WEB本の雑誌

第27回

■そして何度目かの引越し

 引越しが待っていた。いや。その前に引越し先を決めねばならなかった。住んでいたアパートが老朽化のため取り壊しとなるのだ。住み始めて五年。見かけだけは鉄筋で立派そうには見えるが、その内実はソ連政府が労働者用に建設した見てくれだけの粗悪アパートで、入居当初から天井からの水漏れに悩まされていた。
 それが幸か不幸か、大家のほうから出て行っていただきたいと仰るのである。
 思えば高校一年のときに一人暮らしを始めて以来、入居する下宿屋そしてアパート、みなハズレばかりだったような気がする。最初の下宿屋はいまにも崩れ落ちそうな木造二階建て。夜中にカーテンの隙間から得体の知れない手が伸びてきて首を絞めてくるというお化け屋敷だった。
 次に住んだのは六畳一間のアパート。そこでは、廊下を挟んで斜め向かいの部屋の住人がガス自殺を図り、危うく大爆発を起こすところに居合わせた。当時はブカブカと煙草を吸っていたので、もしそのときゴロゴロと退屈な時間を打っちゃることに飽きて、くわえ煙草のままガスの漏れ出た廊下に出ていたとしたなら、おそらくいまごろは自殺を図ったその青年と土の下で取っ組み合いをしていたに違いない。
 三軒目は、強い雨が風で外壁にたたきつけられると室内の天井からも壁からもイグアスの滝のような大量の水が襲いかかってくるアパートだった。それでも住んでいたのは、管理人の子どもの家庭教師をして、ただでさえ安い家賃を半額にしてもらっていたからで、それがなければすぐにでも逃げ出していただろう。
 余談になるが、その管理人をしていた夫婦の旦那は、奥さんに自分が経営していた土木作業下請け会社で働いていた男と逃げられ逆上。二人が住む家を探し出し、ブルドーザーで突っ込んで滅茶苦茶に叩き壊したという天晴れな男だった。しかしそれが影響したのか、おれが勉強を教えていた息子はススキノでヤクザになった。妹は中学のときに家を出て茨城でピンキャバのホステスになったあと、行方知れず。他人が見れば天晴れに思える行状も、家族にとっては迷惑このうえないとはこのことで、数々の無分別を重ねてきたおれも他人事ではない。やはり子どもを持たなかったのは正解だったということか。まあいいや。
 さてその次は以前にも書いたが、階下に覚醒剤中毒のタコ焼き屋が住むアパートだ。幻覚幻聴に荒れ狂う男と世界平和を論じても無駄である。早々に逃げ出した。
 そして今回の水漏れボロアパート。冬場になると屋上の集合煙突周辺の雪が上がってくる熱で融け、階下の部屋を直撃するのだ。そのたびに大家は修繕するのだが、建物自体の老朽化はいかんともしがたく結局は取り壊し。
間取りが広いだけが取り柄で、いまどき鉄筋なのに断熱材も使われておらず、窓枠も歪んだ鉄枠で隙間風だらけ。厳冬を迎えるたびに、南極点から絶望の帰路につくスコット隊の気構えが必要なくらい寒いとなれば立ち退きも惜しくはない。しかしただただ引越しが面倒だった。若い頃からモノを持つことに興味がないせいもあって、家具や調度品など、他の家庭から見れば無いに等しいのだが、なぜか手放せないまま増え続けた本の荷造りが重労働だった。
 どうしようか。
 悩んだが、ある程度を処分することにした。それまでなら本だけは一冊残らず引越し先に持っていったのだが、今回はなぜか執着心が湧き起こらなかった。おそらくビエンチャンでの二年が少なからず影響していたのだろう。手放すことを恐れるな。おれはまた一つ自由になっていた。
 十月半ばになって引越し先が決まった。
 疾風怒濤で引越しを済ませた。
 難病指定を受けていた鋼鉄の妻の病状も、定期的な病院通いは続いていたが安定していた。老いた猫も齢を重ねてはいたが、まだまだ元気だった。
「なんだかいろいろありすぎる人生だよね」
 荷物を片付けて一段落したあと、出かけた近所の居酒屋で鋼鉄の妻がしみじみとおっしゃった。
「だから面白いだろ」
「まあね」
 居酒屋を出ると、そこまでやって来た冬の冷たさに空気が微かに張りつめていた。小さく震えがはしった。それは何度も通り抜けてきたはずの空気だったが、初めて経験したかのように、とても新鮮に感じられた。おかしな話しだが、おれはビエンチャンに住んでいるのだと実感した。
 アパートに戻りテレビをつけると、ニュースでビエンチャンにある北朝鮮レストランが映っていた。一年前にできた北朝鮮資本のレストランだ。開店当初、どんなものかと友人たちと繰り込んだレストランである。
 取材したテレビ朝日の記者が画面に向かって言った。
“ビール二本とキムチと冷麺。それで一〇〇ドルというのは高いですね”
 笑った。たしかに地元のレストランに比べたら高い料金をとってはいる店だが、それはボラれたというものだよ。どんなにとられても、三〇ドル前後で収まるはずだ。隠しカメラを使っているわけでもなかったから、おそらく記者は取材と明かしたのだろう。それともおバカな日本人観光客と思われたか。いいカモである。さらにそれをニュースとして真面目に伝えているのだから困ったものだ。
 まったくなあ。
 すっかりビエンチャン人となっていたおれは首を振った。まさか数ヵ月後に、この北朝鮮レストランで歌を唄っていた喜び組女子従業員が大量に脱北するとは思いもよらなかったのではあるが。
 すっかり酔っぱらったおれは瞼を落とした。ニュースでは、日本シリーズで優勝した日本ハム北海道ファイターズの話題になっていた。新庄は引退だ。コンサドーレ札幌は今年もJ1に上がれそうもなかった。
 ビエンチャンに戻る日が近づいていた。銀行口座凍結を解除が待っていた。なによりカフェ・ビエンチャンを開けるために。

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