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第10回

■支離滅裂が支離滅裂を呼び寄せるこの国の奇跡

 強引な売込みでカフェ・ビエンチャンに入り込んだシン君は、ラオス人特有ともいえる支離滅裂な行動思考パターンを残してあっという間に去っていった。その訳の分からなさは、まさしくあの頭のいかれた悪役プロレスラーのタイガー・ジェット・シンと同格で、おれを唖然とさせるには十分だったが、じつはシン君など可愛いほうで、もっともっと上手がいるのがラオスなのである。
「もう、最悪のバカですわ」
 そう言ってため息を吐くのはカフェ・ビエンチャンのそばでラーメン屋をやっているユウさんである。
「面接のときに外国語ができるかって聞いたら、中国語がべらべらや言うんですよ」
 従業員募集を聞いてやってきた十九歳の女の子のことである。
「で、何か中国語でしゃべってみてと言ったら、ゴモゴモゴモゴモ意味不明の言語を口にしてるだけ。ほんまに中国語かいなと思ってニンハオ言うてみたら、きょとんとした顔して、こっちを見るだけなんですわ。何がニンハオもわからなくて中国語がべらべらですか。訳分かりませんて」
 そう言って嘆くユウさんだが、訳が分からないと嘆きながらもその女の子を雇ってしまうのだから、ユウさん自体も訳の分からない人間の部類である。
「それで仕事させてみたら、これが最悪ですわ。この間なんか、とんでもないことを仕出かしてくれましたよ。小さなパック入りの牛乳を近所の店に行って買うてこい言うたんです。そうしたら出て行ってなかなか戻ってこない。携帯に電話しても繋がらない。そうこうしているうちにようやく戻ってきたのが、二時間後ですわ。二時間! 戻ってこないときは、こりゃあこのままいなくなるのかなと思ったんですけどね」
 ユウさんが以前使っていた従業員の一人は、昼休みに食事に行くと店を出て行ったきり二度と戻って来なかったそうである。働き始めて一週間も経っていなかったらしい。貰われてきてどうしてもオッカサンのことが忘れられずに、隙を見て逃げ出した犬みたいなもんである。
「二時間後でも戻ってきたということは、きっとお金でも落としたんとちゃうやろかと。それであちこち探し回っているうちに、店に戻るに戻れなくなったと。そう思いますやん。ふつう」
「まあ、ふつうはそうだよね」
 おれは頷いた。
「それがびっくりですわ。お金も落としていなくて店にもきちっと行ってたんです。で、買い物も済ませてきていた。じゃあ二時間もどこをうろついていたんだと聞いてみると、店の場所が分からなくて探してた言うんですわ。五分もかからないところにある、すぐそばの店でっせ! しかもちゃんと説明したのに!」
 大声をあげるユウさんだが、話はそれで終わらなかった。
「ところがもっと凄いことがありますねん。買うてきたものです。見て死にそうになりましたわ。何買うてきた思います? 牛乳買うてこい言うたのに、あいつ、電球買うてきよったんですわ」
 思わず噴き出した。牛乳と電球を間違える。そんな人間がいるのだろうか。ラオス語でも牛乳と電球の言葉は相当に違うから、どうしたって間違えようがない。ラオス語のおぼつかないおれだってわかる。ましてユウさんは奥さんがラオス人ということもあり、ラオス語はきちっとできるのだ。
 牛乳を買ってこいと言われて電球を買ってくる。面白いが、果たしてそんな人間がいるのだろうか。
 おれはその話をブルースカイ・レストランのオーナーである亀田さんにしてみた。ラオスを旅行する旅行者の必携品であり、おれのラオス語の教科書でもある指差し会話帳ラオス語編の著者である。
「ああ。あの女の子ね。ダメ! 最低のバカ! 知り合いと五人でユウさんの店に行ってテーブルに座ったんですけどね。あの子、最初の段取りとして、食べ物の取り皿を持ってきてくれたまではいいんです。けど、五人いるのに出したのは一枚だけですよ! 間違いかと思ってあとの皿が出てくるの待ってたら、そのまんま放ったらかし。いくら仕事しない出来ないラオス人でも、あんなに出来ないラオス人見たのは初めて」
 どうやらほんとうにヒドイらしい。
「そんなんじゃ使えないでしょ。やっぱりクビ?」
 おれはユウさんに聞いた。
「いや。働いてます。あそこまでアホだと、なんだか店のアイドルになるんちゃうやろかと思うてまんねん」
“まんねん”はいいが、そう考える経営者としての思考回路が分からない。いや。ひょっとしてそれが関西人の思考回路というものなのだろうか。面白ければなんでもええやん!
みたいな。そうした思考回路のせいなのだろうか。ユウさんの店には、おかしな従業員ばかりがやってくるようだ。
 店の冷蔵庫を持ち逃げした従業員もいたらしいし、ユウさんに内緒でカフェ・ビエンチャンに雇ってくれと言ってきた従業員もいた。彼の場合は、おれには近くのホテルにある日本レストランで働いていると言っていたのだが、そんなレストランがあるはずもなく不思議に思っていたところ、ある日ユウさんの店に行くと彼がお盆を持って出てきたことで事の次第が発覚。しかもおれには日本料理はだいたい出来ると豪語していたのだが、ユウさんの店では単なる給仕しかしていなかったのである。
 まあ仕事先の隣の店であっても、平気で仕事させてくれと押しかけていくラオス人の慣習から言って、カフェ・ビエンチャンで働かせてくれと押しかけてきた彼の場合は珍しいことでも何でもないかもしれない。しかし後になって彼が同じくユウさんの店の女子従業員と連れ立って失踪した事実を考えると、やはりラオス人の気質そのものよりも、ユウさんが持つ関西人気質がそのような人間ばかりを惹きつけるのではないかと疑いたくもなる。
「まああそこまでアホだと見ていて楽しいですわ。前にいた娘なんて、午後からでええ言うのに朝から一日中毎日働かせてくれ言うんで、じゃあと使うてみたら一週間もしないうちに無断欠勤でっせ。こりゃこのまま来ないと思ったら、次の日にはけろりとした顔で来る。で、次の日にはまた無断欠勤。もう、面倒くさいからそのまま何も言わんで放っておいたら、いつの間にか一日置きの出勤で、しかも午後から出てくるというローテーションを自分て作ってしまいましたわ。毎日朝から働かせてくれ言うた言葉はどうしたねんて、突っ込みたくなりましたって」
 それにしたって、勝手に休みを取る従業員を面倒くさいからと放っておくのは関西人の流儀なのか? とにかくユウさんの店には、思考回路が支離滅裂気味のラオス人たちのなかでも、とびきりブッとんだラオス人が集まるようだ。それはまた、ユウさんという面白い人間の心の反映でもあるようだった。
 おれはシン君のことで決心した以上に肝に銘じたものだ。これからもっと精神的に強くならない限り、ラオス人を雇うのはやめよう。あるいは関西人と同じ支離滅裂のメンタリティを持つことができるまでは、と。

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