない"
 すばらしい。
 一般庶民の暮らしの様子についても残っている。
"この民族は笑い上戸で心の底まで陽気である""日本人ほど愉快になりやすい人種は殆どあるまい。良いにせよ悪いにせよ、どんな冗談でも笑いこける""彼らの無邪気、率直な親切、むきだしだが不快ではない好奇心、人を楽しませようとする愉快な意志は、われわれを気持ちよくした"...。
 日本人は照れ屋だと言ったのはどこのどいつだ。
 渡辺京二は書く。
"日本近代が前代の文明の滅亡の上にうち立てられた事実を鋭く自覚していたのは、むしろ同時代の異邦人たちであった。彼らが描きだす古き日本の形姿は実に新鮮で、日本にとって近代が何であったか、否応なしに沈思を迫られる"
 そうなのだ。明治近代以前の日本人というのは、現代のわれわれとはまったく違った精神文明を有していた人々だったのである。
 ところでこれら外国人訪日記に記された内容の数々は、どこかで聞いた言葉ではないだろうか。いや。おれ自身がここに書いていなかったか。
 書かれている日本人をラオス人と置き換えてみるといい。
 どうだろう。これら維新前後に来日した外国人が日本人に対し感じたことというのは、ラオスに住んでいる日本人を含めた外国人が常々口にしているラオス人評価と、寸分の違いもなく同じだと思えないだろうか。つまりこういうことだ。明治期に変質してしまう以前の日本人は、ラオス人と同じ人生観・社会観を持ち同じような生活を営んでいたのでではあるまいか。もっと簡単かつ強引に言ってしまえば、日本人はラオス人と同じだった...。なんだか『ムー』の表紙に書かれてるキャッチ・コピーみたいだが、渡辺京二の本を読んでいると、そうとしか考えられなくなってしまうのだ。だからこそ遺伝子に残された遠い記憶がラオス人の現在と共鳴して、この見事なまでにノホホンとした脱力社会に懐かしさと安らぎを感じてしまうのではあるまいか、と。ストレスを感じないわけである。
 日本人=ラオス人説。突拍子もないようだが、このおれの説を裏付ける証拠が実はまだあるのだ。ラオス在住の外国人のなかでラオス人のようにダラダラノホホン化してしまう率が高いのが、日本人だという事実である。

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