WEB本の雑誌

第29回

■わたしはかつてこれほど多くの関西人に会ったことがない

 店を開いて思いもかけなかったことが一つある。もしビエンチャンに来なければ決して出会うことのなかった人たちと、知り合いになれたということだ。たしかに日本で同じような店をはじめたとしても、多くの出会いがあったことだろう。しかしそれは限られた地域の人たちだけで、カフェ・ビエンチャンでのように、北は旭川から南は沖縄。さらに香港だのフィリピンだのミャンマー、カンボジア、アメリカ、フランス、イギリスなどの連中と酔っ払ってバカを言い合うなどあり得ないことだったに違いない。
 なかでも関西人だ。長く北海道に住み、日本全国に支店網を持つ大会社に勤めたことも吉本のオーディションを受けたこともなかっただけに、関西人と接する機会はそれまで皆無に等しかった。ところがカフェ・ビエンチャン・プロジェクトを始めて以来、これでもかというほどの関西人と知り合いになってしまったのである。五十年生きてきて、もっとも多くの関西人と遭遇したと言っても過言ではない。
 なぜなのだろう。
 と首をかしげながら見まわしてみると、東南アジアをうろつく日本人はなぜか関西人ばかりなのだ。もう呆れるほどに関西人だらけなのだ。それは旅行者も住んでいる者も変わりなく、ふと聞こえてくる日本語に耳を澄ますと、まず例外なくあの関西漫才語なのである。
 ここで“ふと聞こえてくる”などと書くと、外国にいてそんなに簡単に日本語が“ふと聞こえて”きてたまるかい! 読み手が知らないと思って安易に文章を連ねるんじゃねえバカヤロウ! という声が聞こえてきそうだが、そういう人は関西人の地声のデカさを忘れているか知らないかのどちらかだろう。そうなのだ。五十数年生きてきて最多の関西人と接したいまだからからこそ断言できるのだが、いや、わずかながらに大阪人の血を引く鋼鉄の女を妻としたからこそ言えるのだが、関西系日本人の声のデカさと騒々しさは半端ではない。二〇メートル離れた場所で恥ずかしがり屋のカップルが愛を囁き合っていたとしても、それが関西人カップルだったとしたなら、囁きは雄叫びと化しジミ・ヘンドリクスのファズの効いたギター並み大音量で鼓膜に突き刺さってくるはずだ。
“Hせぇへんかぁ。くぇっくぇっくぇっ!”
“なに言うてんねん! ドアホッ!”
 関西人はなぜにああも声がデカいのであろうか。自称口ベタで寡黙な小沢一朗と同じく縄文東北人と縁戚関係にある北海道人にはまったくの謎であるのだが、とにかくそのでかいデシベルで放たれる関西漫才語が、東南アジアの空間には充満しているのである。ということは、必然的に東南アジアには関西人が充満しているということに繋がるとおれは考えているのだが、ビエンチャンもまた例外ではなく、そして当然カフェ・ビエンチャンにやって来る客も例外ではない。在住者も旅行者も、なぜか関西人が多いのである。そして喧嘩言葉となるとやはり関西言葉なのである。
「おうっ! 表に出ぇやっ! このクソガキ!」
 叫んだのはラーメン屋の大阪人ユウさんである。
 店を閉じ、残っていた客と飲み直すべくユウさんの店に突撃した某夜更けのことだ。わいわい大騒ぎしながら飲んでいたところに入ってきたのが、二十代半ばと思われる日本人男女三人組。身なり小ざっぱりとして旅行者でないことだけはわかった。
 三人はラーメンを注文。
 ユウさんはニコニコと対応。
 そしておれは一緒に乗り込んだ客たちと大騒ぎ。ついでに酔った勢いでユウさんをからかう。
「ちゃんと美味しく作れよ!」
「作りますって」
 しかし若造たちはなぜかユウさんがおれたちと大騒ぎしているのが気に食わなかったらしい。出てきたラーメンを食い終わって金を払う段になると、突然怒鳴り声をあげたのだ。
「なんや雰囲気悪いで、この店」
 横に座っていた小娘ともう一人の若造もうなずいて睨みつけている。
「なんやて」
 笑い騒いでいたユウさんの顔が一瞬にして真顔になった。
「ニヤニヤ笑いくさって、なめてんのかこの店は」
 わけがわからん。こうなるとヤー公の言いがかりだ。
 ユーさんが椅子を蹴った。
 と同時に難癖つけた若造も立ち上がった。
「お前、大阪のどこや」
 若造が口にする関西弁にユウさんが反応した。
 若造が睨めつけながら自慢げに顎を上げた。
「岸和田や。それがどうした」
「岸和田って大阪でいちばんガラが悪いねん。言葉も大阪弁と違うて最悪やし」
 おれと一緒にカフェ・ビエンチャンから乗り込んできた旅行中の大阪娘が解説してくれた。京都弁と大阪弁の違いもわからないおれに岸和田弁がどう最悪なのかはわからないが、ガラが悪いということだけはしっかりと理解できた。
「岸和田やと?」
 ユウさんが間を詰めた。
「わしも岸和田や」
 なんだか漫才みたいになってきて小さく笑ってしまった。
 しかし若造は怯まなかった。それどころか頭の悪さいっぱいのお言葉を吐き散らしやがったのだ。
「それがどうした。おれらは海外青年協力隊や」
 海外青年協力隊ってのは、大阪では山口組と同じくらい恐れられているのだろうか。それともウルトラ警備隊の間違いか。おれは唖然として若造を見た。騒いでいた客たちもポカンと口を開けている。しかし若造は真面目だった。協力隊の小娘と仲間の若造も一緒になってユウさんを睨みつけている。どうやら最近の海外青年協力隊員は、自分たちを東京検察庁の特捜部員か水戸黄門の側用人“助さん”“角さん”と勘違いしているらしい。海外青年“狂力”隊である。
「協力隊やと? それがどないしたちゅうんや!」
 ユウさんが切れた。
「感じ悪いわ」
 狂力隊の小娘が吐き捨てた。
 その言葉に今度はおれの横にいた大阪娘が切れた。
「なんや! 感じ悪いんはそっちやないか! 気に入らんかったら黙って出てき!」
 この娘も岸和田なのだろうか。
「表に出ろや」
 ユウさんが若造の額に自分の額を押しつけた。
 ナニワ金融道を見ているようだった。喧嘩は関西弁に限る。わくわくした。
 ユウさんと狂力隊の若造たちが表に出た。
「大丈夫か?」
 おれは表から聞こえてくるひっきりなしの怒鳴り声にむかってつぶやいた。
 大阪小娘が平然とおっしゃった。
「大丈夫や。大阪の人間は怒鳴るだけ怒鳴れば気がすむんや。日常や。殴り合いまではめったにいかへん。心配ない」
 暴力団の本場関西の人間だけに信憑性に欠ける言葉かと思ったが、十五分ほど怒鳴りあいは続いたものの殴り合いまでには進展せず、ビエンチャン関西抗争は幕を閉じた。
 このように、とにかく東南アジアは関西人でいっぱいだ。そして寡黙で口下手な東北系北海道人の血を引くおれはつくづくと梅原猛先生に頭を垂れるのだ。
 関西人。激烈苛烈な精神性を携えて朝鮮半島から渡ってきた弥生人の子孫たち。すげぇな。縄文人が駆逐されたはずだぜ。
 
 ところでユウさんの店でインネンつけて騒いだ狂力隊員たちは、あとになってカフェ・ビエンチャンにもやって来た。おれの顔は忘れているようだったが、皆が譲り合いながら気持ちよく飲み食いしている満員の店で、注文した料理はまだかと不愉快そうに言葉を投げつけてくるさまは、甘やかされて育った頭の悪いドラ息子バカ娘。こんなバカ造連中が何をラオスで協力しているのかは知らないが、おそらくラオスにとっても迷惑だろうから声を大にして言っておく。
 とっとと日本に帰りやがれ。

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