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第4回

■楽しいはずのカフェ・ビエンチャンで労働地獄に陥る

そもそもビエンチャンにカフェを作ろうと思ったのは、残り少なくなってきた持ち時間を、好きな酒を飲み気の合う友人たちとバカ話でもしながら、だらだらノンビリとすごしたかったからである。
 ところがいざ開店してみると、ノンビリどころかとんでもなく忙しいではないか。いや。けっして客の入り大盛況で忙しかったわけではない。実際のところ、客の入りは予想をはるかに下まわっていた。開店したことを一切公表していなかったし、店の外側のディスプレイにしたって、あるのは手作りの元テーブルに白ペンキで書きなぐっただけの“Cafe Vientiane OPEN!”と書かれた小さな看板と、入り口横に立てかけた手書きメニューを貼った細長い板のみときては、前の道を通る流れの客も目に入らないというものだろう。まして観光客が常時歩いている道から一本外れた場所にあるのだ。白人観光客だけではなく日本人観光客も通るのはほんの僅か。さらに店名やメニューにはラオス語表示をしていなかったから、お隣や向かいにある昼だけ営業の定食屋に集まるラオス人たちも入るのに二の足を踏むのも仕方ない。
 じゃあ客の入りの悪さの一因がそこまでわかっていたのなら、なぜにすぐ改善しなかったのか。
 答え。
 おれ、日本人だもん。日本人が自身の悪い部分をすぐに改善できるくらいなら、黒澤明が『生きる』のなかで無気力極まりない町役場の役人なんて役柄を志村喬に演らせなかっただろうよ。構造改革なんざ小泉純一郎が二〇〇〇年過ぎてから叫ぶまでもなく、七〇年代三木武夫あたりの政権ですっかり終わっちまってたって。
 てえのはどうでもよくて、ほんとうのところは忙しかったからだ。よくわからない説明だろうところを詳しく言えば、こんなに客が入らないのに、こんなにこんなに忙しいということは、ヘタに客の入りが良くなったりしたら、過労死もありうるかもしれないぞということなのだ。もっとわかりにくくなったか。
 要するにだ。客の入りは悪いくせに、なぜか忙しくて体も頭もヘトヘトになってしまったということなのだ。
 とにかく仕事量が想像していたのと違って、とんでもなく多かった。所詮テーブルが四つだけの小さな飲食店だから、掃除も仕込みも含めて客入れ時以外の仕事は、せいぜい三時間程度で済むものとタカをくくっていたのだ。ところが、これが大間違い。
 たとえば午前十一時三十分から始まるランチタイムまでのスケジュールを見てみると次のようになる。

◆午前六時三十分起床。と言っても横になったまま三十分ほど読書。長年の習慣であり、日本から持ってきた小金稼ぎの欠かせない仕事ネタ。もっと早い時間から読んでいることもある。面白い本だと途中でページを閉じるのが辛い。
◆七時からキッチンの掃除。前夜洗わずに寝た食器の片付け。さらに棚に置いてある食器や調味料類、テーブルを移動しての掃き掃除とモップ掛けである。清潔なキッチンがうまい料理を作る。目標はフランスの三ツ星シェフ、ポール・ボキューズが世界一清潔なキッチンと絶賛した江戸前すしの名店、“すきやばし次郎”の板場だ。
◆八時から朝食。前日の残り物か冷蔵庫に入っている材料で作る。ほとんどの場合“醤油がけ目玉焼き丼ときどき刻みネギプラス白ゴマのせ”。たまに買出しの帰りにラオスのラーメン“ミー・ナム”も。あっさりとした薄味スープに中華細めんという食べ飽きのこないラーメンだが、ラオス人はこれにナンプラーやタイ醤油、ラー油、辛子味噌、さらに砂糖をドバドバ入れて元の味を留めぬものにしてしまう。最近ではおれもこれに倣っている。
◆八時半からトンカンカム市場へ買出し。クロコ先生のバイクの後ろに乗ってのお出かけとなるが、雨の日は当然徒歩。クロコ先生は午前の授業のために、一旦本来の職場である日本語学校に戻る。
◆買出しから戻ってきて買った物のリストと値段を書き出し、九時頃から店の掃除。四台のテーブルと置物や雑誌の飾り台として使っている長テーブル、長椅子を外に出し、掃き掃除とモップ掛け。これも毎日丁寧にやっておかないと、雨季は泥汚れ、乾季は砂埃で大変なことになってしまう。
◆掃除が終わり十時頃からシャワータイム。
汗だくになっていて調理や接客に差し支える。
この前後にスターシェフ“博士”がやって来て仕込みに入る。おれもシャワーが終わるや仕込みに入る。ちなみに昼のメニューは次のとおり。
 ●豚角煮丼・温泉卵付
 ●カレーライス
 ●冷やし中華
 ●冷やしぶっかけ風カオピヤック(うどん
 に似たラオスの米麺を使ったもの)
 たったこれだけの品数だが、錦糸玉子を作ったり焼き豚を刻んだり、角煮丼の付け合せの青菜を茹でたりと作業はやたらと多い。
◆十一時三十分ランチタイム開始から少しして、スターウェートレスのクロコ先生が駆け込んでくる。自分が受け持つ学生や友人知人を呼びつけての同伴出勤も多くなったのはうれしいが、手際が悪いこともあってキッチンは大忙し。とくに茹でた麺を冷水で締めなければならない冷やし系の麺が注文されたときは、手間がかかってしようがない。注文が重なると最悪。丼を食え! とキッチンで悪態を吐く。
◆二時にランチタイム終了。食器洗いなど後片付けのあと遅い昼食に。ほとんどの場合、ランチタイム・メニューの中から。クロコ先生は必ず二品選んで食べる。おれと博士は一品ずつ。博士はその一品に加えて持参のビアラオ小瓶を空けることが多い。キッチンドランカーか。

 と、まあこんなふうになる。もちろんこれで仕込みや買出しは終わりではない。食事の後、一時間ほどの休憩を挟んで夜のメニューの補填に入る。足りなくなった料理を作るのだ。カレーや角煮など煮込み系の料理などは一度に大量に作って冷凍すればいいのだが、いかんせん冷蔵庫が小さすぎてストックがままならないから、しょっちゅう作っておかなければならない。客の入りが悪いのに料理がなくなっているというのは、自分たちで食っているせいもあるのか。不思議だ。

 午後の買出しもウンザリだ。朝に行く市場はメイン・メニューである牛タンが出ていたり出ていなかったりと不規則なため、どうしても常時牛タンが置いてある午後からしか開かない郊外の市場に行かねばならないので仕方がないのだが。その牛タンにしても皮付きのままだから、捌くのに時間がかかってやっかいだ。さらに焼肉のための炭熾しがある。長時間の煮物にも使うので欠かせない。毎日がキャンプファイヤーだぜ。ちなみにビエンチャン市内の家庭では、ガスは高いので炭で料理をしているのがほとんどだ。
 そうこうしているうちに開店時間はあっという間にやってくる。それまでに予定をこなしていればいいが、ほとんどの場合、開店時間になっても仕込みをしていることが多い。手際が悪いのだろう。経験のなさである。
 経験のなさということでは、筋肉がまさにそうだった。これまで立ちっぱなしの調理場仕事などしたことがない筋肉が、悲鳴をあげたのである。あるいは仕事によって使う筋肉が違うということか。それとも歳か。おそらく全部なのだろう。とにかく筋肉痛の嵐に見舞われたのだ。店を閉めるともうぐったりである。ビエンチャンに来てから体重が十キロも減っていた。そのほとんどの減りは、開店してからのものだ。食っても食っても太らない。貧日会の面々は回虫のせいだと笑ったが、おれの激務の実情を知らないゆえのたわごとである。ユンケルがほしかった。
 開店してからだって、客が一人でもやってくれば料理を出さなければならない。あたりまえだが。
 それでも開店してから、仕事の合間に飲むビアラオは格別だった。格別だったが疲れてもいた。
 まったく博士とクロコ先生という助っ人がいながら、この状態だ。彼女らが帰国してしまったらどうなるのか。
 こんなはずじゃなかったのに。楽な仕事はないということか。
 溜め息を吐いた。溜め息を吐きながらも、おれは無理やり叫ぶことにした。
 楽しいぜ! カフェビエンチャン!
 意地だった。

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