WEB本の雑誌

第30回

素晴らしき哉ラオス!

 さて。まずは前回の訂正だ。ラーメン屋ユウさんと海外青年凶力隊のことである。
 ところで前回は“狂力隊”と表記したはずだが、今回はこちら“凶力隊”とする。パソコンの変換ボタンを押したら“凶力”と出てきたのだ。理由がある。つい一週間ほど前にパソコンのハードディスクがクラッシュしたのである。しかもデータ修復不可能なほどの大惨事。バックアップを取っていなかったから、これまで書いていた原稿も中途の原稿も資料の写真等もすべてパー。一度クラッシュした記憶は戻らない。老人の脳と同じである。人生だな。ははは。と笑うしかない。
 で、そのユウさん対海外青年“凶力”隊との関西抗争について前回は記したわけであるが、そこに一つの間違いが発覚した。ユウさんと“凶力隊”おバカ隊員の出身地を“岸和田”としてしまったことである。実際のところは“河内”が正しい。べつに誰かに指摘されたわけではなく、一昨日、目覚めにふと思い出したことなのであるが、突然に過去の些細なことを思い出すというのはプルーストを持ち出すまでもなく人間にはよくあること。いや。これもまた老いた脳の不思議ではあろう。何を見ても何かを思い出したのはヘミングウェイだが、おれの場合は眠るたびに百を忘れ起き掛けに一を思い出すのがせいぜいだ。そしてその一つが“河内”だったのだ。もっともそれが“河内”だろうと“岸和田”だろうと、ラーメン屋のユウさんや“凶力隊”のおバカ隊員と面識もなく、さらに関西の土地事情に詳しくない読者にとってはどうでもいいことだろうと思うのだが、一応これは小説ではなく記録を第一としたノンフィクションであるということを前提としている。ならばやはり捨ててはおけぬ問題であろう。それに生まれなんぞシベリアでもスーダンでも勝手に書いてくれてかまわんという郷土愛希薄な辺境北海道生まれのおれと違って、関西人はことのほか出身地にこだわりを持っているようだ。まあこだわりといえば聞こえがいいが、要するに優越感を裏返した差別意識である。見知らぬ土地出身者への差別意識である。行き着くと外国人差別となる。知り合いの京都・大阪方面に在住経験のある外国人は、みな一応に言っていたな。“関西は差別が多くて冷たくてガイジンは住みにくいね”。だとさ。
 話が逸れた。それほど出身地に執着ある関西人でしかもガラが悪いと聞いた河内人を岸和田人などと表記したなら、ユウさん凶力隊員のみならず岸和田人代表の清原和博や中場利一にボコにされるかもしれぬ。
 そこで謹んで訂正させていただきます。前回書いた岸和田は河内の間違いです。

 財務省に申請していた飲食店営業のための財務許可証は下りる気配すらも見えてこなかった。十一月。担当者にはしっかりと袖の下(その額三〇〇〇バーツ=約九〇〇〇円)をつかませてはいたが、この男、体が弱いのかすぐに風邪だの頭が痛いだのといって休みをとるのである。進行具合を聞きに町外れにある役所に様子を見に行くと、事務所にまともにいたためしがない。同僚にどうしたと聞けば、あれ? いなかったっけ? と惚けた答え。もっともこういう答えは、ラオスの役所では日常茶飯事ということくらいすでに勉強済みである。同僚が休んでいても、同じ事務所にいながら知らんふり。休んでいることすら気づかないという素晴らしさだ。だからいつ出てくるのかも聞くだけ無駄である。しかたなく男の携帯に電話すると、いまにも死にそうな声で具合が悪いとおっしゃる。あらあらそうかい、と深く溜め息ついて事務所の者に風邪みたいだぞと教えてやる。
 返ってきた答えが拍手ものだ。
「そうだったんだ」
 おれ。ラオス人に生まれたかった。皮肉でもなんでもなくて本心です。
 この虚弱体質の男は財務所長の息子である。ラオスの役所では職員表が貼ってあるのが常なのだが、そこに出ていた所長の名前と虚弱男の名前が同じだったので確かめたのだ。家族のコネで職員採用になることが多いのは日本の役所や企業も一緒だ。いや。アジア全体に通底する慣習だろう。だが男はまがりなりにも所長の息子だ。コネが違う力が違うと思うのは日本人のおれの甘いところか。力のある親父を持っていながら、しかも三〇〇〇バーツという大金をふんだくりながら、ちっとも使えないのだ。すぐに役所を休むだけでなく、書いてやるといった必要書類も、コピーを取って来いだの裁判所に行ってサインをもらって来いだの、おれを使い走りにして自分は少しも動かないのである。観光局の担当者とまったく同じ。海外に住んで裁判所を行き来し許可申請書類のためのサインを取りに走りまわる日本人なんて、ニューヨークの日系企業に雇われた日本人弁護士くらいのものだろう。ちなみにビエンチャン市裁判所の財務許可申請担当所員はオカマの兄ちゃんです。べつにおれはオカマに偏見もないし、美しいオカマは性格の悪い女よりずっと心が休まると思っているほうだが、一応記しておきます。
 ということで、そろそろ許可申請に関するドタバタについても読者だけでなく書いている本人も飽きてきたころなので、ここらあたりで唐突に解決を見せることにする。
 十一月末。財務省の許可が下り、続いて事務のネエちゃんにまたまた袖の下をつかませて税務署の許可も下りた。そして下りた許可証三点セットを銀行の担当女に叩きつけ、晴れて銀行口座凍結解除! じつに七カ月あまり。長い長い道のりだった。
 おれは安堵の溜め息をもらしつつ、店の常連であるミャンマー人ウィンさんを前にしてつぶやいた。
「いやあ、長かった」
 日系運送会社の支社を切り盛りしているウィンさんはおっしゃった。
「すっごく短いよ! うちなんか二年かかったよ!」
 ワォッ! ラオス!

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