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第8回

■経営者は偉そうにしているはずが掃除で汗だくとはどういうことなのかと悩む

 とにかく忙しかった。博士とクロコ先生が帰国したあとは尚更だった。仕込みや食器洗いやお客さんへの給仕や後片付けなどの仕事が、一挙に二人ぶん増えてしまったのだ。
 もちろん新たなNGОモリヨシカの加入はあった。それでも一人ぶん足りなくなったのだ。しかも彼女は語学留学生だった。午前中はビエンチャン郊外にある大学に通わなければならない。
 学校の新学期が始まるまではよかった。だが始まったら途端に仕事がまわらなくなった。午前中の仕込みや、店と厨房の掃除はおれ一人なのだ。
 まず早朝五時半には起床となった。外はまだ薄暗い。だからといって、すぐに起きるわけではない。ダイエットしすぎの女子高生みたいに貧血なわけでも、一日十四時間は眠っていられる男子高生みたいに睡眠過多というわけでもないから、ガバと跳ね起きラジオ体操第一くらいはすぐにやることくらいはできる。だが、やらないのは本を読むからだ。三十分。唯一の安息。北海道新聞で書評をやっていたので、読まねばならないということもあった。だからと言って面白がって、一時間二時間と時間をつぶすわけには行かない。
 自転車に乗ってトンカンカム市場へと行く。時間にして五、六分といったところか。自転車様さまだ。二本の脚より車輪のほうが早いのは言うまでもない。
 トンカンカム市場は午後六時ころまでやっている屋内市場と、隣接した場所で午前中だけ営業している屋外市場がある。どちらも肉屋、魚屋、八百屋、惣菜屋や食材店などの小売店がひしめき合っているが、屋内市場にはこれに加えて洋品店や酒屋、貴金属店、食器店なども営業をしている。店で働く人たちや買い物客たちのための食堂もある。ちょうど
築地の場内・場外市場のような形態。
 早朝から開いている場外市場は、市内中心部でレストランや食堂を開いている人々が買出しに利用することが多いため、そのぶん大量買いする客も多く、野菜類は場内市場よりも何割かは安い。さらに肉も新鮮なので、早朝の場外はいつも人でごった返し状態だ。
 そのトンカンカム市場に、毎日買い出しに出かけていた。店で使っている冷蔵庫が小さいため、食材のストックがきかないのだ。大型冷凍庫もないので、どうしても少量の食材を毎日買うというスタイルになってしまう。だが毎日通っていたおかげで市場の店の人間にも一通り顔を覚えられ、まともに意思疎通を図れないラオス語力ながら、値段的にも品質的にもそれなりの物を提供してくれるようになったのが収穫といえば収穫だった。
 市場から戻ってくる途中の食堂で、米粉で作ったカオピヤックという軽い味の麺かお粥の朝食を取る。酒好き人間としては、このような胃にやさしいものが朝食にうれしい。いや。単に胃袋が歳を取ったということか。
 店に戻れば掃除だ。四台あるテーブルと八脚の椅子。そして飾り棚として借りてきたラオスの小学校用机などをすべて外に出して、掃き掃除とモップを使っての拭き掃除。もうこの時点で外気は三十度を超えていて、着ているTシャツは汗でずぶ濡れ。店先にある水道でモップを洗う姿は、まるで海に落ちて途方にくれながら衣服を洗うホームレスである。ちなみにラオスでは、どんな小さな店でも、店の主人がめったなことで掃除などすることはない。するのは使用人だ。店の主人は偉そうにしていなければ認められないのである。だからおれみたいに朝から汗だくになって店の掃除などしているのは、頭がおかしいか極貧かのどちらかに思われる。しかし日本人に極貧はいないと思われているから、おそらくおれは近所からは頭がおかしいとされているはずだった。
 店の掃除が済んだら厨房の掃除。これまた重ねてある食器類や並べてある調味料類をすべて移動させての掃除。終わればすでに時計は十時近くになっている。汗を流すためにシャワーを浴びて着替える。
 あとは十二時開店目指して、ランチメニューの仕込みに入る。夜のメニューとの兼用で品数は4種類。まずはカレーライス。これは博士オリジナルのエスニックな激辛カレーだが、後におれが苦心の末に完成させた牛スジ肉を具とした純日本風カレーになる。
 ご飯ものはもう一種類。豚の角煮を乗せた角煮丼だ。夜はオプションだが、昼はサービスで温泉卵が一緒に乗る。
 麺は二種類。冷やし中華と、茹でたカオピヤックの麺を冷水で絞め、カツオ仕立ての麺つゆをかけて四国讃岐うどんの“ぶっかけ”風にしたもの。丼物はともかく、この麺類の具の仕込みなどが細かくて時間がとられる。
 冷やし中華のたれや“ぶっかけ”用のつゆも足りないとなれば作らなければならない。さらに麺を茹でるための湯も大鍋に沸かして用意しておかねばならないし、昼食にはそれぞれサラダ類も付けるので、その仕込みもある。
 まったく食い物屋商売というものが、これほどまでに大変だとは思ってもみなかったとヘトヘトになった頭と体で実感する。

 そして開店。たまにNGOヨシカが開店時間に間に合って戻ってくることがあるが、ほとんどの場合は一人でメニューを作りサーブをして後片付けまでする。当然、厨房で料理を作っていると店には店員がいないから、お客はどうしたんだと戸惑うことになる。さらに注文がいくつも重なったりすると、手際が悪いこともあって、時間だけがどんどん押してしまう。貴重な昼食時間だけに、なかなか出てこない料理に客は苛つく。作っているおれはもっと苛つく。とくに冷やし中華と“ぶっかけ”を同時に注文されたりすると、麺を冷水で絞めるところを別々にしたり、具材を乗せる手間がかかったりで面倒なことこの上ない。思わず、“麺なんか食うな!”と鍋に向かって毒づくのだが、ならメニューから外せばいいとは考えないのが貧乏人だ。食べてくれた客は、みな美味しいと言ってくれるから、やらねばと乗せられてしまうのである。それでも少し考えれば解決できた問題でもあった。二種類の麺類が面倒なら、日に一種類。日替わり交互に出せばよかったのである。さらに丼物を同じく日替わり交互に出せば、昼のメニューは二種類だけ。しかしそれぞれ組み合わせを変えていけば、バリエーションもできて客も何日か通っても飽きないというものだろう。
 しかしそれを思いついたのは、これを書いているたった今のこと。そのときは四種類、必ず毎日出さねばと思い込んでいたのである。
まさにルーティンに縛られていたのだ。何をやっても許されるはずのビエンチャンで、日本で行われているレストラン業態を頑なに守ろうとしていたのである。しかも素人が、だ。疲れるはずである。
 それでも客が入れば問題はない。疲れは入ってくるお金の多さで癒される。土俵に金が落ちていると名言を吐いたのは初代若乃花だったが、美味いレストランには金が落ちているはずが、探せども金の姿が見えないのだ。昼の客の入りはジリ貧。クロコ先生の同伴出勤もなくなって、さらに料理が出てくるのが遅いという風評も出始めて、ランチタイムは労働の過酷さに比べ散々だった。疲れが増すはずだ。
「クロダさん。人雇いましょうよ」
 言ったのはNGOヨシカ。
「わたしが住居見つけて出て行ったら、なかなか手伝いには来れませんよ。早めに手当てしておいたほうがいいですって」
 たしかに昼は入らないが、夜の部の客は確実に増えつつあった。どうやら牛タンの炭火焼きの美味さが口コミで伝わりだしたらしいのだ。忙しい日は、ほんとうに目の回るような忙しさだった。NGOモリヨシカがいる間はいいが、いなくなった後はどうするのか。考える時期に来ていた。
「そうだな」
 おれは店のオープン前に使ってくれと売り込みに来たラオス人青年を思い出した。日本語を習っているとかで、ラオス語がほとんど使用不可であるおれにも好都合。多少のコミュニケーションは図れる。しかもルアンパバンでホテル仕事の経験もあると言っていた。
「電話してみよう」
 おれは携帯を手に取った。
 ОK。
 名前はシン君。
 カフェビエンチャンに初のラオス人労働者が生まれた。これでおれもカフェ経営者としてようやく近所にいい顔をできるのか。そう思った。
 しかしそんなに甘くないことを一週間後に思い知るのだった。

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