WEB本の雑誌

第26回

■一周年記念特別開店

 帰ると決めたら行動は早かった。航空券を買い札幌へ。しかしその前にやっておかねばならないことがあった。
 開店一周年記念だ。
 六月一日から店を閉めてほぼ三ヵ月。一度も店を開けることなくきてしまったが、一旦の帰国を前にぜひとも開店一周年記念営業だけはやっておきたかった。それでなくても閉まったままのシャッターに、ビエンチャン在住の日本人の間では、カフェ・ビエンチャンはもう営業しないのではという噂が広まっているようだった。そんな噂を払拭しておくためにも必要な儀式。そう思った。
 日にちは一年前の開店日と同じ八月二十九日。九月一日の便で帰国するので、たった一日だけの営業とした。
 メニューは豚角煮と牛タン塩炭火焼きの二種類のみ。それにもちろんビアラオ。開店からほぼ八ヵ月の間に、メインメニューである角煮とタン塩は段階的に値上げしていたが、開店時の安い値段に戻しての営業である。
 おれは常連たちに“一周年記念ありがとう特別開店”のメールを送った。
 ところでカフェ・ビエンチャンは開店から日が浅いにもかかわらず、着実に常連客が増えていた。ほとんどが在ビエンチャンの日本人たちだが、料理が美味しいと言ってくれるだけでなく、酒飲みがくつろげる店の雰囲気が何よりも好きだと言ってくれる、嬉しい常連客たちだ。まずはおれ自身がくつろげるようにと作っただけに、その雰囲気を好きだということは、イコールおれと同じ酒飲み感性を持っているということだろう。彼らはもはや常連客という枠を超え、おれの大切な酒飲み仲間たちになっていた。
 たとえばジン・トニ子さんがいる。彼女は営業許可証取得のときに通訳として手伝ってくれていた焼肉大王の奥さんで、日本語学校の先生をしていた。カフェ・ビエンチャン初代スター・ウェートレスであるクロコ先生の同僚教師だ。焼肉大王とともにカフェ・ビエンチャンのタン塩地獄にはまり込み、毎晩通ってくれるようになっていたのだが、いっぽうで彼女はすらりとした美人である見た目にもかかわらず、じつに豪快な大酒飲みでもあった。カフェ・ビエンチャン閉店中などは、仕事が終わるとゴードン・ジンの瓶を抱え、同僚のこれまた酒飲みアラ先生と一緒に毎晩のようにおれを飲みに誘い出してくれたものだ。そしてメコンの河原に陣取り、夜風に吹かれ群がる蚊を叩き落しながら、ジンと缶入りトニック・ウォーターでジントニックを作っては次々と飲み干すのである。それはまさにゴードン社が内密に遣わしたジン販促員、おれが命名したジン・トニ子の面目躍如といったところである。しかも楽しい大騒ぎ系の酒だから、営業許可証問題で鬱屈しているおれにとっては、大きな慰めでもあった。
 ところで酒飲みアラ先生は、のちにカフェ・ビエンチャンの二代目スター・ウェートレスとなるのだが、それはまた後の話だ。
 そのほかにはカフェ・ビエンチャンの料理を絶賛してやまない、酒飲みグルメのマスダ姉御もいる。新メニューが登場すると必ず注文してくれて、賞賛の嵐を浴びせかけてくれる。豚もおだてりゃ木に登るおれとしては、彼女のひと言でどれだけ自信がついたことか。
 ミャンマー人のハン・ウィンさんも楽しい大酒飲みだ。バブル絶頂期の日本に留学し、大学に行かずにマハラジャで踊りながら日本語を習得したという四十過ぎのオッサンで、話もできないほどベロベロになるまで酔いながらも車を運転して帰るという荒業に、呆れかえるばかりだ。
 ちなみにラオスでは飲酒運転は違法だろうと思うのだが、なぜか警察に咎められた話を聞いたことがない。いや。警察の人間自体が飲酒運転を平気でしているのだ。また外国人が飲酒運転で事故を起こしたという話も聞かない。カフェ・ビエンチャンにやって来る客のほとんどはバイクを運転して来るのだが、どれだけ多く量のビールを飲んでもそのままバイクに跨って帰っていくのである。おそらく、交通量の少なさと無闇にスピードを出さないビエンチャンの運転環境が事故を起こさない理由なのだろうが、日本に帰ってからつい癖で飲酒運転をしないかと心配である。みなさん、気をつけましょうね。
 メニューにない料理を作れと無理な注文をするオッサンもいる。Oさん。料理にはうるさくて、オクラとニンニクを炒めて鰹節をまぶし醤油で味をつけろだの、焼きウドンを作れだの言いたい放題である。しかし受けたおれとしては、やってやろうじゃねぇか、とムラムラと闘志が湧き立ち、頭をひねり腕を振るってどうだと皿を差し出してやるのがいつものことだ。しかしこれが結構な快感で、結局Oさんの術中に嵌っているのだとは思うのだが、料理人の快楽を知りつつあったおれにとっては楽しく腕の鳴る客の一人だった。
 さらにブルースカイ・カフェの酔っ払いオーナーであるカメダさん。自分の店が終わる午後十時を過ぎると、カフェ・ビエンチャンが0時ごろまでやっているのをいいことにバイクに跨り
「飲みましょう!」
 と叫びながら突撃してくるのだ。
「自分の店で飲み食いしてるのが飽きちゃったんですよ。やっぱり酒はヒトの店で飲むに限る! さあ、飲みますよお!」
 そう叫びながら、ビアラオを何本も重ねていく楽しく正しい酒飲みである。
 そしてそんな常連たちが集う一周年記念は、盛大かつ華やかそして速やかに終わりを告げた。大常連の牛タン地獄に落ちた焼肉大王は残念ながら仕事の任期が終わり、妻であるジン・トニ子とともに日本に帰ってしまってはいたが、それでもみんなカフェ・ビエンチャン顕在なりを確認して満足の様子。札幌からたまたま旅行で来ていたオッサンが、酔っ払って正体不明になりトイレのドアノブをぶっ壊していったのは余計だったが、とにかく一つのけじめをつけたおれは日本に帰るべく飛行機に飛び乗ったのだった。ついでに書いてしまうと、ドアノブを壊したオッサンは北海道文化放送(UHB)という札幌のテレビ局編成局に勤めるオッサン。定年を間近に控えての旅行だったらしいが、あまり酒に飲まれないようにね。
 というわけで、おれは問題山積みのビエンチャンを発ち、これまた引越しという問題が待っている札幌に降り立った。
 九月。
 まだ夏の余韻が残る北国だった。

記事一覧