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第13回 2002年7月×日

 日記のあいだが、だいぶ空いてしまった。w杯期間中は白熱する感動的なゲームをいくつかレポートしようか、などと目論んでいたのだが、深夜のビデオ観戦が続く日々はあまりに過酷で肉体的にボロボロになってしまった。正直、この一ヶ月は疲れ果てた。そして、決勝が終わった夜、言いようのない喪失感に襲われて、以後全く無気力になってしまった。祭りのあとの空しさは、これまでのW杯毎、それなりに経験してきてはいたけれど、今回は一段と烈しい。かなりの重傷だ。仕事には身が入らないし、休日もただぼんやり家で日がな一日過ごすのみ。いい歳の男がなにをやってんだよ全く、とどやされても、たぶん僕は締まりのない「はあ…」という気の抜けた返事しかできないだろう。こんな状態が続くのは非常に良くないこととはわかっていても、どうしても力が湧いてこないのだ。情けないけど、どうしようもない。

 何故今回はこれ程までに強い喪失感、寂しさに襲われたのだろう? 無気力な頭で僕なりに考えた。結論、やはり僕は歳をとったのだと思う。地元開催のW杯はたぶん僕が生きている間には、もう二度と日本へはやって来ないだろう。まだ、10代や20代の若さなら、次の機会も期待できるだろうけど、40を超えた僕にとって、それは夢物語としかいいようのない現実で、その現実を受け入れるのは、とてもとても辛いことなのだ。W杯が日本で開催されることに妙な違和感を抱いていた自分が、こんなことを感じるのもおかしな話だけど、いざ大会が終わってみると、やはり日本人として寂しい。

 地元の埼玉スタジアムでの日本初戦、僕は生で観戦はできなかったけど、東川口駅から自宅まで車を走らせながら道々で遭遇したサポーター達の熱気を直に感じることが出来たし、グループリーグ突破を決めたチュニジア戦後、仕事中にもかかわらず、店の外へ飛び出し、六本木の交差点で歓喜に沸くサポーター達を感慨深くひとしきり眺め続けることもできた。W杯がまさに今、ここ日本で進行中なんだ、という実感は何にもかえがたいものだった。こういう経験が、生きている間には、もう決して訪れることがないであろうという現実。寂しい、限りなく寂しい、ただただ寂しい。ある経験が、これっきり、一生に一度のことなのだ、とわかってしまった時、人間はこれ程までに寂しくなるものなのか。寂しさがずっしりと僕の胸をしめつける。このW杯後遺症が癒されるには、どうやらまだまだもう少し時間がかかりそうだ。

 とは言っても、そろそろ気を取り直して元気をださなくては。W杯が終わっても、人生は続く。元気出して長生きしよう。長生きすれば、またW杯が日本にやって来て、今度こそスタジアムで観戦できるかもしれない。希望を捨てずに頑張ろう。長生きするためのモチベーションがW杯観戦というのも、つくづくアホな人生だと思うけど、これは今さらどうしようもない。変えようにも変えられない。フットボール、そしてW杯に従属した人生。人になんと言われようが気にしない。我が道を行こう。長生きするモチベーションがあるだけ幸せだ。何言っているんだか自分でも訳がわからなくなってきたけど、これでいいのだ。少し元気が出てきた。

 ところで、決勝トーナメントの対トルコ戦、僕は日本の敗戦を予感していた。スキンヘッドでぎょろ目の、あのコッリーナとかいう審判、確かアトランタオリンピックの時、日本vsナイジェリアの笛を吹いた人でしょ? あの時も実に公平に笛を吹いてくれたおかげで日本は敗れた。(勿論、実力通りだったけど。)日本にとって相性のいい審判には思えず、試合前からいやーな感じがあったのだ。そして、不幸にも予感は的中してしまった。~たら、~れば、は今さら言ってもしょうがないけど、もし韓国vsイタリアを裁いた審判と逆だったら、日本と韓国の成績も今回の結果と逆になっていたりして…。まあ、そんな空想は別にして、現実は皮肉にも日本、韓国とも同じトルコに敗れてW杯を終えた。共催国同士、W杯の幕切れとしては、まずまずだったのでは。

 それと、もう一つ、トルコの国歌、あれはいいですね。音楽の良さを表現する術は僕にはないのだが、あの旋律は僕の琴線に触れ、知らずと一緒にハミングまでしている。トルコが勝ち上がっていく度に、またあの国歌斉唱が聞けることに感動すら覚えていた。今思えば、この時点で既にゲームは終わっていたのかもしれない。

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