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第63回

オリエンタリストの憂鬱―植民地主義時代のフランス東洋学者とアンコール遺跡の考古学
『オリエンタリストの憂鬱―植民地主義時代のフランス東洋学者とアンコール遺跡の考古学』
藤原 貞朗
めこん
4,725円(税込)
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■地図にない場所で世界の面白さを思う 

 世界遺産の街ルアンパバンを抜け、ビエンチャンへと通じる国道13号線と合流した国道138号線を北上する。やや行くと、メコン河の支流であるスアン川沿いを走る国道への入り口が見えてくる。ベトナム国境方面へと抜ける未舗装の細い細い国道だ。
 密輸業者に拾われるのを待つ違法伐採された樹木の小さな山が、道路脇に数十メートルごとに積み上げられているのを眺めながら車で二時間弱。中途まで電信柱を伝っていた電線もいつしか途切れて、どこまでも濃く深い山々の緑がさらに濃くなったように思える頃。十数軒の小さな家が点在する村に到着する。おそらくアメリカの軍事衛星でも見つけることが困難な小さな村。もちろんグーグルの地図にも載ってはいない。バルタン伊藤博士がエビ調査に通っている村だ。
「飛行機遅れましたか」
 伊藤博士がニヤニヤしながら迎えてくれる。
「遅れたというより早く出発しやがって乗れなかったんですよ。心配かけました」
「いやいや。そんなこともあるかと思って心配はしてませんでしたけどね」

133_3347.JPG バルタン伊藤が調査の拠点としているのは集落にある一軒の農家だ。若夫婦と十歳と八歳になる息子とその下に弟と妹。そして奥さんの父親。国道脇に建つ家の裏面に広がる水田で米を作っているほか、一〇〇メートルほど崖を下った先に流れるスアン川でエビを獲って暮らしている。伊藤博士とラオス人の研究スタッフの二人は、その農家の納屋をねぐらとして毎日朝と夕の二回、川に出かけてエビを捕獲し調査しているのだという。エビは新種。伊藤博士の発見である。
「これから仕掛けたエビ籠を見に行くんですけど、一緒にどうですか」
「行きましょう」
 雨季だった。しかし陽が落ちるまでまだ間がある空は雲ひとつなく真っ青に晴れあがっていた。おれは立ち上がった。
IMGP2705.JPG 山の中腹を這う国道から崖を下って雑木林を抜けスアン川の河岸へ。そこから木船に乗り、100メートルほどの川幅を対岸まで渡る。遠くから見ているとわからないが、土色に濁った水の流れは意外に早い。幅一メートル、長さ5メートルほどしかない細長い船はどんどん下流に押し流される。
 対岸には人ひとりが屈んで入り込むのがやっとの小さな洞窟があった。
「この奥から湧き水が出ているんですけど、そこにエビ獲り用の竹籠を仕掛けてあるんですよ」
 ラオス人スタッフが洞窟から顔を出して首を振る。
「入ってないみたいですね。じゃあ次の場所に行きましょう」
 洞窟から少し上流の場所にも仕掛けがあるのだという。
 岩場を伝いながら岸沿いに流れを上ってゆく。
「そこです」
 見上げると、水流はそれほどでもない幅二十メートルほどのやさしい滝。その滝の流れのなかにたくさんの竹籠が掛けられている。
「滝からエビが落ちてくるんですか」
 おれは伊藤博士を振り返った。
「逆です。登ってくるんです」
「はあ?」
「エビって滝を登るんですよ」
 驚いた。鯉ではなくエビの滝登りである。
「だから竹籠も口を下にして仕掛けてあるんです」
 鳥のくちばしのような形状をした籠の口は内側にすぼまっていて、そのすぼまった先から中に入ると外に出られなくなる作りだ。
「へええ!」
 滝を登っていくエビの姿を想像する。世界は知らないことだらけだ。なんだかワクワクしてくるじゃないか。
「さあ、登りますよ」
「登るって、ここを?」
「そうですよ。滝に仕掛けた籠を上から見せてあげますよ。いい景色ですよ」
 そう言うとバルタン伊藤は船から狭い岸辺にひょいと飛び降り、岩場を伝って滝の横の崖を這うようにして登ってゆくではないか。角度はおよそ七〇度。しかしおれに言わせれば垂直である。それをサンダルで登ってゆくのだ。フリークライミングか。山野井泰史より凄いと思う。"知"のためならばどこまでも。学者の底力。いや。学者の無茶無謀を思い知る。
 思えばラオスを含めたベトナムとカンボジアの三国は、フランス人考古学者たちが命をかけてジャングルに分け入り発掘発見を重ねたことで世界史に登場してきた経緯を持つ国々だ。帝国主義的植民地支配を背景とした政治的動機は別にして、フランス人考古学者たちの知への欲求と冒険がインドシナ半島に果たした役割は計り知れない。結果として多くの遺跡や遺物の流出を招いたとしてもだ。旧植民地でフランス人考古学者たちが残した足跡を研究している藤原貞朗は、その労作『オリエンタリストの憂鬱』のなかで書いている。"不当であれ、(帝国主義的)イデオロギーがあったからこそ、多大な学術的貢献や学問的進展があったという事実を、今日の研究者はもっと真剣に受け止めねばならないのだと思います"。
 インドシナ半島でアンコールワットなどの遺跡発掘と研究に携わったフランス人学者たちは、本国ではアカデミズムの本道から外れた"落ちこぼれ"学者ばかりだったという。しかしだからこそ彼らは権威を見返そうと危険を顧みずに無茶を繰り返した。そしてときには命を落としたりもした。結果として犯罪を犯した者もいた。アンドレ・マルローのように。
 動機は何であれ、学者たちの冒険心には圧倒される。泣く子と学者のわがままにはかなわない。サンダルを履いて険しい崖を這うように登ってゆくバルタン伊藤博士を下から見上げて、おれはつくづくそう思った。
「早く来てください!」
 博士が叫んだ。
 しかしおれも博士と同じくサンダル履き。恐ろしい。が、ここは登るしかあるまい。できなくても、できないと言わないのがおれの流儀である。学者になめられてたまるか。おれはカフェ・ビエンチャンを作った男だぜ!
 意を決した。
 登った。
 絶景。
 おれはまたすこしだけ世界を広げた。

1.jpg
 夜、泊めてもらっている家の家族とともに宴会。テーブルの上には料理と酒。近所のオヤジもやって来て、笑顔が可愛い奥さんやジイちゃんも一緒になって飲む。ガソリン駆動の自家発電装置があるのでテーブルの上には裸電球が下げられ明かりが放たれているのだが、装置が良くないせいなのかロウソクのほうがずっと光度が高そうだ。しかし大きく開け放たれた窓から入ってくる水田を渡る風が、皆の笑い声に絡まってどこまでも心地よい。
「よし! 隣村のハンノイに行くべ!」
 酔ったジイちゃんが立ち上がった。
 ハンノイというのはラオス語で"小さな店"という意味。字義どおりの意味もあるが、多くの場合はキャバレーを意味する。キャバレーといっても日本のようにケバケバしく派手な店ではない。ほとんどの店は掘っ立て小屋。そこでホステスである垢抜けない小娘がビアラオを一緒になって飲む。もちろんピンク系統を売りにした店もあるのは世界中同じである。
 しかしグーグル地図にも載っていない辺鄙な山奥の村に、ほんとうにハンノイなどあるのか。
「車さ、乗るべや!」
 ジイちゃんに促されおれと博士をはじめ、ムコ殿となぜか十歳になる息子、そして近所のオヤジら男子連がトラックの荷台に乗り込んだ。
 そして明かりなき道を走ること三十分。真っ暗な集落の真ん中に下ろされたおれとバルタン伊藤博士を待ち受けていたのは、ハンノイはハンノイでも、中年のオバチャンが店番をしているオイル・ランプの灯りに照らされた雑貨屋。まさしく小さな店そのものではないか。
「やっぱりビエンチャンみたいな小娘のいるハンノイはないですか」
 バルタン伊藤が笑う。
「この山奥ですからね」
 店の前に出された椅子に座り、いつの間にかやって来た村長に注がれたアルコール分が五〇度以上はある地元産の焼酎"ラオラオ"を飲む。くわああああっ! と奇声一発。キツイ! 泡盛の原型ではないかと言われているラオラオだが、そのワイルドな喉越しは沖縄のそれが洗練という名のもとに忘れてしまった野蛮であることの爽快さを思い出させて愉快である。ならば小娘の酌など不要。そう思った。
 ところがである。ジイちゃんが村長に何やら耳打ちしたのだ。するとそれまで柔和だった六十すぎの好々爺村長の目つきが一変。まかせておけボペニャン(=大丈夫)だとおっしゃるではないか。
 ん? 何がボペニャンだ?
 と首をひねったところに友人宅からの帰宅であろうか。暗闇の向こうから小娘が二人歩いてくるではないか。
 彼女らを素早く目に留めたのは村長。しかも目つきは好々爺をかなぐり捨てて厳しい権力者。いや。好色ジジイ。ん? まさか。とおれ。
 ラオスに"まさか"はありえない。すっくと立ち上がった村長は、あっという間に小娘どもを拉致しておれと伊藤博士の隣に強引に座らせてしまったのである!
 目が点。ラオラオの酔いが退く。ついでに伊藤博士の顔も唖然。
 自慢げなのは村長。そしてひとこと。ボペニャン。即席ハンノイの一丁あがり。

IMGP2723.JPG  だが小娘どもは怯えた眼差し。当然である。彼女らは、どう考えても偶然通りかかっただけの罪なき村民でしょう。それを村長だからといって無理やり酔っぱらい外国人の隣に座らせてしまっていいわけ?
 いいらしい。
 村長はしきりに娘たちにもラオラオを飲ませてやれと勧めてくる。当然、娘たちは迷惑顔。
 しょうがない。ここは正しき酔っぱらいとして娘たちのぶんも飲んでやろう!
 グイッ! とコップ焼酎を干し、さらに一杯そして二杯に三杯。すっかり正体不明で泥酔だぜい!
 横を見るとバルタン伊藤も泥酔して、なぜか大声で意味不明の歌を唄いながらエビ踊りをしている。それを見た村長とジイちゃんは大喜び。いつの間にか出てきた近所の住民もついでに大喜び。しかし小娘どもはやはり大迷惑の顔つき。世界はわからない。わからないから面白い。そしていつ家に戻ったのかもわからないおれは、夜中に目が覚めて小便をするために外に出る。ラオスの農村の多くは大も小も自然のなかでの外便である。
 外に出ると、いつの間にか月が出ている。
 その月明かりがおれの影を道端に映す。
 森が明かりにふわりと浮き上がっている。
 手の皺までもがはっきりと見える。
 月の明かりがこれほどまでに明るいとは今まで知らなかった。街灯に負けぬほどの明るさである。本が読めるようですらある。
 感動した。
 この風景を体感しただけでも、ラオスに来てよかったと思う。
 月に向かって小便。
 生きる時間は減ってはいるが、おれの世界は確実に広がっていた。

 翌日、ルアンパバンから飛行機でビエンチャンに戻った。座席に着いて足の間に置いたのは、伊藤博士からお土産にと持たされた蓋付きのポリバケツ。中には川の水とともに入れられたいっぱいの活エビ。9.11以降、世界のエアラインは液体を客室に持ち込むことを禁じていたはずだが、ラオス航空はお構いなしだ。テロリスト、爆弾持ち込み放題。たとえそれが小型核爆弾でも問題なさそうである。
 隣の席のオヤジが何だ?とバケツを見た。
 おれは蓋を開けた。
 フンッと鼻を鳴らしてオヤジは窓の外に顔を向けた。
そういえばカフェ・ビエンチャンのスター・ウェートレスだったクロコ先生は、ラオス航空のバンコク〜ビエンチャン便で客室通路を走りまわる犬を見たことがあると言っていたな。どうやら活エビをバケツで持ち込む人間もラオス航空では珍しいことではないらしい。
 おれは小さくあくびをした。
 世界は面白い。
 飛行機が滑走路を走り出した。
 空港まで送りに来てくれた農家の息子のことを思った。
 彼は大きくなってもおれのことを覚えているだろうか。
 飛行機が滑走路を離れた。
 もうすぐ帰国だ。
 エビが飛び跳ねてバケツの蓋に当たる音がした。
 






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