WEB本の雑誌

第36回

■どうでもいいが黙っていないでビールを飲もうではないか!

 二〇〇七年の正月明け。一月末に一旦札幌に戻った。仕事がフリーランスという綱渡り生活をしているため、確定申告をしなければならないからだ。ラオスでの納税は外国人投資法の適用によって営業開始から二年間免除されているので問題はない。しかし住民票は札幌に残したままなのだ。申告せずに放りだしておくわけにもいかない。二十代から続く相も変わらずの低収入は別段申告の必要などないように思えるのだが、収入のほとんどが原稿料収入で源泉徴収されているから、払いすぎている徴収分はきっちりと還付していただかねばならないということだ。それでなくても日本国は税徴収に関しては厳しいが使い方に関しては出鱈目な国だ。そんな国家をきちんとコントロールするためにも無駄な税は払わぬことが肝心である。サラリーマンよ、フリーターよ、税申告は会社任せにせず自己申告せよ! 納税の主権を国民に! 憲法第九条の改正より前に、納税は国民の義務であるという三十条を改正せよ! と「反社会学講座」でパオロ・マッツァリーノ君も言っておるではないか。
 などとつらつら考えながらおれは日本への帰途についた。
 千歳空港を出て札幌までの電車に乗る。暖房の入った車内は寒さこそ感じないが、車窓の外に広がる景色は一面の雪で思わずふるえがきてしまう。キラキラと輝く太陽の光はまるで天から降ってくるつららの束で、ぶつかって反射する地上の雪から金属音が聞こえてくるようだ。雲ひとつない青い空が寒さに凍って見える。
 それでも暑いビエンチャンと冬季の北海道を何度か往復するうちに、その極端な温度差は慣れてしまったが、逆に気になって仕方がなくなってしまったことがひとつだけあった。街ゆく人々が一様に浮かべている曖昧な表情を見ると、そこに精神の温度の低さや心の冷たさを感じてしまうようになったのだ。どうにも居心地が悪い。違和感がある。拒否されているようなのだ。もっと言えば、とても寂しい。そんな感覚だ。札幌行きの電車に乗っているときの満席であるにもかかわらず奇妙に静まった車内。肩を寄せ合って座っているのに一億光年も離れているようなよそよそしさ。無関心と拒絶。人間だけは押し合い圧し合いするようにたくさんいるのに、皆頑なに閉じこもっている。
 おそらく、ビエンチャンに暮らしているうちに、支配しているゆるんだ空気とラオス人が持つ柔らかな押し付けがましさに、おれの精神と心はくたくたに揉み解され開かれてしまったのだろう。閉じた心がそばにあると、どうしようもない寂しさを感じるようになっていた。五十を過ぎて思春期だ。しかしその思春期は、十代のときのそれのように過剰な自意識の鎧を着たようなものではなく、どこまでも心地よい。ビエンチャンで一人暮らしを始めたとき、ラオス人によく聞かれたことがある。
“一人で寂しいだろう”
 大のオトナに何を言っているのかと思ったものだが、今なら感覚として分かる。だから列車内で思う。
 あのさ、せっかくだから話をしようぜ。
 ビールを飲もうぜ。

 引っ越して半月ほど過ごしただけだったアパートに着くと、猫が不思議な顔をしておれを出迎えた。十五年以上もの長い付き合いなのに冷たいやつだ。飯なんかやらんからな。とつぶやいたらそれだけは察したのか飯をくれと催促する。鋼鉄の妻は仕事に出ていた。仕方なく猫缶を開けた。ロバート・アルトマンが監督した「ロング・グッドバイ」のフィリップ・マーロウになった気分がした。アルトマンが演出したマーロウはすこしもハードボイルドではなく、飼い猫にもバカにされているいい加減な中年男だ。住んでいるアパートの隣に住む可愛い娘に買い物を頼まれれば夜中だって車を走らせる。見返りのあるなしに無頓着な男。それが定型的なハードボイルドのパターンを大きく逸脱して、とても新鮮に思えた。
 テレビをつけた。
 総理大臣の安倍晋三がカメラ目線でインタビューに答えていた。疲れた犬みたいだった。日本みたいに。
 何をしゃべっているのかわからなかった。
 テレビを消した。
 静かだった。
 寂しいくらいに。
 飯を食い終えた猫が炬燵にもぐりこんだ。
 さてカフェ・ビエンチャンに戻ったら、こんどはどんな新しい料理を出そうか。
 一カ月後。おれはビエンチャンに戻った。
「いいですよ! 手伝いますよ! ビールに食事つきですよね!」
 待ち受けていた目の回るような忙しさの店で、客として来ていた常連の酔っぱらい“ハイな~”荒が言った。
 後期カフェ・ビエンチャンの欠かせない厨房兼接客係となる荒えりせ嬢、登場!

記事一覧