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第9回

■ラオス人のように生きられたらなんと人生は楽しいのか

 カフェ・ビエンチャンがオープンする前から何度か顔を出し、雇ってくれとアピールを続けていたシン君の初出勤は三組のお客が一度に乱入して来るという、とんでもなく忙しい日にぶつかった。店の存在が少しずつではあるが知られ始めたのか、夜の部は日に日に客足が伸びていた。ただし伸びているのはいいのだが、まだまだ料理作りの段取りに慣れていないおれは、客が重なったりすると、それだけでパニックである。後から受けた注文を先に出したり、ひどいときには注文を忘れたりで、もう散々だ。ちょうどこの頃からである。カフェ・ビエンチャンは客に次のように言われるようになったのだ。
“ここって美味しいんだけど、料理が出てくるのが遅いんだよね”
 一度など、大挙してやって来た在住日本人のオバサマたちに、皮肉たっぷりにいわれちまったこともある。
“のんびりしたラオスだけれど、これほどゆっくりとお食事をいただいたことはないわ。オホホホホホ”
 うるせえ! と思ったが事実だから言い返せない。
 しかしこの“料理が出てくるのが遅い”というのは、ビールを飲んで間が持てる夜の部はまだしも、ランチの部においては致命的な欠点だった。仕事を持っている者にとって貴重な昼休み時間が削られることは、命を削られるに等しいのである。大げさなようだが、とくに働く日本人にとってはそうなのだ。メシ食ったあとにタバコの一本、コーヒーの一杯でも飲んで世界平和について瞑想したい。あるいは愛人から来たメールをニヤニヤしながら読み耽りたい。そう思うのである。ビエンチャンに住む働く日本人とて例外ではない。飯は早く。あとは持ち時間のなかでなるべく長くダラダラと。が、昼休みの基本なのだ。
 ところがこれがラオス人となると話が違ってくる。彼らは料理が出てくるのがいくら遅くなろうと平気なのである。そもそも昼休みの時間の取りかた自体がじつにいい加減だ。
 例えばお昼十二時から一時までの一時間が正式な昼休み時間だとする。しかし多くのラオス人は、十一時半頃から仕事場を抜け出し、ダラダラと飯を食ったあと、ついでにフルーツの一つでもデザートでいただいて、グタグタとくだらない話に興じて気がつけば一時半なんてのはザラなのだ。
 それでもここ数年はずいぶんと時間厳守が徹底されつつあると言うのは長くラオスに住む日本人だが、一時間の休み時間が二時間に拡大解釈されるのをもって時間厳守と言うならば、以前はいったいどうなのだということになる。
「前? そりゃあ凄いのなんの。まず朝の八時半出勤なのに出てくるのは九時半過ぎ。それで昼休みの一時間前には食事に出かけてしまって、戻ってくるのは一時間遅れの午後二時頃。それで一時間ばかり昼寝して、退社時間の一時間前の四時頃にはいなくなってしまう。いつ仕事してんの? って首を傾げましたよ」
 だそうである。
 そんな話を聞けば、たしかに現在のラオス人たちがとる昼休みなんてのは時間厳守の部類に入るのかもしれない。まあ、そんなことを気にしてたら、ラオスで仕事なんか出来るはずもないのだが。
 というわけで、シン君も例外ではなかった。
 忙しい夜に初出勤となった彼は、ルアンパバンでゲストハウスに勤めていたと言うだけあって、客あしらいもうまく日本語も上手ではないがそれなりに出来る。英語もまあまあだ。それもあってか、客の注文もそつなくこなしてまずは合格点の出来だった。
 ところがだ。その働きぶりに即戦力としてすっかり期待していたにもかかわらず、翌日にはまったくの連絡不通のまま姿を見せなくなってしまったのである。
 何か不満でもあったのか。
「ラオス人て、気に入らないことがあればすぐに辞めてしまうそうですよ」
 NGOモリヨシカが仕入れてきた知識を披露する。
 そのことについてはいろいろと聞き及んでいた。
 店主の言葉遣いが気に入らない。
 納得して仕事に就いたのだが、よくよく考えてみると給料が安すぎる。
 思っていたよりも仕事がきつい。
 要するに楽してお金を儲けたいのだ。そりゃあ出来ることならおれだってそうしたい。しかし出来ないのは、許してくれる雇用主がいるはずもないからだ。だがラオス人たちはいると信じているらしい。
「やっぱり駄目かもな」
 おれは諦めた。まだまだ店を始めたばかりなのだから、一人で頑張れという天の思し召しなのだろう。そう解釈した。
 ところがだ。一週間後にシン君はごくごく普通の表情でご出勤なさったのである。一週間の空白に対する弁明は何もなし。すたすたと店に入ってきて“サバイディー”と挨拶すると、厨房のシンクに重なっていた洗物を手に取って洗い始めるではないか。
 どういうことだ!
 さすがにカチンときたおれは、強い口調で問いただした。
「なぜ一週間も休んだ」
 険しいおれの顔を見て、シン君は怪訝そうな表情を浮かべる。そしておもむろに言ってくれたのである。
「ルアンパバンに行って友だちと遊んできたんですよ」
 まだ本当のラオス人気質がわかっていなかったおれは逆上した。
「遊んできただと?」
「そうですよ」
 悪びれた様子もなくおっしゃる。
 肩の力が抜けた。いくらデタラメな日本の若者だって、どうして無断欠勤したのかと聞かれて“遊びに行ってた”とは答えないだろう。
「遊びに行くから仕事を休むなんて、許されないことだろう」
 もう小学校の教師である。
「それにだ。君の休みは言ったとおり、店が休みの日の日曜日だけなんだぞ。わかってるのか」
「はい」
「わかってるのになぜ無断欠勤した」
「無断…。なんですかそれ」
「何も理由を言わないで、どうして休んだのかということだ」
「ああ」
 ちっとも反省していない表情でシン君は言った。と言うより、理解していないのか。
「ほんとうなら辞めてもらうところだが、今回だけは許してやる。とにかく休むときは必ず電話をして理由を言うこと。わかったか」
「はい」 
 わかっていないうえに、不満いっぱいといった目でシン君はおれを見る。
「よし。話は終わりだ」
 しかし話は終わらなかった。
 三日後。シン君はおれの言いつけを守って電話をかけてきてこうおっしゃったのだ。
「辞めます」
 ラオス人のわがままな人生観にはついていけない。
 おれはしばらくラオス人を雇わないことに決めた。

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