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第21回 2002年12月△日

おばあちゃんは、相変わらず元気だった。僕はかみさんと結婚してから、幾度となく沖縄を訪れ、おばあちゃんとお会いしているけど、会うたびに年々益々、元気で若々しくなっているような気がする。年々、我が身の体力の衰えをとみに実感している自分が恥ずかしくなるぐらい、おばあちゃんはよくしゃべるし、よく動く、頭の回転もとても早い。今年は僕の両親と初対面ということもあり、余計にテンションが上がっているせいもあるかもしれないけど、とても86才の老人とは思えぬその動きは、実に溌溂としている。いつも、どんより濁っていて、なかなかうまくまわらない僕の頭、太っちょでキレのない動きしかできない僕の身体。おばあちゃんの溌溂さが、まぶしい、うらやましい。僕の親父とおふくろも、おばあちゃんのそんな姿に触発されるかのように、長旅の疲れもどこへやら、妙に元気になってよくしゃべっている。明らかにおばあちゃんから元気の素を貰っている。老人が元気なのは何よりです、ほんとに。

 夜、小さな沖縄家庭料理の店で、ささやかな晩さん。メニューは各自選ぶのも面倒ということなので、僕が勝手に選んだ。ここでも、おばあちゃんはよくしゃべり、よく笑っていた。次から次へと出てくる料理に、おばあちゃんはというと、これは好き、これは嫌いと、はっきり意思表示をする。普通、初対面の人達が集う食事の席では、気を使って「これは大嫌い」なんて言う言葉はなかなか発しないものだけど、おばあちゃんは違う。実にあっけらかんと笑いながら宣言するのだ。でも、決していやみな感じを与えない。というより、かえって自然な感じがするのだ。まわりにいる僕等も何故か和んでくる。不思議なものだ。思えば、僕等には生活の中で、あらぬ気を使ったり、無理をしてつまらぬお世辞を言ったりする場面が少なからずある。それが原因でストレスを溜め込むことだってある。そうすることが、当たり前のように身体にしみついている。考えてみれば、無理をして、そんなことする必要はどこにもないのだ。(勿論、時と場合にはよりますが)おばあちゃんを見ていると、そんな僕等が、とても不自然な生き方をしているように思えてくるのだ。自然なことを、自然にふるまえるような自然さ。僕等の脳ミソは、とても不自然に出来上がっているのかもしれない。おばあちゃんとの楽しい晩さんのひとときを終えた僕は、その夜いつにも増してぐっすりと深い眠りに落ちた。夢の中で僕は、海中からジンベイゼメの腹を何度も見上げていた。

 おばあちゃんの営む駄菓子屋さんは、一人でやっているので営業時間というようなものはないけれど、朝7:30頃開けて、夜10:00頃閉めるのだそうだ。なんと15時間も店を開けているのだ。ひぇ~!一体いつ食事して、いつお風呂に入ったりするんだろう。聞けば、僕等が持っている商店のイメージとはだいぶ違った営業形態のようだ。おばあちゃんは、店頭にはほとんど顔を出さない。耳が多少遠くなったので、お客さんが来ればセンサーでブザーが鳴るようになっている。それでも、おばあちゃんが出てこなければ「おばさ~ん」とお客さんが呼び、売ってくれるのを待つ。なんとものんびりしている。おばあちゃんはそれまで、家の中で日常の生活をしている。僕等には想像もできない。ただでさえ万引きで頭悩ます書店業からすれば、何とも信じられないような話だ。こういう商売が成り立つのも、長年この地でお店を営んできた歴史の為せるわざなのだろう。店の休みもなし。(勿論イレギュラーな行事や冠婚葬祭の時などは閉めます)これまた、ひぇ~!過酷な労働条件?……という感じは、おばあちゃんには全くなく、いとも涼し気に笑顔で戦後ずーっとこの生活を続けているのだ。ただものではない。お店は小さいけれど、清潔で気持がいい。商品も、長年の経験で、必要な量だけ程よく陳列されている。かといって、しょぼい感じは全然しない。商品は無駄なく回転しているのだそうだ。立派である。
 ふと、出版不況にあえぐ書店業に思いをはせる。あてどなく入荷する新刊、ちょっと売れて残りは返品。大いなる無駄を再生産する、あいも変わらぬこの現実。結局、必要のないものをつくり、必要のないものを置いているからこうなる。話は簡単である。でも、必要なものが何なのか、わからないから、どんどんつくり、どんどん置く。この繰り返し。おばあちゃんは決して無理することなく、身の丈に合った商売を心がけることで、無駄をほとんど出さない。おばあちゃんには、必要なものがわかっている。とても自然にわかっている。かたや、僕等はわかりたいと思っているけど、なかなかわからない。僕等の脳ミソが無理をして作ってきたシステムは、そろそろもう限界にきているのかもしれない。どこか、不自然なのだろう。
 何ヶ月か前に、テレビのニュース23で“21世紀、希望はどこに捜せばいいのか”というような特集が組まれていた。その中で「唯脳論」(青土社)等の著作でお馴染みの養老孟司さんが、実に明快にその問いに答えていた。「希望は自然の中に捜せ。」と。今回の沖縄の旅で、元気に商売にいそしむおばあちゃんの朗らかな笑顔と、悠々と泳ぐジンベイザメの神々しい姿の内に、僕もこの問いに対する確かな答を貰ったような気がした。
 帰りの機中、目を閉じるとジンベイザメの大きな影が、まぶたの裏を旋回し、沖縄での楽しい思い出の数々が、泡盛でくらくらになった頭の中をかけ巡った。「やっぱり沖縄はいい、また来よう!」僕は心の中で呟いた。

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