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特別編

■カフェ・ビエンチャン【臨時】営業中! 2009 その5

1mekon.JPG●二月十九日(木)
 朝夕のあまりの涼しさに"せっかく北海道から来たのにこんな寒さでは来た意味がない!"と文句を言っていたのが嘘のように、ここのところ朝も昼も夜も暑さが引かない。日中の気温は三五℃近くまで上がり、夜中になっても三〇℃を切ることがなくなっている。汗をかくというよりも、汗をかくまで動けないほどに暑い。
「いよいよ夏ですね」
 カメちゃんが楽しそうに言う。
"暑季"と呼ばれる三月から五月にかけては、ビエンチャンで平均気温が最も高い時期にあたる。雨も降らず曇り空になることもめったにない。空気はカラカラ。犬も猫も人も、日中は何もする気が起きずにただ日陰でダラダラしているのがあたり前。汗をかいて働く人間がバカに見えてくる。人生まじめに働いて働き抜くことこそが正しいと息子に言い続けた母親を感動込めて唄った九州出身のフォークシンガーがいたが、彼がラオス人だったらおそらく次のように唄ったに違いない。

こらテツヤ
そんな暑いなかで働くのは
狂った犬と日本人だけぞ
身体を悪くしたら何にもならん
休め、遊べ、楽しめ、
テツヤ

 自然環境に寄り添うように生活し、最小限の労働と最小限の収益で自足した文明。富国も望まず強兵も考えない。楽しいことが第一。金は天下の回りもの。棚からボタ餅があれば嬉しいが、なければないで何とかなる。それがラオスだと思う。他国から見ればただの怠け者だが、当事者に不満はないのだから余計なお世話だろう。それが間違っていると金をドカドカつぎ込むだけでなく、生きるスタイルまで変更を強要するのはどんなものだろう。勤労がけっして美徳ではない文明があるのだ。昼間は日本の企業に勤めている半ばラオス人化したカメちゃんが、冗談めかして言った言葉が胸に刺さる。
"納期に合わせるのではなくて製品が出来たときが納期だって、日本人はどうして考えられないんでしょうかね"
 笑った。しかし目からウロコであった。自由化という名のアメリカン・スタンダードの強要に対する批判が一時期日本で巻き起こったが、日本もまた他国に行けばジャパニーズ・スタンダードの強要をしていることに気づくべきだろう。
 ラオスにはラオスのスタンダードがある。
 富国も強兵も考えないこと。
 そして暑いときには昼寝をすることだ。

 などと考えながらトンカンカム市場に行く。夜のメニューはまだ決まっていないが、市場に行き食材を見ていれば何かが浮かぶはず。そう思っていたらやはり厨房の神様が降りていらっしゃった。タコスに決定。ブルー・スカイでもメニューに載っている料理だが、今回のカフェ・ビエンチャン版は野菜たっぷりのサルサソースに巨大ステーキを加えたスペシャル版に。ステーキは牛肉を使うのが本来だろうけれど、ラオスの牛肉は固いので柔らかくて美味しい豚肉を使うことにする。タコスの皮はブルースカイで作っているものを使わせてもらおう。うん。これは素晴らしいアイデアだと自画自賛。ここにきて一年半前の調子がようやく戻ってきたようだ。
 開店。
 ヨシダハルカ嬢とアラ主任が腹減ったと叫びながら飛び込んでくる。つづいてビューティ・ホリイも。さっそくスペシャル・タコスを。
「うまあいっ!」
 大合唱。
 当然である。作ったのはおれである。
2make.JPGのサムネール画像のサムネール画像 バルタン伊藤が来る。
「今日は化粧はしないんですか」
ビューティ・ホリイが笑いながら言う。実は二日前に来たときに、女装大会第二弾としてバルタン伊藤はビューティ・ホリイに化粧を施されていたのだ。テーマはレスリー・チャン。ちょうど居合わせたポンサリー嬢が駆け足で家に帰って持ってきた謎の女子高制服もついでに着せて、ヘアピースまでつけるという完全版女装である。
「いやあ、もうしませんよ。十分ですよ」
バルタン伊藤が苦笑いを浮かべる。
「なかなか似合ってたのに残念だなあ」
おれは悔しさたっぷりで言った。何を隠そう。バルタン伊藤が女子高生になったとき、おれも対抗して化粧をしてもらったのだ。しかしこれがまったくのハズレ。原節子を目指したにもかかわらず、出来上がってみると地方TV局で放映されている地元醤油メーカーのCMに出てくるブキミなオバチャン・モデルとしか思えない容貌。ショックを受ける。
「古典的でいいですよ」
 ビューティ・ホリイは言うのだが、自分が施した化粧だから悪く言えないだけだろう。
 しかしオッサンのおれが化粧の良し悪しで対抗心を燃やしてどうなるのだ? カフェ・ビエンチャンは完全な女装酒場になってしまったのか。
「とにかく女装はあれが最初で最後です」
 バルタン伊藤はジントニックを空けて宣言した。
 インドネシアの疲れたオカマみたいで、それが妙に似合ってたのに残念。

2okada.JPG 閉店間際にYULALAの店主オカダが大学の先輩を連れてやってくる。
「君も女装しないか」
言ってみたが"嫌ですよ"のお答え。あたり前か。
「だけどクロダさんがいると、どこでもカフェ・ビエンチャンになるんですね」
 そうなのか? よくわからないがおれは肯きながら言った。
「今度また泊まりに行くよ」
 店主オカダは笑いながら答えた。 
「来なくていいです」
 午前一時過ぎ閉店。
 店主オカダ、金が足らず五〇〇キープを値切って帰る。
 必ずまた泊まりに行ってやる。

●二月二十日(金)
 カフェ・ビエンチャン臨時開店の最終日である。長いような短いような。しかし充実した毎晩だった。
「最終日のメニューは何にするんですか?」
 カメちゃんがわざわざ会社からブルースカイの従業員の携帯を介して訊いてくる。まだ決めていなかったが、その言葉でまたもや厨房の神様が降臨。
「ヤギ肉ジンギスカン!」
 今回初めての"焼き"メニュー。カフェ・ビエンチャンでは毎週金・土曜の二日間だけ出していた、牛タン炭火焼と並ぶ人気メニューである。
「よおおしっ!」
 携帯の奥から、カメちゃんの気合いの入った声が響いた。
 バイクでヤギ肉の買出しに行く。ブルースカイの50cc原付きを毎日貸してもらっているのだ。免許は持っていないがヘルメットはちゃんと被っていますのでご安心を。
 ヤギ肉は郊外のヤギ料理レストランに買いに行く。以前から仕入れていた店だ。ITEC(アイテック)というスーパーマーケットや映画館を併設した物産会場からしばらく行った場所にある。
 おらおらおらあ! トロトロ走ってんじゃねえぞ! うらぁ! と気分はブラック・エンペラー・モードで疾走するも、スピード・メーターを見ればたかだか30キロなのが恥ずかしい。
 仕入れたヤギ肉は2kg。以前はkg七五〇〇〇キープだったのが、今回の仕入れ値はkg八五〇〇〇キープである。一年半の歳月を感じる。
 ヤギ肉は食べやすい大きさに切り、炭火七輪に乗せた網で焼く。それを醤油やオレンジジュースなどを調合して作ったタレでいただく。味は北海道人なら誰でも知っているベル食品の"ジンギスカンのたれ"に似せてある。
 もう一品も出すことにする。クレソンとトマトの山盛りサラダ。これもカフェ・ビエンチャンの人気メニューの一つだったもの。クレソンの苦味が焼肉にぴったりなのだ。
 そのクレソンを買いにトンカンカム市場に。九〇〇〇キープ(約一〇〇円)も出せば、直径六〇センチのサラダボウルに山盛りの量が買える。
「長いこと見なかったねえ」
 と八百屋のオバチャン。
「日本に帰ってたからね」
「今度はどれくらいいるの」
「三年くらいかな」
 思わず言ってしまったが、そんな気分になっていたことも確かだ。
 このまま本当に居付いてしまおうか。
 おれはこの街が好きなのだなあと実感する。

 ブルースカイに戻って料理の仕込み。
 厨房で働くブルースカイの気の良い小娘従業員二人組が、いつものように興味深そうにおれの調理を見守る。
店の女性チーフであるコンちゃんが厨房に入ってきて言う。
「日本に帰るなんて言わないで、ラオスで結婚して住めばいいのに」
「ははは。相手がいない」
「この子たちがいるじゃない」
「はあ? この娘たち、いくつだよ」
「十五歳」
 ぶっ飛んだ。そんな年齢だったの? せいぜい十八、九だと思ってた。
「どっちがいい?」
 コンちゃんは子持ちのオバチャンだけに聞くことがストレートだ。
 おれは答えた。
「両方!」
 厨房が爆笑に包まれた。

cafe1.jpg 最終日の店開き。
 常連たちが続々と。
 全員が、以前作った"カフェ・ビエンチャンTシャツ"を着て来る。嬉しいではないか。
「あああ! みんな着てる!」
 アラ主任の声。最も着用せねばならない彼女だけが自前のTシャツ。
「洗って乾いてない...」
「まあ、いいではないか」
 おれはビア・ラオを注いでやった。
「どうもどうも」
 ウインさんも来た。
「ようやく顔を出せました」
 大使館のアオキさんもやって来た。
「メニューは何ですか?」
 調理人ビッグ坂野だ。
「クロダさん、調理はいいから飲みましょう!」
 カメちゃんが叫ぶ。
 暑いビエンチャンの夜が更けてゆく。

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