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第19回

 いろいろあって更新できなかった。久しぶりなので、最近読んだ本のことでも。
 まず作品社から立て続けに『“ポスト”フェミニズム』と『イラスト図解“ポスト”フェミニズム入門』が刊行された。……“ポスト”フェミニズム、って? 注意喚起力の高い書名だ。ここ数年、フェミニズムという言葉よりもジェンダー(・スタディーズ)という言葉のほうが好んで使われていた印象があるが、『“ポスト”フェミニズム』の編者であり『イラスト図解~』の訳者のひとりでもある竹村和子は、その「価値中立的な響き」を避けるために、敢えて“ポスト”フェミニズムという言葉を採用したと説明している。挑戦的だ。そもそもフェミニズムとは何を目指す政治なのか。同じく竹村和子によれば、「性が特権化された社会的指標になっていて、それにまつわって明示的・暗示的に階層秩序がつくられていることに対抗して、その階層秩序を崩し、性を特権的指標にしない社会をめざす」ことが、フェミニズムの「イズム」だという。

“ポスト”フェミニズムは、過去のフェミニズムと完全に切断された全く新しい思想として登場するものではない。書店の立場で簡単に言ってしまえば、「最近の」フェミニズムにすぎない。しかし、「最近の」フェミニズムがいったいどういうことになっているのか、知らない人は多いだろう。「ウーマンリブ」でしょ?なんて笑えない反応も大いに予想される。そういう状況に対して、この書名が与えるインパクトに期待したい。ちなみに、『イラスト図解~入門』のほうが難解なので注意してほしい。翻訳だから、ということもあるが、入門者にとって、過度に簡略化された「図解」は、余計に意味不明である。むしろ、丁寧に慎重に重ねられた日本語によって具体的事例を含めて「現状」を正確に映し出そうとする『“ポスト”フェミニズム』収録の各論述及び討論のほうが、読者に対して親切だと思う。巻末のキイワード解説や文献年表もありがたい。

 ある性の解放がある性の抑圧につながらない社会のあり方はいかに可能か、と考える。それはたぶん、性の解放が、性からの解放によって支えられているような構造ではないかとイメージするが、おそらくその意味を理解しない最大勢力は、大方の、無邪気な「男」だろう。いま、無邪気な「男」として開き直る向きに対して、無邪気な「男」ではいられない感性からの反発が面白い。例えば、星野智幸や吉田修一といった作家は、その代表格と言える。では、鈴木清剛はどうだろう。最新作『スピログラフ』(新潮社)を読んだが、きわめて微妙なところに立つ作家である。線は細いが、しかし結局はギリギリで開き直り組なのかもしれない。今作は特にそう思わせるものがあった。『銃』(新潮社)の中村文則は、はっきりと開き直り組だろう。判定が難しいのは、『リレキショ』で文藝賞を獲り、そして今年『夏休み』(いずれも河出書房新社)で芥川賞にもノミネートされた中村航である。かなり揺らぎがある。今後の仕事がひじょうに気になる作家のひとりだ(ちなみに中村航は、公式サイトから不定期でメールマガジンを発行している。これがまた余計に判定を難しくさせる材料なのだが、愛嬌があってなかなか面白い。http://www.nakamurakou.com/)
 
 これから読む本。昨日買ってきた吉村萬壱『ハリガネムシ』(文春)と、吉田修一『日曜日たち』(講談社)をまず読む。まだ買ってないが、講談社から出た新しい文芸誌『ファウスト』も読みたい。特に東浩紀による文芸批評「メタリアル・フィクションの誕生 動物化するポストモダン2」は、逃すわけにいかない。月末には、ついに島田雅彦の〈無限カノン〉シリーズが2冊同時に発売される。『美しい魂』『エトロフの恋』(新潮社)。月刊『新潮』で既に読んではいるが、こればっかりは買い直して、『彗星の住人』と合わせてもういちど通読したいと思う。石田衣良の新刊も控えていて、当分は退屈しなくて済みそうだ。

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