« 前の記事 | 最新 | 次の記事 »

第15回 2002年8月○日

 前回の日記で、雑誌の取材や撮影について書いたけど、それは勿論、雑誌だけではない。新聞、ラジオ、テレビCM等、バラエティーに富んでいる。中でもとりわけ印象的だったのが、テレビCMの撮影だ。(言うまでもないが、東京ランダムウォークの宣伝CMではない。テレビCMをうつなどということは、ちっぽけな書店にとっては夢のまた夢、というより、およそ書店ではほとんど考えられないことだ。)これが、なかなか大がかりなものだった。午後からの撮影だったけど、ほぼ半日、店全体が撮影隊に占拠された状態になってしまった。僕は当日洋書バーゲン品を漁りに、川崎にある弊社の物流に寄って、午後から店へ向った。六本木の交差点から芋洗坂を下っていくと、なにやら店の前が異常に賑わっている。いつもの閑散とした人通りの日常とはどこか違っている。店頭の大きなウィンドウから店内を見つめる人々、そのまわりに、いかにもギョーカイっぽい人達が立ち話をしている。店の前の通りでは誘導灯を持った人が車に止まれの合図かなんかしている。まるで道路工事の交通規制の風景を思わせる。ただならぬ雰囲気に、僕は「なんじゃ、こりゃ!」と店への歩みを早めた。人だかりに交じり、店長のイナバが腕を組み、ニヤニヤ笑いながら中を覗きこんでいた。「ナベ、なんだかすごいぞ、これ。」と視線を促され僕も店内に目をやる。確かにすごい。いろんな撮影用の機材が、所狭しと持ち込まれ、まさにロケ現場そのものだ。これが営業中の書店の空間だとはとても思えない。どうしても撮影スケジュールの調整がつかず、止むなく営業中の時間帯での協力を許可してしまったのを後悔してもはじまらないけど、多少予期していたとはいえ、目の当たりにこの状況を見せつけられると、ちょっとたじろぐ。「これじゃ今日は商売あがったりだよなあ。」なんてことを心の中で愚痴りながらも、ついつい野次馬根性で撮影風景に見入ってしまう。

 シーンごとに何度もテストが繰り返され、「本番いきまーす」のディレクターとおぼしき人の声とともにライトが照らされる。「本番いきまーす」の声は店内から順に外へ伝えられ、店頭のスタッフも同じく「本番いきまーす」と叫ぶ。この時ばかりは、外でたむろする人達もおしゃべりをやめる。皆息をひそめて、不思議と真剣な顔つきになっている。「OKでーす。」のかけ声とともに、ふっと息を吐く。にわかに、あたりが再びざわつきだす。こんな調子で、次から次へと、狭い店内のいろんな場所で撮影は順調に進んでいった。(ちなみに、今回東京ランダムウォークが撮影協力したのはJACCSカードのCMです。たぶん現在も放映中だと思うので偶然テレビでお目にかかる機会があったら気に留めてやってください。高い天井と赤い書棚に囲まれた店内の様子がなかなかおしゃれに撮れています。役者さんが抱えている白地に赤のストライプの手提げ袋は当店オリジナル、だからなんなんだと言われればそれまでですけど、毎日お客さんに手渡している手提げ袋がテレビ画面に出ると、店で働く僕等にとってはやはり嬉しいものです。)

 時間が押していたせいか、あわただしく撤収作業を終え、「ご協力ありがとうございました。」挨拶もそこそこに、撮影スタッフは脱兎のごとく次のロケ地へと向っていった。いつもの光景がやっと戻ってきた。そして、何事もなかったように、書店の一日が終わる。店を閉めて、今日は撮影でまる半日営業していなかったようなものだから売上は期待できないよなあと思いつつ、レジスターの精算ボタンを押して、出てくる精算レポートのレシートを見る。むむっ、意外!ほぼ、毎日の平均的な売上とさほど変わらないではないか。これは驚きだった。今日僕は午前中は外出していたし、午後も撮影を店頭から眺めていたので、ほとんどレジカウンターに入っていない。お客さんがどれだけレジでお買い上げいただいたかは、皆目見当もつかなかったけど、撮影現場を外から見ていた感じでは、とてもお客さんが本を買う状況ではないな、と思っていた。撮影中、店内にいるのは、ほとんどCMスタッフの人達ばかりと思っていたのだが、やはりお客さんも確かにいたのだ。それにしても、よくあの状況で本を選んで買ってくれたなあ、とつくづく感心してしまう。店頭から店内へ向うステップにも撮影用のケーブル線なんかが何本も通されていて、とても入りずらいことといったらなかったのに。店員の僕でさえ店に足を踏み入れるのがはばかられた、実際そんな雰囲気だった。そんな困難にもめげず、文句ひとつ言わず、好みの本に辿り着くお客さんにはただただ頭が下がる。レジの金額合わせの作業をしながら僕はいつもと違う感慨を持ってお札を数えた。CM撮影の現場は非日常だったけど、実はそこではお客さんと本が出会う、書店でのあたりまえの日常が同時に繰りひろげられていたのだ。

 東京ランダムウォークは、まだまだお客さんの絶対数が少ないので、このようなことも起こり得るのかもしれない。客数がわずかでも、客単価が高ければ一日の売上全体をカバー出来てしまう。ちょっと悲しいけど、これが現実である。でも、数は少ないかもしれないけど、不自由な足場、異様な雰囲気な中、棚に真摯に向き合ってくれたお客さんがいてくれたことが何より嬉しい。地道にこういった有難いお客さんを増やしていきたい。

 話は変わるけど、いやぁー毎日とにかく暑い。日本は一体、どうなっているんでしょうか。もっとも、日本に限ったことではない、今や世界中いたるところで温暖化の波が押し寄せているのだ。W杯の影響で6月、店は予想通りとても暇だった。めったにあることじゃないから、これはしょうがないと思うけど、7月、8月も、このうだるような暑さのせいか、お客さんがなかなか戻ってこない。とりわけ陽射しの強烈な日中、立地の恵まれていない書店は大打撃だ。なにせ、歩いているだけで体じゅうから汗が吹き出してくるのですから。(太っちょで汗っかきな僕はちょっと異常かもしれないけど。)でも、そんな悪条件をものともせず、足を運んで下さるお客さんも確かにいらっしゃるのだ。そんなお客さんを目にすると僕等も暑さが吹っ飛ぶ。レジでの「ありがとうございました。」の声にも自然と力が入る。こういった有難いお客さんに本を買っていただけるのは書店員にとって、また格別の歓びだ。

 雑然としたロケ現場の中で文句ひとつ言わず、本を買っていただいたお客さん、蒸し風呂のような暑さの中、わざわざ芋洗坂を下って来られたお客さん、そんなお客さんがいる限り、僕等も決して手を抜くことはできない。残暑厳しい日々がまだまだ続くだろうが、気合いを入れて頑張ろう!

« 前の記事 | 最新 | 次の記事 »

記事一覧