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第21回

■世の中の希望は打ち砕かれるためにある

 ワールドカップが始まった。期待と不安入り混じっていた日本代表の初戦は、オーストラリアに考えたくもない大惨敗。メコン川沿いにあるオーストラリア人の溜まり場カフェのテレビでオーストラリア人に囲まれながらアウエー観戦したおれは、サッカーのルールも知らないようなバカオージーたちに肩を叩かれ慰められる始末。しかしその後も日本代表にいいところはなく、あっという間に予選敗退でわが日本のワールドカップは終わってしまった。
 いっぽうでカフェ・ビエンチャンはといえば、そのシャッターは閉じたまま。当初の予定では五月末には札幌に戻り、新しい住まいを探しているかすでに引越しを済ましているはずだったのに、なぜかビエンチャンでワールドカップのテレビ観戦である。どこで何がねじれてしまったのか。六月はとっくに過ぎ、ブラジルは決勝トーナメントであっさりと負けて、ジダンのフランスとカテナチオのイタリアが決勝に望もうとしていた七月。銀行口座凍結問題はますます泥沼化し、おれは身動きできなくなっていた。
「手伝いますよ」
 言ってくれたのは店の常連である牛タン大王Yさんだ。
「このまま閉店されると、牛タンが食えなくなって困りますから」
 牛タンの布団をかぶって牛タンの夢を見たいというほどの牛タン好き。毎晩のように店に来ては牛タン焼きの煙にまみれているというエライ男である。というよりも、カフェ・ビエンチャンの経営の一端を担うほど店に通って売り上げに貢献してくれている有難い常連だ。そんな常連が自分の時間を割いて手伝ってくれるというのである。ラオスの政治経済の研究調査に来ているだけに役所関係に強いうえ、ラオス語が堪能というのも頼もしい。
 願ってもない申し出。
「ありがとう。頼むよ」
 歳をとると人間は頑固かつ意固地ついでにひねくれ者になるものだが、おれは素直に頭を下げた。
 店を作っていたときからのことではあるが、何か問題が起こると、誰彼となく救いの手を伸ばしてくれるのが不思議だった。カフェ・ビエンチャンという店に、人をそういう気持ちにさせる何かがあるのか。それとも世界に取り残されたようなビエンチャンという街にいると、誰でもそういう気持ちになってしまうのか。
 おれは、あらためてこれまでの状況を牛タン大王Yさんに説明した。
 大王はうなずいた。
「チャンタブンを抜きにして、こちらでさっさと動いたほうがいいと思いますよ」
 それが大王の見立てだった。おれは任せろと言ったチャンタブンの立場を尊重し、あくまでも彼に自主的に動いてもらうのがベストだと思っていた。ある段階までは役所への手続きをしていたのだから、どんなことになっているのかを一番知っているのは彼なのだ。しかし現在の状況からすると、どうやらチャンタブンは何もする気がないか、手に余っているかのどちらかだろうというのだ。できもしないのに安請け合いし、できなくなったら逃げてしまう。ラオス人によくあることなのだと。
 おれはその意見に従うことにした。というよりも、電話をかけても出ないチャンタブンに、いいかげん切れはじめていたのだ。事が起こってから一ヵ月半。いくら仏のクロダであろうとも、堪忍袋の尾が切れるというものだ。
「じゃあすぐにでもチャンタブンに連絡を取って、観光局の担当者の名前を聞き出しましょう」
「おう!」
 おれは携帯でチャンタブンに電話した。
 ところが呼び出し音が鳴ってはいるのだが出る気配がない。何度か繰り返すと、今度はBUSYの文字。着信拒否である。これまでにもあった対応。
 あの野郎…。
 フツフツと怒りが湧いてきた。しかし怒ってばかりはいられない。今日こそはどうにか許可申請の目処をつけるのだ。
 おれはチャンタブンの家に電話をかけた。
 チャンタブンの奥さんの妹が電話に出た。
「会社です」
 幸いに英語ができた。
「電話番号は?」
 一瞬返事の間があいた。その“間”に戸惑いが感じられる。彼女が答えた。
「知らない」
 おれは知っていると踏んだ。きっとチャンタブンに言わないようにと諭されているのだ。
 大王が声を発した。
「チャンタブンの家を知ってますか」
「知ってる」
 二,三度行ったことがあった。
「急襲しましょう。その妹やらに直接聞けばどうにかなりますよ」
 ラオス人は押しに弱いのだという。
 おれと大王は車でチャンタブンの家に走った。
 空は真っ青に晴れていた。市の中心部にある店から十五分。小さいが小奇麗な一軒家の前におれと大王は立っていた。
 チャイムを押した。
 若い娘が出てきた。
 閉められた門扉の隙間から大王がラオス語で声をかけた。
 娘がニコニコしながら話し始めた。
 大王がおれを見た。
「チャンタブンの会社が分かりました。ここからすぐのところです」
 あっさりと白状した娘が手を振って家に戻った。ラオス人は秘密が守れない。
 ブラボー! ラオス人!
 おれと大王はチャンタブンが勤める会社に急襲をかけた。
 チャンタブンはいた。
「すまない。会議中で電話に出られなかったんだ」
 一カ月も会議中だったのかという言葉を呑み込んでおれは言った。
「観光局の担当者の名前を教えろ!」
 顔を引きつらせながらチャンタブンは名前と電話番号を紙に書いた。チャンタブンのドイツ留学時代の友人で局長。名前を出せばすぐにわかるとも言う。
「それから書類のある場所だが、チャンタブリー県の県庁観光課だ。そこに行けばあるはずだ」         
 わかっていたならどうして書類を取りに行って申請しない。おれは日本語で声に出した。
 その言葉に大王が応えた
「面倒くさくなったんですよ」
 おれは書いてもらった紙をひったくって大王の運転する車に飛び乗った。
「まずはチャンタブリー県に行って、なくなった書類を手に入れましょう」
 大王の言葉に大きくおれはうなずいた。ようやく事態が動こうとする気配を感じた。
「それから市の観光局の担当者にも電話を入れておきましょう」
 しかし何度電話を入れても繋がらなかった。
しかもだ。出向いたチャンタブリー県の観光課では、結局書類は見つからなかったのである。書類自体は来ているかもしれないが、一年以上も前のことだからどこにいったかわからないという。まるで日本の社会保険庁である。というよりも役所というのは世界中無責任だということなのだろう。
「こうなったら市の観光局に行って担当者に直談判しましょう。そこが最終的に許可証を出すんですから、なんとかなりますよ」
 大王が力強く言った。
 担当者の名前もわかったのだ。しかもチャンタブンの友人。コネがモノをいうラオスである。おれは希望を抱いた。
 希望は打ち砕かれるためにあるのは高校野球を見ればわかることだ。
 打ち砕かれた。
 担当者はモスクワ出張中だった。帰るのは一週間後。
 またしても時間が空費されようとしていた。
 二日後。ジダンが頭突きで退場し、フランスはイタリアに負けた。
 そしておれは毎夜飲んでいた。
 何がどうなっているのか。
 ラオス人だけが陽気だった。

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