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第64回

浮雲 (新潮文庫)
『浮雲 (新潮文庫)』
林 芙美子
新潮社
620円(税込)
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一中尉の東南アジア軍政日記
『一中尉の東南アジア軍政日記』
榊原 政春
草思社
3,045円(税込)
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雨・赤毛 (新潮文庫―モーム短篇集)
『雨・赤毛 (新潮文庫―モーム短篇集)』
サマセット・モーム
新潮社
380円(税込)
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■帰国への不安と林芙美子についてすこし

 ビエンチャンでの生活費は月六〇ドル前後もあれば十分だった。少ないときは四〇ドルもかからない。店用の残り素材で飯を作って食っていたので食費はかからないし、そもそも休みをとっていなかったから遊びに行くこともない。ビアラオは店にふんだんにある。酔っぱらうことに困ることはない。
 金を使うのは、たまに店が終わったあとにミー(=ラーメン)を食いに行くくらいで、それにしたって一〇〇〇〇キープ(=一〇〇円)もしない。着る物だって日本から持ってきたTシャツと短パンの着まわしだ。あとは水道光熱費とシャンプーや石鹸など日用品を買うくらいである。
 我慢していたわけでも節約していたわけでもない。もともと日本に住んでいたときから金を使う生活はしていなかったのだ。食費に光熱費や社会保険料など諸経費をプラスしても月五万円もあれば足りていた。あとは家賃。自分で作る料理のほうがずっと美味かったので外食はしないし、好みの料理を出してくれる適正価格の楽しい酒場もなかったから酒を飲みに出ることも誘われない限りはほとんどない。もっとも家では毎晩飲んではいたのだが。
 衣服もそうだ。パリコレに出る予定はなかった。だから興味もなかった。十年以上着古したものしか持っていない。走るならF1以外は考えていなかったので車を買う気もない。その前に免許を持っていない。
 家は持つと移動できないので邪魔なだけだ。移動し続けよ。ケルアック。
 好きな本と音楽と映画があれば生活に問題はなかった。幸いにしてビエンチャンには三つとも揃っていた。本は書評コラムの仕事をしていた関係で日本の新聞社から定期的に送ってもらっていた。音楽と映画は中国製の海賊版CDやDVDが激安で売られている。一枚一五〇〇〇キープ。約一五〇円から。浜崎あゆみもあればエラ・フィッツジェラルドもサイモン・ラトルが指揮したブラームスもある。宮崎ジブリ作品は言うに及ばず、黒澤明や木下恵介の全作品BOXなんてのも売られている。ウォン・カーワイ全作品BOXを見つけたときにはさすがに目が点。それが三〇ドルでどうだ! と投げ売り状態なのはいいが、ラオスで誰が木下やウォン・カーワイを買うんだ? いくら海賊版だからって作ればいいってもんじゃなかろうと呆れた。さらにおれの日本映画ベスト・ワン、成瀬巳喜男の「浮雲」まであるんだぜ! おいおい! 
 とここで話は変って「浮雲」についてすこし。大東亜戦争中のベトナム・ダラトが物語の発端となるこの日本映画史上最高の恋愛映画。ビエンチャンを包み込む東南アジア独特の怠惰な空気をまといながら見ると、かつて日本の映画館で見たときとは違って、また別の印象を持つのはどうしてだろう。
 戦時でありながらベトナムで楽園を見た森雅之と高峰秀子が帰国後に嵌まり込んだ転落への奇妙な共感。そして外地暮らしで日本と日本人に馴染めない二人の一言一句がぐさりと心にしみるのである。日本で見たときよりも理解できてしまうのである。おそらくそれは、映画の主人公たちが味わい抜け出せなくなった楽園の甘い時間と、同じような時間をすごしてきた現在の自分を重ねての思いではないか。このまま日本に帰国して、おれはもとのようにやっていけるのか。正しくご清潔な、しかし息苦しいあの空気に馴染めるのか。結果としては半ば当たり半ばハズレといったところなのだが、それはまた別の話だ。
 映画「浮雲」は、ビエンチャンに住む日本人だけでなく海外に住む日本人すべての思いを写しとって、その印象を新たにしてくれた。ふるえた。泣けた。
 ついでに言うとこの映画の原作は林芙美子だ。これが映画に劣らず素晴らしいのである。店の常連である考古学者Kさんに借りて遅まきながら読んだのだが、いままで読んだ恋愛小説の中ではも、ベストと言える一冊だった。
 さてさて、ここで文学史の授業です。
 資料によると、林芙美子は戦時中に陸軍報道班員として仏領インドシナに行ったことがあり、そのときの経験が「浮雲」に生かされているとするのがほとんどだ。ところがだ。近代日本の南洋移民史を研究している望月雅彦の『林芙美子のボルネオ島 南方従軍と「浮雲」をめぐって』を開くと、どうやら林芙美子はボルネオやジャワには行ったが、『浮雲』の舞台となったベトナムを含めた仏領インドシナには足を踏み入れていないというではないか。
 林芙美子が南方視察の命を受けたのは陸軍報道部からである。旅行許可証の発行は一九四二年九月十四日付け。目的は"大東亜戦争1周年宣伝資料収集ノタメ"。十二月十五日から翌年一月五日までボルネオのバンジェルマンという町に滞在している。日本陸軍のボルネオ民政部があった町である。
 日本軍が南方アジアに進出したのは、一九四〇年の陸軍による北部仏印=ハノイ進駐が最初だ。翌四一年にはサイゴンに進出。南方軍総司令部が置かれて一帯の戦略的拠点となる。そして占領地の民政を司る軍政部が設置され、多くの文化人、作家を従軍宣伝員として招き寄せる窓口となった。
 当時のサイゴン軍政部民政官だった榊原政春の『一中尉の東南アジア軍政日記』を読むと、林芙美子がジャワを訪れる一年前に同じく宣伝班員となった作家の阿部知二などが訪れたと記されている。だから林芙美子もてっきりサイゴン軍政部に寄ったものと考えていたのかもしれない。しかし実際はベトナムには一歩も足を踏み入れてはいないというのだ。それでいながら小説ではベトナムの地理風土が鮮やかに描写され、異国情緒をこれでもかと盛り上げている。しかも行った者でなければ書けないのではと思えるほどの克明さをもって。
 では何を参考に林芙美子はベトナムの風土を書いたのか。想像ではあるが、軍のハノイ進駐以来、当時の新聞に多く掲載されるようになった紀行記事などを参考にしたのではあるまいか。
 そう考えて調べてみるとあった。フェリス女子大講師・加藤麻子氏による論文、"林芙美子の足取り─馬来・蘭印行程と、『浮雲』の仏印行程─"だ。それによると『浮雲』のベトナム描写は、一九四三年発行の農林技師・明永久次郎著による『仏印林業紀行』をもとにして書かれたものらしい。ダラト付近の植生描写などの内容がほとんどそっくり重なるというのだ。しかも『浮雲』の主人公・富岡の職業が農林技師だというのが面白い。もちろんだからといって林芙美子の作家としての価値が下がるというものではない。その風景を物語の伏線に取り込んだ見事さこそを認めるべきだろう。
 ということでベトナムのガイド本をお書きになるライターの皆さんは、ダラト紹介においては決して『浮雲』はベトナムでの経験をもとに書かれたなどと書かないように注意してください。
 付け足しです。サマセット・モームの『雨』もビエンチャンであらためて読み返し、なるほどと納得させられた一冊だった。激しく屋根を叩きつけるスコールの音の中に身を置いてみると、雨が人を狂わせるというのは寓意ではなく現実なのである。モームが小説の中に仕込んだ雨の音の意味が、ようやくはっきりと見えてきた思いが。さすが文豪である。
 ちなみに同じように男女の堕落について書きながら、『浮雲』の主人公たちは躊躇いもなくさらに堕落を重ねていくのに対して、『雨』の主人公は狂気に落ち込んで破滅にいたるというのが面白い。宗教観の違いによるものとはいえ、モームの常識的で繊細な倫理観を蹴飛ばすかのような林芙美子のアナーキーさは男女の違いでもあろうか。そういえばビエンチャンで働いている日本人の小娘たちも、みな一様にアナーキーで力強いもんな。洋の東西を問わず男はヤワで駄目だわ。
 などと訳のわからんことを書いていたら思い出した。考古学者Kさんには借りた『浮雲』を返さないままだった。現在はスリランカで発掘仕事のはず。すみません。今度会ったら返しますね。
 えーと、何を書こうとしていたのだ、おれは。そうだ。海外移住なんぞを考えているシルバー世代に言いたかったのだ。貯金を突っ込んで、物価格差を背景に海外でお大臣暮らしをしようなんてやめときな。どうせ日本じゃ生活に汲々としていたんだ。その経験をもとに海外でも汲々とつつましく、自分らしく暮らせばいいんだ。そして何でもいいから働きな。だからこその発見や楽しさもあろうってものだろう。なるべく地元の人と同じ生活を。それができなければ海外移住など見苦しいからやめたほうがいい。
 
 さてさてカフェ・ビエンチャンが閉店する夜はもうすぐやってくる。楽園の終わり。日本に帰国する不安。ビエンチャンに来たときとはまったく逆の思い。だが時は過ぎる。それまではうまい料理を。そして酒を。
 客が来た。
 泥酔の時間だ。

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