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第28回

■カフェ・ビエンチャン再発進!

 ビエンチャンに戻った翌日には店を開けた。五ヵ月半ぶりである。営業許可証のほうはどうにか入手できたが、残っている財務省と税務署の許可証の手配もすぐに始めなければならない。しかしそれがいつ出るかはわからない。どうせ役人のダラけた仕事とわけのわからない書類に振りまわされて時間がかかることは目に見えていた。それに合わせて、店を放っておくこともできない。それにここで店を再開しなければ、せっかく付きはじめた客に忘れられてしまうに違いなかった。だから、それまで休んでいたぶんを取り戻すこともあって、特別な用事がないかぎり定休日をなくして日曜も営業することに決めた。
「どうしたんですか。頭がおかしくなったんですか」
 亀田さんが半ば冗談で言った。長く店を休んでいただけに、帰って来た翌日に店を開けるなど信じられないらしい。
「もともとおかしいんですよ」
 おれは言った。そうだ。おかしくなけりゃ、ビエンチャンにまで来て、やったこともない酒飲みカフェなんて作るかってんだ。
 埃のかぶった店を手始めに、キッチンや二階の部屋を大掃除した。思っていたほど汚れてはいなかったが、それでも一日仕事だった。
そんなこともあって食材の仕入にも行けず、オープンの日に限っては仕方なく冷凍してあった豚角煮とビールだけのメニューだ。どうせビエンチャンに帰ってきたことは、亀田さんを含めてほんの一部の人にしか知らせていない。また知らせたとしても、長く休んでいたから来てくれるかどうかもわからない。ならば一からはじめるつもりで、ひっそりと店を開け、地味に謙虚にコツコツと営業していこう。などと謙虚もコツコツも大嫌いなくせに思ってしまったわけだ。
 ところがいるはずもないと思っていた、カフェ・ビエンチャンの再開を待っていてくれた人はいたのである。
「マスタぁー。待ってましたよ~!」
 掃除が一段楽したところに顔を出したのは、LJ(Laos-Japan)センターという日本文化を紹介する施設で働いているマスダ嬢だった。開店当初からの常連で、おいしいものを食べることが大好き。いつも元気いっぱいの、楽しい女性だ。カフェ・ビエンチャンで出すメニューをとにかく気に入っている彼女は、新メニューが出されると必ず食べて“おいしい!”のひとことを言ってくれる。それだけではなく駄目なものは駄目だとも、はっきりと言う、料理人にとってはこれ以上ない頼もしい客である。まだまだ認知度が低かった店に週何度も通ってくれた彼女には、駆け出しの料理人であるおれはどれだけ力づけられたことだろうか。
 しかし考えてみるとカフェ・ビエンチャンは、ほんとうにお客に恵まれた店だといえるだろう。料理に対してはもちろんだが、それ以上に誰もが店そのものを好きになってくれるのである。店ですごすことが大好きになってくれるのである。その好きだという気持ちが、店をますます心地よい雰囲気にしてくれた。すべてを忘れて、心地よく酔っ払える。いつの間にかカフェ・ビエンチャンは、おれの理想とする店になっていた。
「帰国に間に合わないかとヒヤヒヤしてましたよ」
「マスダさんの送別会は忘れないですよ」
 おいしく食べてくれることで店を盛り上げてくれたマスダさんは、任期を終えて一週間後に日本へ帰国することになっていた。そこで送別会はカフェ・ビエンチャンで開きたいと、以前から言ってくれていたのだ。
「よかったぁ! 人数は二十人くらいかな。料理はマスターにお任せですから、よろしくお願いしますねえ! 手伝いも必要なら派遣しますから言ってくださぁい!」
「おうっ!」
 貸し切りの宴会。それまでも何度かやってはいたが、手頃な広さということもあってなのか、これ以降、カフェ・ビエンチャンは誕生会や送別会に頻繁に利用されることになる。
 ところで誕生会といえば、ラオスでは面白い仕来りがある。誕生会に呼ばれた人間がプレゼントを持っていくところまでは日本と変わりないのだが、会の経費に関しては、誕生日の人間がすべて持つことになっているのだ。それは歓送迎会や結婚式に関しても同様で、呼ばれた人間が会費を払うなどというのはあり得ないことなのである。だからなのだろう。飲食が付く会があるとラオス人は、自分の友人や兄弟親戚など呼ばれてもいない人間を誘って大挙して乗り込んでくる。ただで飲み食いできるとなれば、おれだって行くというものだ。それもあってかラオス在住の日本人婦女子は、結婚式があると聞くと、自分と知り合いでもないのに着飾って訪れるのが常となっていた。
「当然です。無料の食事にかえられません」
 初代スター・ウェートレス、クロコ先生のお言葉である。
 ちなみに行った結婚式で高級ホテル“ラオプラザホテル”のケーキが出されたりすると、それはもう狂気歓喜の嵐となるそうだ。おれも目撃したことがあるが、ビュッフェ形式となったデザートコーナーに群がって、トレイにケーキを山と積むクロコ先生を含めた若き日本人女子の姿は涙なしには見られない光景であった。月給一〇〇ドル前後となれば、さもありなんか。これが薄給に苦しむ民営日本語学校教師のビエンチャンの日常の一コマである。日本語学校の経営者の皆様。もうすこし先生たちに給料を弾みましょうね。
「じゃあ、楽しみにしてますよぉ」
 大声で言ったマスダ嬢が、親指を立てながら出て行った。
 やらなければならないことは残っているが、とにかく店が再開する。そう思うと力が出てきた。
 よし。うまい料理を作ってやろうじゃねぇか。
 おれは再びキッチンを片づけ始めた。
 その夜。ひっそりと開けたために誰も来ないと思っていた店に、アメリカ人の老夫婦がやって来た。
「やあ。ようやく開いたんだね」
 初めての客だったが、カフェ・ビエンチャンのことは知っているようだった。
「おいしいって噂だよ」
 えっ? と思った。そんな噂があるのか?
 だがその言葉に嘘はなく、その日からしばらくすると、日本人や白人を含め、それまではほとんど来ることのなかった客が来るようになっていた。そしてほとんどの客が、こう口にした。
「おいしいって聞いてるよ。一度来てみたかったんだ」
 店を閉めている間に、カフェ・ビエンチャンはいつの間にか名前が知られているようだった。

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