WEB本の雑誌

第5回

■ニートだろうが正社員だろうが向き不向きがある

 雨季の終わりがすぐそこまで来ていた。客の入りが良くないカフェ・ビエンチャンながら、なぜか忙しいことだけは行列が出来るラーメン屋の調理場並みで、身体を順応させるだけでアップアップの状態が続いていた。
 そんなときに日本からやって来たのが親戚の息子、純だった。純は本名ではない。テレビドラマ『北の国から』に出てきた田中邦衛の息子役・純君と顔も雰囲気もそっくりだったので、小さなときからおれが呼んでいた名前だ。二十三歳。大学を出たはいいが就職もせず、親元に住みながらバイトで暮らしている。世間でニートと呼ばれる若造である。
 それが何を決意したものなのか、一年間のオープンチケットを買って東南アジア旅に出てきたのだ。
「ビエンチャンに行きますから泊めてくださいよ。店の手伝いは何でもしますから」
 ずいぶん前からそう口にしてはいたのだが、性格的に優柔不断。口下手で行動力にも欠け臆病なところもあったので、まさか本当に来るとは考えていなかったというのが正直なところだ。しかし店を手伝ってくれるなら問題はない。タダの労働力こそ零細企業には必要不可欠のものである。無償の愛というやつである。“至上の愛”はジョン・コルトレーンだが、カフェ・ビエンチャンには無償の愛が必要なのである。そう。現在もカフェ・ビエンチャンは皆さんの無償の愛を募集中だからこぞって応募するのだよと脇道に逸れたところを軌道修正して、とにかくニート純はやって来たのだ。
 ところで昨今。就職しない若者が急増して問題になっているらしい。親の家に居付いて独立もせず、アルバイトだけで遊んで暮らしていると常識ある世間様は非難してもいる。しかし個人的には、そんなことは問題でも何でもないと考えている。だいたい親の家から引越してアパートを借り独立するとしたら、やれ敷金だ礼金だ運送料だでいったいいくらかかると思ってるんだ? 地方都市だって二十万や三十万の金はかかるだろうし、首都圏だったらその倍以上は見なければならないだろう。たかだか引越しで、それだけの金がかかる社会のほうが異常なのだ。これじゃあ移動の自由の制限じゃないか。ジャック・ケルアックが日本に生まれてたら、一行たりとも文章書けずに道端で悶絶死してたろうよ。まったくそんな社会を野放しにしておいて、若造にさっさと独立しろもないものだろう。独立したくても金がないもん! てなもんだ。
 さらに就職せずにアルバイトだけの生活をとやかく言うが、アルバイトやパートがいなくて社会が成り立っていけるのか。コンビニは営業できるのか。富士そば西新宿店は営業できるのか。テレビ局や新聞社や出版社や自動車会社はやっていけるのか。そもそもがだ。正社員が高い給料もらえるのも、アルバイトやパートの従業員を安くコキ使ってるからだろう。会社の効率化と利益優先のためにアルバイト・パートを増やして正社員採用枠を狭めているくせに、就職しない若者が増えているのは問題だと言うことこそ問題だろうが。
 と、日本からやって来たニートである親戚の息子に対しても思っていたわけだ。それにまだ二十三歳だ。何かになるにしても何ものにもならないとしても、世界を見て歩くということは悪いことではない。
 ところがだ。いざ無償の愛を実践してもらうと、その性格が飲食店従業員には向かないと判明してしまったのである。サービス業に向かないと言ったほうがいいか。客に対する気配り。仕事に対する意欲や想像力。それらが皆無なのである。いや。自分ではそれなりにやっていたつもりなのかもしれない。しかし傍から見ているとどうにももの足りない。仕事が遅くて、ときにはイライラしてくるのである。さらにウェイターとして店に立たせても、ラオス人が客として来たらどう対処していいかわからないので困りますなどと、Oのトッツァンみたいなことを吐かしやがるではないか。ここは外国だ。ラオスだ。ラオス人が来るのはあたり前だろうが! いやいやそれどころではない。店先に出ているのを嫌がるそぶりを見せ始めたのである。加えて午後の空き時間は二階の部屋に籠もって出てこない。せっかくラオスに来たのに、街の探索にも出かけないのだ。ニートは構わないが引き籠りは困る。
 おれは思った。
 駄目だこりゃ。
 ひょっとして開店したての忙しさが、そう思わせていた部分もあったかもしれない。タダ働きさせておいて勝手だということも重々承知だ。が、それは納得のうえで来たはずだ。しっかりとやってもらわねば困るのだ。まして開店したてなのだから、カフェ・ビエンチャンはサービスがなっていないと思われてはたまらない。籠もるなら日本で籠もれ!
「使えませんよ。彼」
 クールな教授が冷たく言った。カフェ・ビエンチャンのことを思っての言葉だった。
 このままではどちらも駄目になるか。おれは田中邦衛が我が子を富良野の雪原に突き飛ばす覚悟でニート純に言った。
「二ヵ月くらい近辺の国をまわって来い! そして大きくなって帰って来い!」
 心底そう思った。純には経験が必要だった。良い意味での図太さを身につけて欲しかった。それにせっかく外国に来たのだ。その空気を全身で感じ取って欲しかった。カフェ・ビエンチャンでの無償の愛はそれからでも遅くはない。
「わかりました」
 ニート純はバンコクへと旅立った。
 カフェ・ビエンチャン初の解雇従業員である。給料は払ってはいなかったが。
 そして五日後。純から携帯に電話がかかってきた。
「バンコクにいます」
「おうっ! 元気か!」
「いや。駄目です」
「どうした」
「お金を落としました」
「なに?」
「全財産を入れた財布を落としました」
「いくらだ!」
「日本円で三万円くらい」
 絶句した。こちらに来て三週間も経ってはいない。一年は日本に帰らないと出てきたのに、それしか持っていないのか?
「もう十五ドルしか手元にありません。帰りの航空券はありますから帰国します」
「持ち物を売っ払ってビエンチャンに戻って来い!」
 おれは携帯に向かって叫んだ。
「もう駄目です・いっぱいいっぱいです。帰ります!」
 電話が切れた。
 二日後。ニート純は日本に戻った。一年間のオープンチケットを手にしながら三週間ほどの冒険だった。
 純は現在札幌で元気に働いているようだ。サービス業ではないらしい。ひょっとしたらカフェ・ビエンチャンでの経験が生かされたのかもしれない。そう思いたい。  

記事一覧