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第9回 2002年4月○日

 かみさんが沖縄出身ということもあって、我家ではたまに沖縄料理を作ることにしている。基本的に料理は結構好きで、僕は毎朝お弁当をかみさんの分まで詰めている。お弁当を作っている間、彼女はまだ夢の中だ。なんと健気な夫なんだろう……。という訳で、東京出身の僕が結局は沖縄料理も全部作るはめに、と言っても好きでやっているんですが。

 本日のメニューは、なかみ汁、ゴーヤーの酢の物、ソーミンチャンプルー。なかみ汁はお正月や祝い事の席でよく食べるのだそうだ。なかみとは豚の腸の事で、いわゆるこちらで言うモツ。モツ煮込みの沖縄版といったところか。モツ煮込みというと味噌仕立てのものを想像するが、なかみ汁はかつおのだし汁がベースでとてもあっさりしている。仕上げにおろし生姜を載せるのだが、この香りがかつおだしの風味と重なって、何ともいえない爽やかな味わいを醸しだす。モツの臭みをとる下ごしらえがちょっと手間だけど、僕のお気に入りの一品だ。ゴーヤーの酢の物はとても簡単。ゴーヤーをスライスして、かつおぶしを載せ、三杯酢とかつおのだし汁を少々かけるだけ。ゴーヤー独特の苦味とほのかな酢の香りがいかにもヘルシーで食欲をそそる。ソーミンチャンプルー、これもいたって簡単。そうめんを固めにゆで、ねぎなどの野菜と一緒に炒めるだけ。味つけは塩、こしょうのみ。単純な料理だが、これが意外とうまい。どうぞお試しあれ。

 夫婦揃って泡盛をちびちびやりながら、自分で作った沖縄料理を食すのもなかなかいいものだ。妻曰く「懐かしーい。おばあちゃんの台所の匂いがする!」自然と記憶の扉が開かれて、身体(からだ)そのまま沖縄の地へ繋がっていく感じがするのだそうだ。酒や料理が促すイメージ喚起力はすごい。スイッチ入れてくれるんだよなあ、なんてことを思いつつ、例によって僕の身体にも別のスイッチが入って、泡盛のボトルはみるみる底をつくのでした。

 早起きしてお弁当を詰めるのは、かなりしんどいけど、時間の制約無しに好き勝手に作る料理は本当に楽しい。スーパーや市場へ買い出しに行って、食材を調達し、いざ台所へ。まず、調理の段取りをイメージする。予定のメニューが同時に出来上がるように各調理工程を調整するのだ。我家の台所ははっきり言って狭い。まな板だって小さい。ガスコンロも2つだ。限られた条件の中で一番効率的な調理工程を手を動かしながら身体で考える。僕は、料理を作ると決めたら、とにかく早く食いたいので、必死になって取り組む。段取りをイメージすると言ったが、これは食材の買い出しの時に既にだいたい出来ている。調理が始まったら、頭と身体を総動員して複数の作業を同時にこなすようにしている。身体と気分がのってくると、調理しながら、汚れたお皿なんかも洗ってしまう。料理が全て出来上がった時、流しの汚れ物も一掃されていることもしばしばだ。とにかく、身体を動かしながら、何か一つのものが出来上がってくる時の歓びは格別。まして、自分のイメージ通りにコトが運んで、料理の味もバッチリときたら、心身共にすっきりして、酒がすすむことこの上ない。

 書店での棚作りの仕事も料理とどこか似ている。食材の買い出しは本屋さんでいえば本の仕入れだ。経験豊富な棚担当者は、仕入れの段階でその本の調理方法や、段取りまでイメージしているんじゃないだろうか。この本はどこの棚にどれぐらいの分量で盛り付けしようとか、隣にはこの本をピリッとひき立てるこんな本も仕入れて味つけしようとか。旬な本だったら、お客さんにおもいっきり味わってもらうために大皿にてんこ盛りにしようとか、等々。同時に発売日に合わせて他の関連本をいつまでにどれぐらい仕入れて、どこに保管して当日は店が暇なこの時間帯に一気に棚の入れ替えをしようとか、等々、段取りも一気にイメージしたりなんかして。そして、イメージ通りにコトが進んで、お客さんに沢山買ってもらった日にゃ、こりゃもうたまりません。たちまち疲れも吹っ飛んでしまう。まあ、こううまくコトが運べば万々歳なのだが、これがなかなか難しい。成功することもあれば、もちろん失敗することもある。そうした経験が、担当者の棚の料理人としてのスキルを向上させていくのだ。当たり前だが、調理の腕を磨かなければ、食材をみる眼も育たない。そして、食材の良し悪しを見極めることができると、必然的に料理の味もぐっと増す。一流の料理人はすべからく一流の食材調達人でもあるのだ。書店の仕入れと棚作りの関係も同じだ。棚担当者は仕入れた食材の良さを最大限に引き出したり、時には発想の転換をして味つけを変え、素材の持つ新たな魅力を発掘し、日々調理の腕を研鑽する。調理の腕が上がると、自ずと食材を見る眼も肥えてくる。仕入れと棚作りは料理同様、一蓮托生だ。

 知り合いの書店員がここ数年、何人も辞めていった。辞めた理由を聞くとはっきりしないが、どうも仕入れと棚作りの仕事の分業が進みすぎて、一蓮托生のこの関係がうまくいかず、つまらなくなってしまったのだそうだ。辛いとこだなあ……。書店という空間が今までも、そしてこれからも僕等を楽しませてくれる場所であり続けるには、たぶんこの辺の問題が大きくかかわってくるんじゃないかな、とつくづく思う。

 話は沖縄料理に戻るけど、僕の大好物である沖縄そば、あの生麺、こちらのスーパーや市場に売っていないのは何故? インスタントや乾麺はたまに見かけるけど、感じでないんだよなあ。生麺をさっと湯通しして、ソーキ(豚のあばら骨のついた肉)を載せて、ネギを散らして、島とうがらしをたっぷりふりかて……と。あーまた食べたくなってきた。僕の食欲はどんな時にも落ちることはない。

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