WEB本の雑誌

第22回

■さらば二宮金次郎

 さて。どうにもここのところ、話が大きく展開しないので読んでいてイライラしている人も多いことと思う。だいたい書いている当人がイライラしているのだから、まず間違いない。
 だがそもそも話を大きく展開しようにも、ラオス人がそうさせてくれないのである。現在書いている銀行口座凍結とカフェ・ビエンチャン営業許可証発行問題に関してもそうだ。どこまでいってもノラリクラリ。事態が進展しそうになったと思うや、担当の者が休みになったり書類がどこかに消えたりといったことが頻発して、ちっとも事が前に進まないのである。最初のうちは社会主義国特有の硬直した官僚的仕事の進め方が原因だと思っていた。ところがよくよく観察してみると、ラオス人の生き方そのものに原因があるようなのだ。
 そう。生き方である。
 人生波風立たず、大きな展開なぞ必要なしという生き方である。
 その生き方が国を形作るというなら、ラオスそのものが波風立たないことを最善とする国であった。付随して、つらいことは大嫌い。汗をかくことも努力も勤勉もごめんこうむりたい。二宮金次郎なんてアホかあんたはてなもんで、だから競争も戦いも大嫌い。そういう体質の国である。そんな国で戸梶圭太の小説みたいなジェットコースター展開など期待しても無理というものなのだ。
 だから人生に大きな展開を求めてラオスにやって来たおれであるが、まるっきりあて外れ。ただでさえ怠惰な性格が、ますます怠惰になっていくばかりだった。しかしこのあて外れのなんと心地良いことか。怠惰であることはなんと心安らぐことなのか。
 考えてみれば、そもそもおれも含めて日本人は人生に何かを期待しすぎなのだ。見返りを要求しすぎなのだ。挙句の果てに、こんなにも努力したのに何も残らなかったわたしなどと嘆いて泣いて愚痴って怒って、ほんとうに忙しいことである。ここは忙しいこと大嫌いなラオス人に倣って、なるようになるさと気長に構えるしかあるまい。というより、ラオスに住み始めて早二年。おれの精神はすっかりラオス人のリズムを身につけているようだった。

「店の従業員が婚約するんですよ。その婚約式に行きませんか」
 ブルースカイの亀田さんが声をかけてくれたのは、営業許可証を出すビエンチャン市観光局の担当者がモスクワから戻り、あらためて店の検査をやり直すということに決まってからしばらくたってのことだった。
 チャンタブンの留学時代の友人である観光局局長が言うには、チャンタブンに店の検査証があればすぐに許可証は出すからと何度も伝えたのに、まったく音沙汰がなかったというのである。以前の検査証がないのなら、検査をやり直せばすぐだとも伝えたらしい。そもそも検査自体は、単に観光局や警察の担当者が店舗を見るだけのごく簡単なものだ。やり直すことに関しては、まったく問題はないのである。
 それをどうしたことかチャンタブンは、話を聞いただけでおれに伝えることもなく放りっぱなしにしていたのである。おそらく面倒くさくなったのだろう。信頼して任せていただけに、その話を聞いたときはさすがに頭にきたが、やっぱり奴もラオス人だったかと妙に納得してしまったのは、おれも少なからずラオス人化していたということだろう。それにチャンタブン相手に時間をかけている暇もない。さっさと口座凍結を解除して借りていた金を返し、日本に戻って新しい住処を探さなければならないのだ。とにかく局長の言うように、さっさとあらたな検査をやって許可証を出してもらうのが先決だと、事を前に進めることにした。
 で、検査をするにあたって足りない書類を提出したり住んでいる村の村長のサインをもらいに走ったりと、細々したことをやっているところに亀田さんのお誘いである。
 ちょうど日曜日だった。役所も休みで、凍結口座解除に関する仕事は何もない。
 おれはラオス人の婚約式とはどういうものなのかという興味もあって、誘いを受けることにした。
 ラオス人の結婚形態は少数民族のそれを除いて、だいたいが入り婿形式である。婿となる男が嫁の家に入り同居するのである。だからといって日本の入り婿のように肩身が狭い思いをするというわけでもないらしい。一つの家に数家族で住むのが普通だから、娘が二人三人といる家になると、婿も同じ数だけ入ってくるから、立場として弱くなるということもないのかもしれない。いや。そもそもラオス人の男は女よりも働かないしいいかげんだから、あまり期待されていないぶん、お気楽なのかもしれない。家を背負って立つ日本男子からすると、じつにうらやましいことである。
 で、ラオス人の結婚のプロセスとしては、入り婿する前の段階として婚約式をすることになる。そこで婿側から嫁側にお金が支払われるのだ。日本の結納である。アジアの結婚の形態というのは、どこかで深いところで繋がっているのかもしれない。
 繋がっているといえば、亀田さんの店の従業員カムラー君もめでたく店の従業員の女の子と出来ちゃった婚約。まったく若造諸君よ、しっかりとコンドームを使いましょうねダルビッシュである。
 婚約式はビエンチャンの中心部からバイクで三十分ほどの郊外にある、出来ちゃった娘の家で行われた。
 雨が降っていた。
 おれは亀田さんのバイクの後ろに乗せてもらい、ずぶ濡れになりながら家に着いた。途中道に迷って、三十分で着くところを一時間近くも雨に打たれて右往左往したこともあり、体の芯まで水が染み込んだような気がしていた。
 それがいけなかったのかもしれない。
 一週間後。おれは猛烈な頭痛を伴いながら高熱を発した。
 デング熱だった。

記事一覧