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第54回

天ぷらにソースをかけますか?―ニッポン食文化の境界線 (新潮文庫)
『天ぷらにソースをかけますか?―ニッポン食文化の境界線 (新潮文庫)』
野瀬 泰申
新潮社
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ラオスは戦場だった
『ラオスは戦場だった』
竹内 正右
めこん
2,625円(税込)
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老検死官シリ先生がゆく (ヴィレッジブックス)
『老検死官シリ先生がゆく (ヴィレッジブックス)』
コリン コッタリル
ヴィレッジブックス
945円(税込)
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■メコン河仮想花見大会

 三月になるとカフェ・ビエンチャンは花見の季節に入る。もちろん桜の花がビエンチャンで咲き乱れているはずもなく、メコン河の河原に繰り出し木陰の下で仲間たちと酒を飲み乱れるだけの話だが、そんなことでも妙に楽しく興奮してしまうのは日本人のDNA故といったところだろう。
 もっともラオス人も休みとなれば郊外にある滝に出向いて水煙を浴びながらビアラオでドンチャン騒ぎというのが大好きだから、ひょっとしたら木陰泥酔DNAというのはアジア人共通の遺伝子なのかもしれない。
 そんなこともあって花見時期に入ると毎月一度くらいの割合でメコン河仮想花見大会を決行していたのだが、鋼鉄の妻から電話を受けた翌週の六月某日曜日も、おれはカフェ・ビエンチャンを閉めることなど露も思わず花見大会の準備に精を出していたわけだ。準備といっても幕の内弁当を作るわけではない。ジンギスカンの用意である。
 以前に書いたかどうかはすっかり忘れてしまったが、もともとカフェ・ビエンチャンを開くにあたっては、自身の風貌・性格も省みず完全無欠なオシャレ系カフェを目指していた。嘘つけといわれそうだが嘘ではない。ビエンチャンにやって来る前。中国大連で本格ケーキを出すカフェを開こうと、札幌の寒いアパートの一室で毎日ガトー・ショコラを焼きまくっていた、その延長線上での考えである。
 ところがビエンチャンに来てシロアリの雨を浴びながら店舗内装・改装の日々を送っているうちに、ガトー・ショコラがおれにはまったく似合わないということにハタと気づいたのだ。青天の霹靂。黒部ダム決壊。
 さらに普段から、上辺だけの小洒落たカフェやらレストランなどは知性あるオトナの男がチャラチャラと行くべき場所ではないと、うるさいほどに口にしていることも思い出した。ならばと女こどもが入り口で二の足踏むような加齢臭漂うオヤジどもの溜まり場的立ち飲み屋に路線変更したのだが、立ち飲み台を作ったところで、何もそこまですることはあるまいとまたしても方針逸脱。集中力のなさ飽きっぽさは幼稚園の先生に注意されて以来のおれの宿痾である。そしてその宿痾の先に見えたのが北海道人の誇りを胸に抱いてのジンギスカン屋であった。これは全国的にジンギスカン・ブームが起こる前に考えたことでもあり、自分の商才にいまさらながら恐れ戦いているが、結局ジンギスカン屋をやらずにまたまた方向転換して牛タンの炭火焼きをメインに据えたところが、いつまでも金持ちになれない理由であったか。
 ということでカフェ・ビエンチャン開業にあたっての大いなる路線変更のなかに候補としてあがったジンギスカン料理ではあったが、結局店のメニューとして正式に出すことはなく(ラム肉ではなくヤギ肉を使ったジンギスカンは出していたが)、花見用特別メニューとして再生したというわけである。
 ところでジンギスカンがなぜ花見料理なのかという疑問が、ここで当然でてくるものと思われる。おそらく北海道人以外であれば、みなそう考えるのではあるまいか。
 お答えしよう。
 北海道では春の花見の際、桜の花の下で食べるのはジンギスカンというのが定番なのである。ポータブル・ガスコンロあるいは七輪などを持ち込んで、桜の花びら舞うなかを煙モウモウと立ちあげ焼いたラム肉を食すのが正しく野蛮な北海道の花見なのである。桜並木はどこもかしこも焼いた羊肉の煙に燻され霞み、それはそれは壮観なる北国の花見。それが北海道の春なのだ。
 まあそこのところは日本全国知られざる食文化の相違を書いて圧倒的に面白かった野瀬泰申氏の『天ぷらにソースをかけますか?』にも詳しいので読んでいただきたいが、かような理由から北海道人のおれとしてはビエンチャンにいても花見と名が付けば料理はジンギスカンということにどうしてもならざるを得なかったわけである。
 ラム肉は高級レストラン向け肉屋に売っている。フランス料理店などではラムチョップやラムステーキが定番メニューとなっているから、骨付きアバラ肉や腿肉が常時店先に並べられているのだ。しかし値段は高く、一〇〇グラムが一ドル半前後だから北海道のスーパーで買うのとそう変わりはない。はっきりいって高い。そしてこの値段の高さこそが、ジンギスカンをカフェ・ビエンチャンのメイン・メニューにしなかった理由の一つでもあった。
 しかし花見は別だ。遊びである。レジャーである。店の儲けはなし。参加者が割り勘で食う。
 ジンギスカンの調理方法は二通りある。昔ながらの肉をタレに漬け込んで焼く方法。もう一つは味付けしていない肉を焼き、付けダレに付けて食べる方法だ。個人的には付けダレ方式が好きなのでこちらにしている。タレは自家製。醤油と煮切ったラオス焼酎などなどを使って作る。大好きな北海道ベル食品のジンギスカンのタレの味そっくりにしてあるのだが、これがラム肉にぴったりで美味い! ちなみに店で週一回出していたヤギ肉ジンギスカンもこのタレである。
 塊で購入したラム肉は余計な脂を除き小さく網焼き用に切る。けっこう手間がかかるが楽しい花見のためである。あとは冷えたビールをアイスボックスに入れ、ついでにワインも入れ、七輪と炭を抱えてお出かけだ。
 花見の場所はラーンサーン・ホテルの前。道路を一本挟んだ土手の下の空き地。大きな木に囲まれて木陰になっているのがジンギスカンには最適だ。またラーンサーン・ホテルのロビーにあるトイレを使えるというのも嬉しい。
 勝手にトイレを使わせてもらっているラーンサーン・ホテルは社会主義革命が成った一九七五年以前からある古いホテルだ。革命後は国営となって国賓なども泊まるほどのラオスを代表する高級ホテルだったが、ラオプラザ・ホテルやセタパレス・ホテルなどが出来た後は高級の文字を明け渡し、現在ではカフェ・ビエンチャン花見御一行様御用達トイレである。レ・ミゼラブル。噫!無常。
 ところで昨年本棚を整理していたときのことだ。出てきた月刊写真誌『太陽』の一九七五年十月号グラビアに面白い写真を見つけた。住田篤起という報道カメラマンが撮影した革命直後のビエンチャン市内の街並だ。これが驚いたことに写っている街並が現在とほとんど変わらないのである。カフェ・ビエンチャンからも近いサムセンタイ通りに並ぶ建物なども現在とまるっきり同じだ。
 住田篤起が『太陽』に書いた文章には、竹内三千男という一九七五年当時ビエンチャンに住んでいた日本人カメラマンが出てくる。一緒にビエンチャン市内を取材したカメラマンだそうである。
 おや? と思ってさらに本棚を調べてみたら、あった。『ラオスは戦場だった』という二〇〇四年に"めこん"から出版された写真集。一九七五年革命直後のラオス国内を写した写真が数多く収められている。著者の名は竹内正右。開いてみると、住田篤起が撮ったビエンチャン市内を写した写真と同じ場所を写した写真がふんだんに使われている。おそらく住田が書いていた竹内三千男は、この写真集の著者である竹内正右に違いない。なぜ名前が違っているのかは分からないが、問題は収められている写真だ。
 読んだときはビエンチャンに住み始めたばかりで気づかなかったのだが、もう一度見てみると、住田の写真と同じく、写されている三十年以上前のビエンチャンの街並が現在とほとんど変わりがないのである。国立競技場も同じ。タートルアン前広場も同じ。セタティラート通りに並ぶ家々も変わりない。
 驚いた。古い街並を大切にするヨーロッパならともかく、どれだけ古い歴史を持つ街であろうと古い家や道路など次々と壊して新しいものにしていくのが常のアジアにあって、これは特筆すべき現象であり風景といえるのではあるまいか。
 ビエンチャンの街並については、もう一冊の本がある。革命直後一九七六年のビエンチャンを舞台にした推理小説『老検死官シリ先生がゆく』。コリン・コッタリルというタイのチェンマイ在住イギリス人が書いた小説なのだが、物語の面白さはさておき、書かれている一九七六年のビエンチャン市内にあったとされる建物や通りの名前が、現在もある建物や通りとみごとに合致しているのだ。この作家はビエンチャンをよく知っている。そう思って拍手をした。
 コッタリルはタイやラオスへのユネスコ教育支援の仕事に関わったことがあり、ラオスを訪れたときに多くの退役軍人たちから共産党政権成立時のことを聞きだしテープにまとめたことがあるそうだ。おそらくその話に出てきた一九七五年前後のビエンチャンの街の様子を自身が歩いて確認したのだろう。そして住田篤起や竹内正右の写真でおれが感じたように、彼もまた建ち並ぶ建物や通りの様子が三十年前とほとんど変わらないことに驚いたに違いない。ビエンチャンは時が止まったワンダーランドなのである。

 さて。ジンギスカン道具を持ち込んだカフェ・ビエンチャン御一行様は、いつもの空き地にゴザを敷いて花のない花見の開始である。
「それじゃあ、まずは乾杯から!」
 おれはビアラオを注いだ紙コップを高く掲げて叫ぶ。
 空は晴天。
 気温は三〇度超。
 ビエンチャン花見日和。
「かんぱ〜い!」
 焼肉大王ヤマダさんやカメちゃんやアラ主任が唱和した声がメコン河にこだまする。
 ずっとこの街にいようか。
 閉店まではもうすぐだった。

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