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第66回

■長いお別れ2 場末の国で 

 じつを言うと、訪れたことのある海外の街で最も住みたかったのはビエンチャンではない。ポルトガルのリスボンだ。基準となったのは酒場と海である。
 仕事や旅行で海外に行った際、必ずと言っていいほど足を向ける場所がある。一つが動物園。次に映画館。そして地元の飲んだくれで賑わう場末の酒場。それらに加えて"長城"と名前の付いた中華料理レストランめぐりというのもある。
 動物園はもともと大好きで、日本でも動物園のある街に行くことがあると必ず訪れるようにしている。そこに充満する幸せな空気がたまらなく好きなのだ。動物園に悲しさは似合わない。心が風邪をひいているときに行けば優しく温めてくれる。人嫌いが落ち着ける数少ない場所。楽しい。
 いままで訪れた動物園で最も素晴らしいと思ったのはシンガポール動物園だ。ブームになっている北海道旭川にある旭山動物園の動物展示方法は、おそらくこのシンガポール動物園を参考にしたものと思われるが、展示のスケールや園内をめぐる楽しさにおいてはとても敵うものではない。なにしろ動物と入園者を隔てる柵や檻といったものが存在しないのだ。常識的な動物園という概念を見事にひっくり返してくれる。シンガポールは旅行で行くにはつまらない国だが、この動物園があるだけで寄ってみようかという気が起こるというものだ。
 海外で時間が余ると映画館に急ぐ。元映画館主のサガである。そしてなるべくその国で作られた映画を見る。もしやっていれば、日本映画も。だが映画を見るのも楽しいが、映画館自体や観客を見ているほうがもっと楽しい。それが場末の映画館なら最高だ。映画館には場末が似合う。
 インドのコルカタで見たインド映画は楽しかった。もちろん派手な踊りが繰り広げられるミュージカル仕立てだ。さらに主人公が超絶美女であるのはインド映画の定番。席がカーストの低い者たちであふれる料金の安い一階席だったからでもあるまいが、美女主人公が画面に登場するや客席の青少年たちから下品な口笛の嵐である。現実でやったら高カースト者に張り倒されるのだろうな。きっと。
 もちろんアクションがあれば拍手喝采だ。悪人が出てくりゃブーイング。終るまで口笛や拍手や掛け声がやむことはない。日本では決してお目にかかれない光景。インドの映画館に来る客はロック・コンサートと同じノリだ。
 バンコクの中華街ヤワーラートにある映画館で台湾製無修正ポルノを見せられたこともある。ちょうど旧正月でレストランも映画館も閉まっているところが多かったのだが、なぜかその映画館だけはやっていて、表通りから奥まった入り口を覗くと切符売りのオヤジが入れと促す。ポスターも何も貼っていなかったので、どんな映画がやっているのかわからない。まあいいかと金を払って入ってみてびっくり。新東宝製作の日本製ピンク映画がかかっていたのである。それだけならまあヨロシイ。しかし二本目にスクリーンに映し出された映画にぶっ飛んだ。台湾が舞台となった無修正ポルノ。五〇〇人は入ろうかという大劇場の巨大スクリーンに隆々たる"沈々"が聳え立ったのである。台湾婦人の大股開きジャン・コクトーである。タイはいつからポルノ解禁になったのか。なったわけがない。観客はおれを含めて十数人。ひょっとして劇場主による有志を集めての秘密上映会であったのか。だとしてもなぜおれを入れたのかは不明。一年後に再び行ってみると映画館は閉館していた。謎である。
 ミャンマー・ヤンゴンの映画館は蚊がブンブンと飛び交っていて、ぶちぶちと刺されまくった。少年少女のデート場所と化していたベトナムのホーチ・ミンの映画館は、恋の会話がうるさくて映画どころではなかった。
 九〇年代半ばまでの香港は映画天国だった。一日で三館の映画館をハシゴして見まくっていた。中国広州の映画館ではポーランドの三流映画を見たことがある。なぜあんな映画を見たのか今も納得がいかない。人間は時に説明のつかない行動をとるという典型である。
 北野武の『HANABI』を見たのはイタリアのフィレンツェだった。ベネツィア映画祭でグランプリを受賞して間もなくのこと。日本での公開前。イタリア語の吹き替えになっていたのだが話の内容はよく理解できた。台詞ではなく映像を追うだけで物語がわかるというのが優れた映画の条件なのだと再認識させられた。
 リスボンの映画館では今村昌平の『うなぎ』を見た。こちらは吹き替えではなく日本語のままでポルトガル語字幕付き。しかし字幕では伝わらないのか、ポルトガル人の観客は笑える場面で笑うこともなく、大声あげて笑ったのはおれ一人だった。日本で外国映画を見ている日本人も同じことで、よほど語学が堪能かその国の文化に造詣が深くない限り、細かいところを見逃しているのだろうなと思いましたね。でも細かいところはわからなくても、映画はやっぱり面白いや。
 酒場は世界中どこに行っても入ることにしている。酒好きだから当然である。一日一酒必飲。だから酒飲みが悪党扱いされるインドでも探し出しては飲みに入っていた。楽しいというよりヨガ修行のような顔をして黙々と飲んでいる酒好きインド人の顔が面白かった。
 困るのは中国や台湾で、酒を中心としたいわゆる"飲み屋"が極端に少ないのだ。たとえ酒を出してくれても、あくまでも料理が中心なのである。でなければ厚化粧の小娘が横にベタリと張り付いてくる桃色酒場。小娘が酌をしてくれる酒場は嫌いだ。ついでに男に酌をする小娘も嫌いだというのは、酌などする気もさせる気もない北海道産の婦女子に慣れているから。とにかく中国や台湾で酒だけを飲みたい夜は本当に困ってしまう。
 困らないのはヨーロッパだ。ベルギーではチョコレートではなく星の数ほどもある銘柄のビールをひたすら種類を変えて飲んでいた。スコットランドのエディンバラでは連日パブに入り浸って飲んでいたし、ロンドンは言うまでもない。
 パブといえばアイルランドのダブリンが素晴らしい。由緒正しい酔っぱらいの宝庫である。ウェールズのホーリーヘッドから深夜フェリーに乗ってダブリンに渡ったのだが、知り合ったオヤジが面白かった。
「お前ぇよ、どうしてアイルランド人がダメな民族になっちまったかわかるか?」
「...いいえ」
「ギネスだよ。ギネスなんてものを作っちまったから、アイルランド人はみんな酔っぱらいになってダメ人間になったのさ」
 オヤジの手にはギネスのロング缶がしっかりと握られていた。おれは思った。住むならダブリンにしよう。そう。海外で住みたい街の第二位がダブリンなのである。
 そして第一位がリスボン。ここにはおれが北千住や赤羽のオヤジ専用酒場と同じくらいに愛するイカした酒場があるのだ。旧市街。ロシオ広場に面した商店の並びにひっそりとある立ち飲み屋だ。出しているのはジンジャという黒サクランボから作ったリキュール。アルコール度数は二〇%くらいか。ほんのりとした甘さが妙に癖になる美味い酒である。店ではこのリキュールを1級と2級の二種類出しているだけ。食い物はなし。四畳半ほどの広さの店で正面奥はカウンター。そこで女房と結婚したことを朝から晩まで呪い続けているような不機嫌顔のオヤジが、ショットグラスにリキュールを注いでは客に突き出している。店の灯りは裸電球が一つ。黄色い灯りがオヤジの不機嫌顔をさらに際立たせている。
 店は昼間もやっているが、混み合うのは日が暮れた午後六時以降だ。会社帰りらしいオヤジや、ときにはオバサンがくいっと引っ掛けてスパッと帰ってゆく。長居はしない。酒飲みの鑑である。赤羽の朝からやっている酒場でグダグダと半日飲み続けるのもいいが、このようにスパッとしたのも憧れである。いや。それよりもこの店のカウンターに立つオヤジがいいのだ。店に客が入ってきても酒を注いで出すときも女房との結婚を呪っている不機嫌顔なのだが、客がグラスを置いて出て行くときだけはとろけるように優しい笑顔を浮かべるのだ。呪いが解けたのか、見入ってしまうほどの笑顔。なんだかお前は合格だよと言われたような気持ちがする。酒飲み合格だ。とろけた。そして思った。おれもこのオヤジのように、この街でカウンターに立ちたい。
 嬉しいことにリスボンには海があった。港町で生まれたおれは海がないと落ち着かない人間である。海の魚を食って育った人間である。リスボン人は無類の海の魚食いだ。しかも訪れた当時のポルトガルは、西ヨーロッパ諸国ではアイルランドと並んで最貧に位置する国だった。両方とも場末の国である。場末好きのおれにはたまらない。住みたい国一位に決定!
 さてその一位二位がなくなって、海外に住んだのがどうしてラオスのビエンチャンになったのか。それは『カフェ・ビエンチャン大作戦』を読んでもらえばいいのだが、結局ラオスも東南アジアの場末の国で、おれはそこに惹かれたのだろう。ついでにビエンチャンに海はないがメコン河があった。水がそばにあれば落ち着く。われは海(湖)の子...。
 とにかく日本だろうと外国だろうと映画館だろうと酒場だろうと場末が大好きなのだ。辺境は元気な冒険家に任せる。おれは場末で飲んだくれる。ビエンチャンに行き着いた。
 
 ところで"長城"と名の付く中華料理レストランというのは、店名の定番になっているのか世界中どこの街に行っても見つけられるもので、しかも出す料理がそこそこウマイというのを発見したのはおれ。"長城"にハズレなし。以来"長城飯店評論家"と自称して、海外に出るたびに長城レストランを探しめぐるようになった。いつかそのガイドブックを作ってみたい。もっともそんなガイドブックが誰かの役に立つとは思えないのだが、役に立たないものほど面白いというのは人生における一片の真実なのである。
 そう。カフェ・ビエンチャンみたいなものだ。

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