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第15回

■人生は何が起きるか分からないということをほんとうに理解できるのは、何かが起きてからだ

 携帯電話に日本からの電話がかかってきたのは、三月に入ってしばらくしてからのことだった。いつものように朝の掃除をしていた。年が明けた二〇〇六年からは、ただ辛いだけの昼営業はやめにしていた。そのぶん時間的に余裕が出来て、早朝七時には始めていた掃除も、九時、十時台になっていた。店の掃除は、新しく雇ったラオス人のセン君が担当だ。
 オープン当初に雇ったカフェビエンチャン地元従業員第一号であるシン君の“突然辞めます”宣言以来、ラオス人を雇うことはまったく考えていなかったのだが、掃除から調理、接客まで一人でやっているおれを見かねたブルースカイカフェのオーナー亀田さんが、自店従業員の友だちが職を探しているからと紹介してくれたのである。
「従業員がいれば、お客さんとすこしはお酒も飲めますよ」
 注文された料理を作れば席まで運び、すぐさま空いた皿を厨房に下げて洗うという作業の繰り返しで、やって来たお客さんとのんびり酒を飲み交わすという当初の目的などすっかり忘れ去られていたところに、このお言葉である。その蓄積された不満が態度に出るようにもなっていた。
「クロダさんて、客が来ると一瞬イヤな顔をするときがあるよね」
 店の奥にある厨房に引きこもり、一人で料理を作ったり皿を洗ったりする面倒くささが、無意識のうちに表情に出るようになっていたらしい。せめて対面式カウンターのある厨房を店に作っていたならこんな不満も解消されていたのだろうが、それも後の祭りだ。
 おれは亀田さんの提案を受け入れることにした。
 面接にやって来たセン君は、ビエンチャン市内のビジネススクールに通う二十四歳の学生。英語が出来るというふれこみだったが、ラオス語訛りのそれは半分くらいしか聞き取ることが出来なかった。しかし口下手ながら朴訥で真面目そうな人柄は、前に雇って不意に辞めていったどこか調子のいいシン君よりも信頼が持てそうだった。夕方六時から十時半まで。月給は三十ドル。おれはセン君を雇った。
 そして半月あまり。カフェ・ビエンチャンのラオス人従業員第二号となったセン君は、予想以上の働きぶりを見せてくれていた。店の掃除や皿洗いも、積極的かつ細やかにこなすし、調理をしているのをそばで見ながら憶えようとする気概もあった。発音のひどい英語は聞き取りにくかったが、かわりにラオス語でしゃべってもらうことで、おれのラオス語の訓練にもなった。ただそれくらいでおれのラオス語能力が格段にアップするわけでもなく、忙しいときにおれがラオス語で指示を出すと、わからないから英語で言ってくれと言われる始末ではあったが。やはり言葉は若いうちに覚えろということなのか。
 とにかくおれとセン君は、互いにへたくそなラオス語と英語でやり取りしながらも、けっこう良いリズムで仕事をこなせるようになっていた。そんな矢先の鋼鉄の妻からの電話だった。
「もしもし!」
 異様に元気な声だった。
「入院することになった!」
 元気な声とは裏腹に言っていることは深刻だった。そのギャップが、おれの思考回路を一瞬空白にした。どう考えていいかわからなくなったのだ。
「なに?」
「これから入院する。前からしてためまいがひどくなって、立てなくなった。病院の先生が入院しろって」
 おれと同じ軽いメニエル病みたいなものかと高をくくっていたが、どうやら重症のようだった。
「メニエルなのか?」
「違うって」
「じゃあなに」
「わからないって。だからそれを調べるためにも入院だって」
 ある日突然、人は病気になる。いや。鋼鉄の妻の場合は兆候はあったのだ。しかしおれと同じものと考えていたのが浅はかだった。兆候は同じように見えても、なかみはまったく違うこともある。
「帰るよ」
 ようやく思考回路が繋がったおれは言った。ビエンチャンにいる場合ではなかった。
 しかし鋼鉄の妻の答えは違っていた。
「帰ってこなくてもいい」
 どういうことだ? 新しい男でも出来たのか? 緊急事態にそう短絡するところが男のアホウなところだ。
「どうして!」
「たった一週間の入院だよ。退院すればすぐに仕事だし、帰ってくるだけ費用の無駄」
 めまいで倒れたが、妻の精神はまだ鋼鉄だった。
「大丈夫なのか?」
「大丈夫、大丈夫! それに今日これから入院するのに、ラオスから戻ってくる時間の長さを考えたら、帰ってきてもすぐに退院だから、何もしてもらうことがない」
 言われるとそうなのだが、心配でもある。
「こうやって自分で電話してるのが大丈夫だってこと。とにかく報告したからね。退院したらまた電話する。じゃあ店、頑張って」
 電話が切られた。鋼鉄の妻は我慢をしない女である。だから帰ってこなくてもいいということは、それほど深刻なものではないということなのだろう。そう判断した。
 一週間後。明るい声で電話があった。
「ははは。まだ病院。退院だめだって。難病指定受けた」
 絶句した。
「でもめまいはほとんどなくなった」
「帰る」
「必要ない。病名が分からないから難病指定なだけで、症状は安定してる。完治はしないけど、生活に支障はないだろうって言うし」
「大丈夫なのか? ほんとうに!」
「退屈なだけ。まあ、あと一週間だし」
 妻は笑って電話を切った。
 結局退院できたのは、それから二週間後のことだった。もっと入院していろというのを、退屈だからと無理やり退院してしまったらしい。そしてすぐに仕事復帰。鋼鉄の女である。サッチャーである。
 三半規管の故障だった。やたらと長い病名はついたが、原因が分からない。だから難病指定ということになったらしい。
 人生には何が起こるかわからない。とくにおれと女房にはその傾向が強かった。いや。おれがそういう傾向を作り出しているのか。
 しかし鋼鉄の妻の入院は前触れでしかなかった。最悪の日々が始まろうとしていた。

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