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最終回

■長いお別れ3 俺(おい)らいちぬけた
 
 二〇〇七年八月一日。日本に戻ってきた。
 直前に行われていた参院選挙で自民党は惨敗し、安倍晋三は一カ月後に総理の座を投げ出した。体調不良ということだった。戦前、後継首相指名の責任があるにもかかわらず御前会議を"痔"の痛みで欠席し、結果として東条英機を首相にしてしまった近衛文麿みたいなものか。お坊ちゃんはいつの時代も虚弱体質だ。
 食品偽装が発覚してペコちゃんの社長がペコペコ謝り、笑える芸が一つもないお笑いタレントが知事になって、年金記録が消え年寄りが大騒ぎしていた。
 ふ〜ん、そうかい。としか言いようがなかった。溜め息に欠伸。まだ夏だったが、北海道は秋色のトンボが飛びはじめていた。
「どうして戻ってきたんだよ」
 皆に訊かれた。面倒くさいので、日本が心配だったのでと答えた。
「またお店はやらないの」
 これもウンザリするほど訊かれたことだが、飽きたからやらないと答えた。ホンネは人にいわれて何かをやるのが嫌だったから。性格だ。自分の人生は自分で決める。いや。歳をとってますますへそ曲がりに拍車がかかっただけのことかもしれない。
 さて。戻ってきてから二年が経つ。その間に体重は四キロ増えて身体つきはトド。髪も薄くなった。そしてこのろくでもない世界は、ますますろくでもなく素晴らしき世界には程遠い。トミー・リー・ジョーンズの苦虫をつぶした顔は憂愁を通り越し痛々しく見えるばかりだ。
 カフェ・ビエンチャンのことを知る人間も少なくなった。常連たちはみな、世界のどこかに散って行った。音信のある人もいる。途絶えた人もいる。ただ伝えたいのは次のことだ。
 楽しかったよ。
 ありがとう。
 そして、みんな頑張れ。
 
 ところで来月から再び日本を離れる生活がはじまりそうだ。ビエンチャンに行く。
 何をするって?
 酒場をつくるんだよ。
 今度は以前よりもっともっと小さくて暇でわかりにくい場所にある酒場。
 また場所探しからはじまる。トンカチを手に。
 つくって壊して、またつくる。ぐるりと回ってまた振り出しに。いや始まりか。歌舞伎なら一番目の時代物が終って二番目の世話物に入るってところ。三番目は狂喜乱舞劇で大団円。ブロードウェイのミュージカルなら、ボブ・フォッシーの"オール・ザット・ジャズ"だ。
 それにしても無駄が多いなあ。でも無駄の多い人生ってなんて楽しいのだろう。無駄をヒステリックに嫌う日本に戻ってきて、しみじみと思う。
 だから岡林信康の歌で例えるならこういうことになる。
"俺(おい)らいちぬけた"
 ふざけるなという声が聞こえてくる。いいえ、ふざけてません。
 ただ、言いたいだけだ。
 みんな。
 楽しもうぜ。

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