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第55回

■貧困国ラオスで貧困ニッポンを考える

 二〇〇七年六月。雨季に入ったはずだったが、ごくたまにスコールが訪れるだけでビエンチャンは晴天の日々が続いていた。店は相変わらず連夜の盛況。アラ主任もすっかり仕事に馴染んでバリバリと走りまわり、厨房も店も毎晩笑い声が絶えることはなかった。お祭り騒ぎは永遠に...。そう思っていた。
 S君がやって来たのは六月のはじめ。夜の九時を過ぎて店の忙しさも一段落した頃だった。
「どうもどうも!」
 大学時代に所属した演劇部で腹式呼吸による発声練習をしすぎたせいなのか、伊武雅刀がフランク永井の歌を思い入れたっぷりに唄うかのように低くて、足を踏まれたティラノサウルスがあげた悲鳴のように大きな声が店の空気をびりびりと震わせた。
「おう! いらっしゃい!」
 店に入ってきたS君におれは手を上げ応えた。
 以前、北海道新聞で映画に出てくる食い物をテーマとした短いコラムを自作のイラストとともに連載していたことがある。映画館を閉めてライター仕事を始めた頃、書く仕事ならバスの時間表書きでも居酒屋のトイレの標語書きでも何でも引き受けると言ったついでにイラストも描きますと付け加えたところ、本当に仕事がきて、競馬雑誌や大阪のタウン誌でイラスト仕事をこなしたことがあるのだが、北海道新聞の連載はそんなイラスト描き宣言をするきっかけとなった記念すべき仕事だった。専門に習ったことがあるわけではないので上手とは言えないが、それなりに注文が来たということは、ある程度は使えると思ってもらえたのだろう。だからしばらくは書き物の仕事がくると、イラストもセットにしてというのが定番となっていた。イラストライターである。
北海道新聞の映画食い物コラムは長く続いた連載でS君は二代目の担当編集者だった。一緒にインドを旅行したこともある。当時は三十代前半だったが、月日はマッハの速さで通り過ぎ、いまはもう四十の壁をとっくに跳び越して髪もだいぶ薄い。ということはおれもまた歳をとったということだ。人生の残り時間はどんどん少なくなってゆく。
「やっと時間がとれました!」
 眼鏡の奥のただでさえデカい目玉が、デカい声と一緒になってさらに大きく膨らんだ。
「本当に来てくれたんだ」
「酒の上の約束は守ることにしてるんです!」
 年初に札幌に戻ったとき酒を酌み交わしたのだが、そのときに必ずカフェ・ビエンチャンに行ってビアラオを飲むと言ったことを守ってくれたらしい。酒飲みの鑑である。嬉しいではないか。
「ではカフェ・ビエンチャンからウェルカム・ビアを!」
 冷えたグラスに思い切り冷えたビアラオを注いで差し出した。
 一息に飲むS君。
「うまいっ!」
 デカい声がびりびりと鼓膜に響いた。
「で、どうだね店の感想は」
「素晴らしいです!」
「だろ?」
「はいっ! 理想です。会社を辞めたくなりました!」
「ははは。それほど急がずとも。で、日本は近頃どうよ」
「年金処理の不備が発覚して大問題になってます」
「どういうこと?」
「もらえるはずの年金が記載漏れやら何やらでもらえない人が続々と」
「ヒドイな、それ」
 別名"ネズミ講"の年金なんざとっくに見切りをつけてるが、期待していた人にとっては腹立たしいことこの上ないだろう。
「もうダメです、日本は」
「新聞社にいる人間が、そんなこと言うか」
「言わなきゃやってられません!」
 そうらしい。
 だがS君が声を大にして言うことを聞くまでもなく、日本がグズグズと腐っている気配はウスウス感じていたことだった。戻るたびに強くなっている社会の重苦しさ。それは脳天気なラオスの空気を毛穴の奥にまで染み込ませてしまった身からすると、キューブリックが監督した「シャイニング」のなかに迷い込んだかのような気持ち悪さ不気味さを思わせて鳥肌が立つようだった。
 それだけではない。日本に住む人がどんどん目に見えて貧しくなっているのだ。精神だけではなく金銭的にもである。だいたい都会のど真ん中で金がなくて餓死する人間が出る先進国ってのは、どんな先進国なんだ? これって発展途上国のことじゃないか? 貧困国であるラオスの首都ビエンチャンだって餓死者が出たなど聞いたことがない。日本人はラオス人の屈託ない笑顔を見て"貧しいけれど心が豊かな人々"などとよく口にするが、はっきり言っていまや金がなくて貧しいのは日本人のほうだ。そうなのだ。ここのところは日本人ははっきりと自覚しておいたほうがいい。海外から眺めると日本は確実に第三世界の貧困国だ。金銭としての円は強いが、その円を国民のほとんどは持っていないのだから。
 と、ここで頭にきたので思うことを一くさり。貧困国日本についての考察だ。長いので、読みたくなけりゃ飛ばしてくれい。

 さてさて。日本やアメリカ、メキシコ、韓国など11カ国に加え、EU19カ国の先進主要30カ国が加盟する経済協力開発機構(OECD)が2006年に発表したところによると、日本の相対的貧困率はOECD加盟国中第2位の高さになったそうだ。
 相対的貧困率というのは、国民所得額の最上位が年間1000万円だとすれば500万円を中位とし、その半分の250万円以下の収入層を貧困層と規定する考えだ(ちなみに2006年度厚生省調べにおける日本人の年間所得中位は458万円。貧困層はその半分以下だから年収229万円以下の層ということになる)。つまり貧困と規定される人々の割合が世界で2番目に多い国となったのである。1位のアメリカに次ぐ堂々?の2位だぜ。貧困オリンピックでいえば銀メダル級の貧困率だあね。2005年までは第5位だったそうだから、その躍進ぶりは恐るべし。国の無策無能ぶりを考えれば第1位奪取もすぐかもしれない。冗談ではなく。
 では具体的に貧困層と規定された人間は日本にどのくらいの数存在するのだろうか。これも2006年度のOECD調査。それによると、全人口に対して貧困層の割合は13.5%。人口1億2000万人として、実に1620万人の人々が貧困層に入っているのだ。日本は!
 さらに恐ろしい数字がある。2006年度の国税庁調査では、年収200万円以下の給与所得者が1022万人になったそうである。全労働者数が5208万人としての数字だから、5人に1人は貧困ということになる。昨今の景気の状態や失業問題を考えると、この数字はもっと上がっているだろう。指をさせばみな貧困! あなたも私も貧困、困だ!
 もっと幅を広げてみよう。
 ワーキング・プアという言葉が聞かれるようになって久しい。働いているか、働ける状態にあるにもかかわらず、憲法25条で保障されている最低生活費(生活保護基準)以下の収入しか得られない人々を指す言葉だ。具体的には、税額控除も勘案すれば大都市圏に住む一般標準世帯で年収300万円を切った人々のことである。つまり働けど働けど貧しさから逃れられない人々。生活を成り立たせるために仕事を選べない人々のことだ。そしてこのワーキング・プアのラインを基準として日本の貧困者数を換算すると、全人口の30パーセント、なんと4000万人が貧困層ということになるのだ。3人に1人が貧乏人。まさに極東のバングラデシュである。
 書いていて嫌になった。しかし書かねば話が進まないから書く。
 ということで国民貧困率が先進国中、堂々の第2位となった日本ではあるが、そもそも貧困とは具体的にどういう状態を言うのだろうか。
 国庫破綻をものともせず世界の貧困国に援助の手を差し伸べている日本の公機関JICAが次のように規定している。

"人間が人間としての基礎的生活を送るための潜在能力を発揮する機会が剥奪されており、併せて社会や開発プログラムから除外されている常態"

 つまり平たく言えば、ただ食べるためだけに精一杯で、社会保障もまともに受けられず、結果として自分の人生を豊かにより良く創造していけない状態ということ。もっともっと平たく言えば、生きていることに幸福を感じられない状態。自由で多様な働き方を選ぶ余地などなし。食べてゆくためなら何だってやらなければならないということである。家賃が払えないからとりあえず派遣に登録して、来た仕事はなんでもする。てな具合。わかりますよね。自分に合った仕事なんて選んでる余地はないし時間もないということだ。しかしたとえ仕事をもらえても風邪で休んだら給料は出ないし失業保険も付かないから、クビになったりしたらすぐに路上生活者になってしまうというのはただ今現在のニッポンの労働者が置かれている状況。
 ならば、そんな貧困層に国や社会は救いの手を差し出しているのか。
 またまたOECD調査。それによると、これがまたひどいもので、税と社会保障を使っての貧困率の削減効果は日本は調査国中最低だそうだ。貧困の削減に対して税も社会保障もほとんど機能していないのだ。いや。機能していないというよりも、使われている税や社会保障の規模があまりにも小さいということなのである。つまり貧困は自己責任だから自分でなんとかしな、ということだ。
 わかりました。
 なんとかしよう。
 と、言ってしまえば国の思うツボでどうにも口惜しいけれど、われわれだって生きていかねばならない。いや。"人間が人間の基礎的生活を送るための潜在能力を発揮する機会"を得たい。
 ならどうする。
 方法はあるのか。
 
「わたしも海外に逃げ出したいですよ」
 S君がぼそりと言った。
「逃げ出せば? 監督がバカだから野球なんてやってられないと言って球団を辞めたプロ野球選手がいたけど、この際、政府がバカだからみんなで日本を捨てますって言って出てきちゃえばいいんだよ。みんなで難民になるの」
「ははは。そうですね」
「そうだよ。まあ難民は冗談だけど、食べられなくて都会の真ん中で餓死者が出る世界第二位の経済大国っていうのはシュールを通り越して異常だよ。それを放っておく政府ってのは狂ってるとしか思えないし。付き合ってたら死んじゃうよ。だからとっとと出てきて自分の場所を見つけるしかない。なにも海外で豪華な生活をしようっていうんじゃない。自分のやりたい仕事を自分でつくることのできる場所を見つけるんだよ。それが日本で出来るのは、もう今は金持ちしかいないからさ。貧乏人は自衛策として生きるテリトリーを広げなきゃ。以前に"年収三〇〇万円以下を生き抜く経済学"っていう本がベストセラーになったけど、年収三〇〇万以下の貧乏人こそ海外脱出! 海外移住! 中国人を見てみなよ。世界中に散らばって中華料理屋開いてる」
「ほう! なるほど! 説得力あります!」
「そうだよ。やればいいんだよ。おれを見ればわかるだろうけど、けっこう簡単だし」
そうなのだ。生きていく場所を自分で限定する必要などない。東京から札幌行くよりバンコクに行くほうがときに安かったりもする時代だ。貧乏人こそ海外脱出を! 生き延びるために! 本気でそう思っている。
「でも日本を捨てて海外で何をしましょう」
 生真面目なS君がぼそりとつぶやいた。
 不真面目なおれは答えた。
「とりあえずは飲むのさ!」
 空になったS君のグラスにビアラオを注いだ。
「はい!」
 ごくごくと飲み干すS君。同時に薄くなった額から玉のように噴き出す汗。どうやらビエンチャンの暑さに北海道仕様の汗腺が踊り狂っているらしい。おれも来た当初はそうだった。しかしラオスでの日々を重ねるうちに、多少の暑さでは汗をかかない身体になってしまった。肉体がラオス人化したのである。このままラオス人になって日本を捨て去ろうか。
 おれはこの夜三本目になるビアラオを飲み干した。
「お客さんです」
 アラ主任から声がかかった。
 もう一仕事だ。
「Sさん! ここにいる間は泥酔しましょう!」
「はいっ!」
 そう。すべてを忘れるための隠れ家。それがカフェ・ビエンチャンなのだ。
 さらば日本!
 
 そして一週間ほど泥酔して帰ったS君と入れ替わるようにして日本からやって来たのは、鋼鉄の妻だった。

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